仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

法然の教えを継承し発展

2015年06月30日 | 浄土真宗とは?
『中外日報』(2015.6.24日号)に、“「教科書の中の宗教」の記述”について、取り上げていました。

掲載の文言を紹介してみます。

第一学習社の高校倫理の2015年度版教科書かで、「親鸞は、師の法然の教えを継承し発展させた』との記述を、『親鸞は、師の法然の教えを継承しつつも、独自の道を歩むことになった」と、見直したことが最近明らとなった。同社は、毎年の点検の際に従来の記述を問題視した『教科書の中の宗教』(藤原聖子著)等を参考に、執筆者左の相談の上で変更した、とコメントしている…


長らく各出版社の教科書では、法然上人と親鸞聖人の関係を「発展」あるいは「徹底」といった表現で記述してきた。これに疑問を呈したのが林田康順・大正大教授であり、「『法然上人と親鸞聖人』記述に思うー高校『倫理』教科書の問題点」と題して本紙に論文を寄稿した。
 中学・高校で公民と倫理を教えた経験を持つ林田教授は、「各宗教・各宗派の地位は等しく尊重されなければならないと教育基本法15条(旧9条)にある。教義を他と比較して、どちらか一方を勝れたものと記述することは法に反するもので、不適切な記述となっている」と訴えた。(以上)


浄土真宗にとってのは違和感がないが、浄土宗にとっては、未完成の教えと言っているのも同然なので、話題を取り上げるのが遅いくらいでしょう。

各出版の記述を紹介してありました。

実教出版―親鸞は、法然の専修念仏の教えをさらに徹底させ、浄土真宗の祖となった

清水書院―法然の教えを継承しつつ、阿弥陀仏への信仰を深く突きつめ、のちに浄土真宗の開祖とよばれたのが、親鸞である

数研出版―親鸞は、法然の他力の思想をさらに徹底する親鸞は、師の法然の教えを継承しつつも、独自の道を歩むことになった

東京書籍―法然の教えをさらに徹底したのが浄土真宗を開いた弟子の親鸞である

山川出版社―親鸞は師の法然の教えをさらに徹底して、浄土真宗の開祖になった(以上)

何を徹底したのか。それが重要です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15年度版「自殺対策白書」

2015年06月29日 | 日記
24日に書いた白書関連ですが、同日の(27.6.22)夕刊に15年度版「自殺対策白書」の閣議決定も報道されていました。

東京新聞夕刊より

若年層の自殺「深刻」

 15年版白書深夜対策強化提政府は22日の閣議で2015年版自殺対策白書を決定した。全体の自殺者数が減少する中で、40歳未満の若年層は減少幅が小さいとして「依然、深刻な問題」と位置付けた。若年男性が自殺した時間帯を統計で調べたところ午前零時前かり、電話相談業務など深夜の態勢強化を提唱した。 白書に盛り込んだ警察庁の統計では、14年の自殺者は25.427人で、5年連続で減少。12年から3年連続で3万人を下回った。男性が68%、、女性が32%。動機は「健康問題」が12.120人と最多で、「経済・生活問題」「家庭問題」が続いた。14年の全自殺者のうち40歳未満は、6.581人で26%となった。1972年から13年までの自殺の時間帯を調べたところ、男性の場合は、午前零時前後が際立って多かった。白書は、電話相談業務などを深夜まで実施する重要性を強訓した。また、18歳以下の自殺の時期について統計を分析すると、4月上旬や9月上旬に多くなる傾向があった。白書では、長期休暇明けに児童や生徒の変化を把握し、学校や地域、家庭で見守る必要性を指摘した。(以上)


「男性が68%、、女性が32%」、ホームレスになっても生きていくという、強(したた)かさがあっていいのではないか。社会的な自立や、役に立っている感が生きる支えなっているのではないか。だとすれば社会的な自立ができたいない人や、役に立っていない人は生きる資格なしとなってしまいます。世の男性は、ホームレス状態の人から学ぶ必要があります。

