農業じゆう人

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敬老の日

2022年09月19日 12時37分29秒 | 世間
  猛烈で過去に例のないような台風14号に遭われました九州各地の皆さんいかがでしたでしょうか。
  それはそれは大変な状況の中で過ごされたのではないか思います。 心中ご察し申し上げます。
  
  きょう19日は今月最初の三連休(今週末には再び三連休がある)の最終日、「敬老の日」です。
   我々のような高齢者は敬老の日といえば毎度ながら15日だと認識しております。 国の単純な
   方策(経済効果とか?)とでしか思えない「ハッピーマンデー法」とやらで成人の日・スポーツの日
  (以前は体育の日)・そして敬老の日などが第三or第二月曜日にかわってしまい戸惑っています。
   (ちなみに海の日もそうですが最近制定されたのであまり関心がない)

  詩人の”鈴木志郎康さん”が「放りだされてている『老人』」というエッセーの中で、さまざまな
   高齢者に自らの人生を語ってもらった体験を振り返っている。 経営者。 農家の主婦‥‥。
   「普通の老人たちなのに、どの人の場合も私は感動しないではいられなかった」と記している。
  同じような感想を高齢者に接する医療関係やボランティアの人々からもしばしば耳にする。
   「人間というのは、最後には『ことばを語る』というところに行きつく存在なのか」と詩人は
   感じたそうだ。 老人とは濃密な情報の集積であり、聞く側が彼らの言葉を価値あるものとし
   て読み解けるかどうかが問われていると説いている。

  日本は長寿社会となった。 それ自体は喜ばしいものの、高齢者一人ひとりに居場所があるかと
   いえば疑問が残る。 幼稚園から会社の定年まで、長く集団に属してきた人間がいきなり個人
   に戻れるか。 大家族に囲まれて過ごす姿も昔のものだ。 人とのつながりが少ないと、健康
   にもマイナスになるとの研究結果もあると聞かされたことがある。

  詩人で映像作家でもあった鈴木さんの訃報が届いた。 享年87歳。 還暦を過ぎてからの作品
   の一つ「住んでる人しか知らない道」にこんな一節がある。 「書かれた言葉が読まれないの
   は辛い / 言葉に、求めに応じる力がないから / 言葉に、求めて行く心がないからか」

   きょうは敬老の日。 先達の豊かな言葉に耳を傾けたいものです。

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