仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

絶対領域って?

2012年03月03日 | 日記
NHKラジオ番組で「今、この新語・流行語にこだわると、世の中少しは見えてくるかも」で始まる「当世キーワード」という番組があります。

今朝(24.3.3)ラジオでその番組を聴いていると「絶対領域」という、何やら宗教めいた言葉が紹介されていました。この言葉は、若者言葉でショートパンツ・ミニスカートと、ひざ上までの長さのあるソックス(サイハイソックス)との間から露出する太ももの部分だという。

女性の身体、露出する部分の違いによって男性の興味の対象も違ってきます。番組を聴きながら、たまたま昨日読んでいた『偏見の構造―日本人の人種観―』(1967年・NHKブックス・我妻洋・米山俊直)にあった性的美意識の白人について書かれた部分を思い出しました。


現代の日本において、白人に少しでも似ている方が、日本人の容貌にとっても好ましいと考えられているのは、二重瞼と高い鼻筋だけではない。そもそも女性のヒップだのバストだのの寸法を取沙汰するのは、西欧の白人の間に、特にアメリカ人の問に生じた習慣である。身体上の起伏を消してしまう着物を着ていた日本の女性については、胸の大きさだの腰の細さなどが、少なくとも容姿の外見の条件としては、あまり問題にされないのが、日本の伝統であった。

豊かな乳房は、女性の象徴ではなく、母性の象徴であり、それ故に、一時代前までは、乳児にふくませるために、多くの母親が、電車の中や客人の前でも、乳房を露出することをためらわなかったし、男性にとっても、それは、性的な刺激とは考えられなかった。女性の胸とか腰とかが、もともと男性の眼に性的な刺激価を持つのが自然であるとしても、日本のばあい、胸や腰の“刺激価”は否定されて(人々の意識下に抑圧されて)いたともいえる。そして、その代用として(あるいは、抑圧された刺激価が転位して)、女性の襟あしやウナジの肌や形状が、(そして時には着物の下にのぞいた素足なども)、しばしば男性にとって、性的刺激価を持つものとされていた。…これは、明らかに、日本人の性的美意識の西欧化である。(以上)


表記の本の現代とは、1960年代のことですが、面白い指摘です。私の中学時代まで(昭和45年ころ)は、農家のおばさんは、腰巻ひとつで、乳房をあらわにして軽作業をしていたし、またお説の通り、公然を乳房を出して赤ちゃんに母乳を与えることも普通でした。

性的美意識も環境因子によって変動するところが、人間の実態をしめしていて面白いと思います。

へそを出したり太ももを出したり流行は止まりません。浄土真宗的にいえば、不変の絶対領域は、人間は凡夫であるということでしょう。
コメント
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