下記は以前紹介したものです。

「中高年男性がジェンダーに捕らわれているがゆえの弱さ」という視点があります。京都府立大学の高原正興氏が「自殺から見えてくる中高年男性の生きにくさ」(『現代の社会病理』NO25・2010)と題して次のように書いています。

「男よメンツ捨て相談を」と題した新聞報道(朝日2009.9.3)にに、全国49ヵ所の「いのちの電話」に寄せられた相談は男女半々であるが、50歳代以上では男性は35%に止まり、自殺者のうちで精神科の受診や家族への相談は男性の方が少ないとされている。そして、「中高年を中心に悩みをなかなか口に出せない男性」が多く、「男は弱音を吐いてはいけないという文化が男を苦しめている」という指摘を紹介されていました。男は“こうあるべき”という意識が、自らの弱さの受け入れを拒み自死を選ぶということでした。(以上)
 「中高年男性がジェンダーに捕らわれているがゆえの弱さ」を問題として「彼らが自殺に至る「弱さ」を補完すべき家族・地域などの社会集団の統合は既に弱まっていて、それらは癒しや受け皿としての機能を果たせなくなっている。したがって、上述のような経済的要因と精神的ストレスを媒介する社会的要因(病める関係性)には、ジェンダーゆえの病める関係性も含まれているといえる。」と指摘されています。
「男は弱音を吐いてはいけないという文化が男を苦しめている」という自分のビリーフ(価値観・信念)が苦しみ作っているという構図は、病苦や老苦も同じことでしょう。

苦しみを作り出している原因を、経済状況の悪化や病気などに求められます。心理主義的(原因を心の問題に集約)になることは危険ですが、仏教は仏教の視点で、問題の本質を見ていかなければならない。そう思います。

ジエンダーという概念が人間の行動を規定するものであって、何らかの規範的拘束力を有している以上、男性もまたそうした男作の性役割に従わされていることになる。賃金面,昇進・昇格の機会,管理職の割合など,確かに男性の方が優位にある。しかし多くの先進国において男性は女性よりも自殺率が高いし男性には「泣いてはいけない」「家族を養う経済力や責任感をもたなければならない」「たくましく,力強く,頼りにされなければならない」など禁止・強要される規範も多い。そして、それができなければ「男らしくない」と非難されることになる。(以上)

以前も男性中高年の自殺の多さに「男は強い」といった弱みを見せられないこが原因の1つであると書きましたが、それは男性のジェンダー性によるということです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教講演会

2015年06月28日 | 日記
今朝のウオーキングは中止。5時10分からの「西本願寺の時間」(文化放送)を始めて聴きました。関東では長く放送していなかったのですが、最近始めたようです。

昨日(27.6.27)は、柏市の市民ホールで近隣真宗寺院協賛での、仏教講演会、お東の近藤龍麿さん+天白真央さんライブでした。

良かったです。いろいろな表現があってこそ、色々な人に伝わるのでしょう。この講演会は、司会、企画、代表挨拶も、みな門信徒です。西方寺からは41人参加と言っていました。

終わってみんなで一杯でガヤガヤ、私は、昨日12K歩いたのが悪かったのか、疲れが(?)喉と歯茎にきて、熱っぽいので、家で一杯やる方を選びました。

人形一人芝居の安藤さんに電話したら、大谷派の教授に「親鸞聖人一代記」を依頼中で、できたらビワで一人語りをすると報告してくれました。

さて、西原さんはどうする?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長生きの会

2015年06月27日 | 日記
昨日(2015年6月26日)、一昨日と、ラジオ深夜便「明日へのことば」は、嶋崎 丞(石川県立美術館・館長)氏の「工芸王国”の美と技の心を伝える⑴(2)」でした。

