仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

『「自己啓発病」社会』?

2012年03月11日 | 日記
少し前『「自己啓発病」社会』(宮崎学・祥伝社新書)を読みました。読みっぱなしで、そのままにしておきましたが、せっかく読んだのだから感じたことを記しておきます。

アマゾンの内容(「BOOK」データベースより)紹介です。

「失われた20年」と軌を一にするように、日本人の間で自己啓発ブームが巻き起こった。合言葉は「セルフヘルプ」、「スキルアップ」、「夢をかなえる」…。このブームを支えたのが『自助論』という翻訳書だ。彼ら自己啓発に励む日本人は、同書をバイブルとして崇め立てた。だが、そのバイブルは、じつは抄訳であり、原著(完全訳)の持つ精神を損ない、たんなる成功のためのハウツー集になっていることに気づく人は少ない。日本人は、いわば「ゆがめられた自助」を盲信してきたのだ。自己啓発ブームの結果、格差は拡大し、「あきらめ感」が蔓延した。現代日本の社会病理を徹底的に解剖する。(以上)

とあります。書店店頭で題名に興味を覚えて買ったものです。結論的(本の内容)なものは下記の通りでしょう。

スマイルズは自助の核心に「勤勉」の価値をおいていた。 …いまおこなっている行為そのもののなかに魅力や意義を見いだそうとするのではなくて、その行為そのものからは離れた「必要」に従属し、その行為そのものとは別の「目的」に奉仕することに魅力と意義をにいだすべきだ、というのが、スマイルズの「勤勉」の哲学なのである。…

 こうした倫理は、先に見たように、産業社会を成り立たせるために必要な精神態度だった、… だが、産業社会がゆきづまり、脱産業化か進まざるをえないいまの状況のなかで、それでは通用しなくなっているのである。

 これからの社会では、労働と遊びとの間に、こうしたかたちでの区別がなくなり、「楽しく働き、まじめに遊ぶ」ことが追求されるようになっていくことだろう。

自分で自分を守ることだけを考え、他人を押しのける行動に走りやすい。そこに現われるのは、「利己的自助」→ 自助が成り立つ社会とは利己社会ではない。自助か成り立つ社会は、個人個人の自助が相互的働いて相互扶助が成り立つ社会なのである。(以上)

抜粋です。もっと端的に要約すれば、目標に向かって勤勉に働く生き方から、今を楽しみ今を目的とする生き方が大切であり、その生き方も、楽しむという自分の利益が、そのまま他人に対しても利益をもたらす相互扶助のあり方を目指せ。というものです。


もっと端的に言えば、生き方の提示と、社会との関係のあり方を記したもので、自己完結型人生論です。

こうした生き方の本を読むと、浄土真宗の考え方との違いが明らかになってくるように思われます。

浄土真宗では生き方を大切にしません。それは死や病、老いといった人生の全局面を視野に入れたとき、生き方の提示では解決できないからです。

自己完結型でない生き方とは、弱さや不完全な自分をゆだねるというあり方です。日常的な言葉でいえば“感謝”の生活です。
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