曖昧批評

調べないで書く適当な感想など

刑事コロンボ「5時30分の目撃者」を高く評価してみる

2017-01-26 22:03:11 | テレビ・映画
刑事コロンボの各話は、だいたい大きく二つのタイプに分かれる。1つは人間ドラマ系。常に人気ランキング1位の「別れのワイン」を筆頭に、「忘れられたスター」、「白鳥の歌」、「死者のメッセージ」など感動するがトリックは二の次という作品が多い。

もう1つは罠系。第1話「殺人処方箋」に始まり、犯人がだまされた瞬間に終わる「二枚のドガの絵」、上司を引っ掻ける「権力の墓穴」、僕が当ブログで疑問を呈した「逆転の構図」など、コロンボが犯人に仕掛ける逆トリックの面白さを追求した作品群である。

その罠系の中でも僕が好きなのが「5時30分の目撃者」である。「二枚のドガの絵」に勝るとも劣らない冴えた逆トリックだと僕は思うのだが、世間の評判はイマイチよろしくない。

そこで今回は、「5時30分の目撃者」はもっと評価されるべき、というテーマでお送りする。例によってネタバレ全開なので、見てない人はここで撤退すべき。



犯人はマーク・コリアーという精神科医。不倫現場に踏み込んできた旦那を火掻き棒で殴り殺してしまう。現場から去るときに、犬を連れた紳士を車で轢きそうになる。ヤバい、見られた!! だが、その紳士はステッキを持ち、濃いサングラスをかけていた。盲人だ。よかった。見られてない。

話は飛んで解決編。コリアー先生はコロンボに呼び出された。目撃者が見つかったということだった。その目撃者モリスさんは、濃いサングラスをかけているが杖はもっていない。ぎこちなくソファに座り、コロンボが葉巻を手にしたら、すかさずマッチを渡した。

なんかわざとらしいぞ。バレバレだぞ。モリスさんに目が見える演技をさせて、コロンボは何をしたいのだ。



モリス「あの別荘の前で外車に轢かれそうになりました」

コロンボ「何時ごろでした?」

モリス「5時半です。そのとき時計を見たんです」

コロンボ「運転していたのはこの人に間違いありませんか?」

モリス「間違いありません。クルマはブルーのクーペでした」

ここでコリアーが笑う。

コリアー「その人が僕のクルマを見ているはずがない」

コロンボ「そりゃまたどうして?」

コリアー「努力は認めよう。上手い芝居だったよ。打ち合わせ通りマッチを出させ、声で僕の位置を知らせた」

コロンボ「この人は目が不自由だというわけですか? あなたはそういう人を見たんですか」

コリアー「僕は見てないさ。僕は別の場所にいたんだからね。でも僕は医者だよ。見ればその人は盲人だと分かる」

証拠を見せよう、といってコリアーは雑誌を手に取り、モリス氏に「ここを読んでみてくれ」と適当な記事を指差す。だが、すらすらと音読するモリス。

じゃあ、これは? ここは? コリアーが指示した記事を全て読み上げるモリス。


なんで目が見えないのに読めるんだよ!

焦るコリアーの前に、もう一人、似たようなサングラス紳士が現れた。今度は盲導犬を連れている。明らかに盲人である。この人があの日轢きそうになった人か?



コロンボ「そう。あんたが会った人は目が不自由でした。あの日別荘の前であんたが見たのはこの人なんです」

次にコロンボは最初のサングラス紳士を紹介する。

「こちら、お兄さんのデービッドさん。今日は頼んできてもらいました」

コロンボ「もう問題はお分かりでしょう。あの日、あの時刻にこの人に出会っていなければ、目が不自由だと断言できないんです。ところがあんたは断言した」

コリアーは、犯行時刻、現場の別荘の前にいた目が不自由な紳士を目撃したと証言してしまったのである。それは自分がそのとき現場にいたことを認めることでもある。この事件の本当の目撃者はコリアー自身だった。

・・・・・

なんか文章で書くとイマイチのような気がしてきたけど、どうですかね。このトリックの面白いところはモリス兄の演技です。本当は目が見える人が、「目が見える振りをしている盲人の振り」をしてるんですよね。そんなもんわかるかーい!(笑)

「5時30分の目撃者」は、不倫相手を電話一本で自殺に追い込む第二の殺人が微妙だったり、そもそも犯行に計画性がなかったりするところがイマイチ低評価の原因らしい。僕が気に入ってる罠も、現場にいたことが証明されただけで犯行自体を立証できないといわれているが、犯行時刻に現場にいた釈明はできそうにないのでOKだと思う。
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