何時ものことですが、ウオーキング中なので、脳が活性化しているのか、聴きながら思うことがよくあります。

昨日の放送では、「美術館の展示のありようを、今後考えていかないといけない。…名品がケースの中に寝転んでいる様な、気配りのない展示がされているところもある。
観賞しやすい方法の場を考える」という言葉がありました。

国宝級の名品でも、名品にふさわしい展示が大事だということでした。私は歩きながら我田引水します。私「念仏もそうだ。誓願一仏乗という仏教の最高峰のもの。その最高の方にふさわしい展示(法話)が必要だろう…もっと真剣に思案すべきだ(自分へ)」。

これは肝に銘じる必要があります。といって難しい言葉がばかりでは、話は伝わりません。

一昨日の迦陵頻伽、話題の一つに、「悪党諸君」 (永六輔著 青林工藝舎)に掲載されている話がありました。メモ代わりに紹介しておきます。

「長生きの会」、小沢昭一、渥美清(故人)、黒柳徹子といった永人脈が言い出しっぺで、五百人会員がいるという。会員は会費を年間1万円。正月になったら松の内の間に振り込む。やることはそれだけ。集会も何も無し。これが何年か経つと、会員が減っていく。それでも続けていく。そして最後まで残った人が全額取れる。それで、死んでたまるかとなる。

“「上を向いて歩こう」のコンビだった中村八大さんも亡くなったが、普通、仲間が死ぬと寂しくなるものですが、「こういう会をやってると、八大さんの葬式で小沢さんと目が合ったとき、笑っちゃったものね。なんだか嬉しくて」と、どこまでホントだかわからないけれども、たしかに心のどこかで救いがあるかもしれません。悲しいけれど、どこかでその悲しさを笑っているような。極度に悲しくなると、なぜか笑顔しか出てこないことがてりますね。あれと似た感覚がありますね。”とのこと。

長生きして呆けたら大変なので、「最後の十人で山分けする」ということに、最近、ルールを変えたとのこと。(以上)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知識と感情の濾過を通して伝達する

2015年06月26日 | 都市開教
本日のウオーキングは、午前4時20分から2時間。前夜、ウイスキーを一合で止めておくと、朝は調子がいいです。めったにないことですが。

昨25日(27.6)は、千葉県県立教育会館大ホールで、千葉組仏教婦人の設立25周年記念のイベントがあり、お寺の門信徒都合10名で参加しました。午後のゲストは歌と法話の迦陵頻伽、法話の西脇ご住職の、お話は以前聞いたことがありましたが、音楽ユニットでの法話は初めて聞きました。

音楽をはなさでいるので法話の部分が短くて、浄土真宗のエキスだけを伝えて新鮮に言葉が届きました。以前、お寺に来ていただいたり、山口の講演会でお会いしたりのご縁があって、名古屋のお土産をいただきました。当日、午後5時から都内での法話出向のため、持参していた拙著『仏さまの三十二相――仏像のかたちにひめられてメッセージ』を差し上げました。

2015年6月22日月曜日の深夜便「明日への言葉」、沢知恵(シンガーソングライター)  ・さんで「日韓を歌でつなぎたい」というテーマでの話でした。

母は韓国人、父はで宣教師として朝鮮半島全体のキリスト教研究者とのことでした。
番組の中で「父の言葉」として

「韓国を学びそれを日本に伝え、日本を学び韓国に伝えるという事は言うに優しいが、行うには至難の業である。韓国での事実をそのまま日本につたえても、ニュースには成るが、日本人の心に入ってゆく事はない。韓国を知るには、私と言う中間に立つものの屈折を経て、知識と感情の濾過を通してのみ、伝達可能になるのであろう。」と紹介していました。

その父の言葉を自分へのメッセージだと受けとり音楽で表現しているとのことでした。

そのお父さんの言葉「知識と感情の濾過を通してのみ、伝達可能になるのであろう。」ということは、浄土真宗のみ教えについても同じことが言えるのではないかと、番組を聴きながら思ったことです。

迦陵頻伽の法話は、その一表現なのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする