『進化的人間考』(2023/2/21・長谷川眞理子著)からの転載です。
三項表象の理解と共同作業
また、三項表象の理解があれば、目的を共有することができる。私が外界に働きかけて何かしようとしている。その「何か」をあなたが推測し、同じ思いを共有することができれば、「せいのっ」と共同作業をすることができる。言語コミュニケーションはその共同作業をずっとスムーズに促進させてくれるが、言語がなくても共同作業はできる。言語の通じない外国でも、衣情や身振り手振りで人々は意思疎通することができる。それは、とりもなおさず、先はどの「私は、あなたが何を考えているかを知っている、ということをあなたも知っている、ということを私は知っている」からだ。
チンパンジーは、みんなでサルを狩るなど、共同作業に比えることをする、しかし、本当に意思疎通ができた上での共同作業ではないらしい。他者が何をしているかを推測することのできる高度なコンピュータが、その知識をもとに互いに勝ってに動いているというほうが、彼らの行動をよりよく描写していると私は思う。
共感の脳内基盤
ヒトが他者に対して協力的に振るまうことの基本に、共感という感情がある。他者の思いを自分のものとして感じる能力である。共感の脳神経基盤について、近年、多くの研究がなされた結果、興味深いことがわかってきた、
他個体が痛みを感じているのを見ると、自分も同じよう痛みを感じる。これを情動伝染と呼ぶ。これはネズミでも見られる。社会生活を送る動物にとって、他行の感情状態は貴重な情報なのだ。身近にいる他個体が恐怖や痛みを感じているのであれば、自分もそのような状態になる確率は高い。そこで、他個体の感情状態を自らに挿人することができれば、よりすばやく事態に対応することができるだろう。情動伝染は、そのような適応度の利点があるので進化したと考えられる。
ヒトでは、自分が肉体的な痛みを感じている時に活動する脳部位と、他者が肉体的な痛みを感じているのを見た時に活動する脳部位とは同じである。情動伝染は、同じ脳部位か活性化することで起こっているのだ。また、自分か肉体的な痛みを感じている時に活動する脳部位は、自分か社会的な痛みを感じている時に活動する部位と同じである。他者からいじめられる、意地悪をされる、悪口を言われる、阻害されるなど、肉体的ではないが損害を受けた時に感じる「痛み」は、まさに肉体的な痛みと同じなのだ。
ところが、他者がそのような社会的痛みを感じているのを見た時に活性化する脳部位は、これらとは異なるのである。この時は単純な精動伝染ではなく、高度な情報処理にかかわる前頭前野が活動している。つまり、自己と他者は別であることを認識し、自分に起こったことではないことを承知した上で、他者の状態を想起し、同情しているのである。これを「認知的共感」と呼ぶ。
ハンナ・アーレントは、自己と他者を同化して自動的に感じる同情と、自己と他者が異なることを認識した上で他者に対して感じる同情とを区別したが、それは正しかったのだ。
認知的共感は、ヒトをヒトたらしめている能力の一つに違いない。競争的状況において自己利益の最大化を目指すのは動物一般にとって「合理的」な行動だが、ビトは常にそうするわけではない。
ヒトは「超」がつくほど向社会的で他行に協力する、その心的基盤は認知的共感能力にあるのだろう。(以上)