私は普通には出来ない治療を駆使して、何とか患者さんをお救いしたいと頑張って来ました。
しかし、中には我々の努力、苦労したことを、理解して下さらない、これ位は当たり前と受け止められていて、有難みを理解して下さらない患者さんもいます。
又、時々私が全力を傾けて手術をして、何とか治るように苦心したのに、患者さんご自身が養生をチャンとしてくれず、トラブルを招く方もいます。
難しい治療をしたことの価値観、単純に金銭では補えない価値観を、知ろうとして下さらない患者さんには、我々も辛い思いをさせられます。
そう言うことをチャンと分かるように説明出来ていない、我々の反省点は勿論かなりしなければならないでしょう。
努力が足りない、と謗られたら、甘んじてそうですね、そうかも知れませんでしたね、とお返事するしかないこともあります。
しかし、私は敢えてそのような風潮、歯科治療、医療は時間掛けてお金沢山払ったら治って当たり前、と言う感覚は間違っているのですよ、とお話します。
医療は、元々苦しんでいる人をその苦しみから救いたい、と言う祈りからスタートしたもの、親が我が子を、子が親を思う気持ちこそが根底にあり、安らかな人生を過ごして欲しい、と言う祈りから来ているものだと私は思っています。
このことは何度か書いていますが、病気や怪我になると、昔は本当に祈るしかなかった、ただひたすら神様に縋るしかなかった、のが人類創生の頃です。
そこから始まり、薬草、食べ物とかで何かを取り入れると病気が治る、と言う発見を人類は得て、そこからそう言うものが累積され、経験と新しいものの取り組む勇気で、人類は病気に対峙して来たのです。
何が言いたいのかと言うと、治るのは非常に有り難いこと、楽になることは本当に素晴らしいことである、と言うことなのです。
そして、その価値は非常に高いものなのであるから、大事にしていかなければならない、悪くなったら又治せば良い、何て言う感覚は間違っている、生体は二度と元の通りには戻って行く訳ではない、だから、今現在の大切さ、現状維持をすることへの取り組みに真面目になっていただきたい、と言いたいのです。
具体的事例でお話すると、下顎の小臼歯が水平に骨に埋まっていると言う患者さんを救う為に、その歯を綺麗に抜歯して、不足している大臼歯部へ移植する、と言う手術を手掛けたことがありました。
事前に他の歯、骨に必要以上に傷を付けたくなかったので出たばかりの歯科用CT3DXを撮影に出掛け(その当時3DX持っていなかったのです)、それを元に綿密に計画を立て行いました。
私の不勉強かも知れませんが、このような治療方法の症例報告は世界でも、勿論国内でも見たことも聞いたこともありませんでした。
それでも、患者さんの歯がない部位へ歯を再構築する為に、必死で頑張って行いました。
こう言う治療医計画をしていると、3DX撮影に行った先の著名DRの千葉県のI先生に相談もしましたが、そんな難しいことするの?と言う感じで、頑張ってね、と言う返事しかいただけませんでした。
それ位難易度の高い、稀な手術だったのです。
それを私は無事やり遂げて成功をさせました。
しかし、この患者さんは、治療後のメインテナンスに全くお越しにならないのです。
非常に残念です。
この治療の価値観、有り難さ、大事にしよう、と言う意識を持っていただけなかったことは、我々としては屈辱でしかない、と言えます。
抜歯する、と単純に書きましたが、骨の中の深い所に真横に埋まっているのですから、とても難しいものです。
しかも、移植に使おう、と言うのですから歯根を傷付けないで抜かないといけない、と言う難易度の高さです。
更に言えば、大臼歯部に移植するのですから、骨の温存、形態を守る、と言う難しさもあるのです。
簡単に言えば、滅茶苦茶難しい、多分私以外の誰もこのような手術をして、埋まっている小臼歯を活用しようとは思わない、そう言う仕事です。
ですから、私としてはその後の経過、状態を記録し、行く行くは何処かの学会とかで報告し、後の世の中に活かして欲しい、と願っています。
しかし、患者さんは失礼ながら自分一人が治って、それで良しで、続く人達が救われるかも知れない道を残すことには全く無関心、と言う感じなのです。
自分の口の中で為された仕事、治して貰った、と言う意識は時間経過と共に薄れ、治って良かった、これで普通、と言う感覚に陥り、その経験を残し伝えて行くと言うお役目に関しては、眼は開いていないのです。
医療とは祈りです。
治って良かった、で終わりにしていたら、それはそこで終わってしまいます。
それを伝えて行くこと、残して行くことで、もしかしたら自分の子々孫々が救われて行く世の中に変わるかも知れません。
自分の子々孫々ではなかったら、それで良いのでしょうか?
私は絶対にそれは違う、と思っています。
似たような症例で、他の患者さんでこう言うこともありました。
移植して、10年以上使って来た歯が、歯周病に成って、再治療が必要になったのです。
その時に、その患者さんは定期健診にも来てて、気を付けているし、磨いているのになぜ悪くなるのですか?と凄い剣幕で問い詰めるのです。
そんなことを言っても、毎日毎日見張っている訳にはいかないし、磨いていると言っててもプラークの沈着は、定期健診でチャンとチェックされているのです。
それ以上、我々に何が出来るでしょう?
プラークが付き続けていたら、虫歯になるでしょうし歯周病にもなるでしょう。
半年に1回の定期健診、チェック、メインテナンスで悪くならないように出来たら、それは奇跡です。
歯科の病気は殆どの場合、日常生活習慣病です。
患者さん自身が、ご自身で頑張っていただく他、対応策はないのです。
幾ら私に腕が良くて、奇跡のような治療を出来ていても、汚し続けていたら再発は止まりません。
更に言えば、片噛みの癖が、このような病状を助長します。
患者さんは日常の癖で片噛みしてて健常なつもりなのでしょうが、片っ方だけ使われ続けていたら、そこから壊れて行くのは当然なのではないでしょうか?
何か物でも、使われ続けて来たら、使っていない物よりも壊れるのが早いのは当然でしょう。
それと同じことが起きているのを口の中だと承知出来ない患者さんがいるのです。
以上、私が患者さん方に知っていただきたいのは、モノの道理として歯科とか、医療にだけ、ハードルを高くしないで欲しい、その分要求されるなら、ご自身でも努力していただきたい、それも的外れではなくチャンと効果的な方法を教わって、そして、治した所だけが悪くなって行くことを気にばかりされないで、他の歯の段々衰えて行っていることも理解していただきたい、と言うことです。
歯科医療始め、医療に対する欲求が、現在高過ぎる傾向にあるのではないか、と言う警告をしたいのです。
それでいて、現実にハイレベルな治療されても、上手く行って当然と言う考えで、次への思いを持って貰えない、そう言う意識も変えていただきたい、と思うのです。
私は、業界の変人DRとして鳴らしている者なので、まず他の人が書かないような赤裸々な話もこうして書いてしまいます。
しかし、稀な例ですが、こう言う我々を苦しめる患者さんがいるのも事実なのです。
手厳しいことを我が侭勝手に書いている、と叱られるかも知れませんが、嘘偽りのない現実です。
最期に、DRも人間です。
やる気を出させてくれる患者さんと、そうでない患者さんでは、気の入り方も違って来るのは仕方がないことではないでしょうか?
では、そうなら、あなたはDRから見てどう言う患者さんでありたい、どう言う患者さんであったら、結果的に良い成果を得られる、と思われるでしょうか?
患者さんは、失礼ながら、DRに対して子供に成ってしまう方が時々います。
我々も人間なので、そう言う方には腰が引けるのは事実です。
お互いに良い結果を導き出す為にも、冷静で大人で、モノの道理を弁えた言動をしませんか?
良好な歯科医療始め医療の推進の為に。
生意気なことをくどくど書いてすみませんでした。