仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

抜猛虎髭 

2013年12月31日 | 日記
熊本の友人から、時々、めずらしい焼酎が送られてきます。いつも焼酎に熨斗が巻かれており、ひとこと言葉が添えられています。このたびの焼酎には次の言葉がありました。

抜猛虎髭 截蒼龍角
聯頌詩格(れんじゅしかく)愚弟〇〇

創作か、またそのような言葉があるのか不明ですが「猛虎のひげを抜き 蒼龍の角をたつ」と読むのでしょう。勇ましい言葉ですが、“猛虎のひげを抜き 蒼龍の角をたつ”ときの心境は、常に緊張感をもって一瞬の油断もなく事に当たれということでしょう。

一年を振り返って、このブログがあるから、毎日ある程度、緊張感をもって過ごせたように思われます。感謝。
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『聖☆おにいさんで学ぶやさしい仏教入門』

2013年12月30日 | 仏教とは?
拙著の書評を探していたら、ユニークなブログ
(http://shakushoushin.blog134.fc2.com/blog-entry-312.html)がありました。

タイトルは『
『聖☆おにいさんで学ぶやさしい仏教入門』です。以前、中村光先生の超人気漫画『聖☆おにいさん』のことを紹介したことがあります。その折、私も第一巻を購入して読みました。お釈迦さまとキリストさまが、現代の生まれ変わって一緒に下宿するという内容です。

この漫画を題材に仏教を説くというのが前記のブログです。拙著を写真入りで紹介して下さっています。

以下は、そのブログの転載です。実際のブログは写真入りで、丁寧です。一度、お寄り下さい。


『聖☆お兄さんで学ぶやさしい仏教入門』第二回です。

今回のテーマはブッダの眉間についているポッチでございます。

『聖☆お兄さん』では
押されると超痛いブッダの弱点
として描かれていまして、小学生やサラリーマンに押されてしまい戸惑う姿が描かれていますが、元はもちろんそういうものではありません。

このポッチ、その名を白毫(びゃくごう)といいまして、実はコレ



なんです。
「ん?毛?」

と思いましたか?
そうです、毛です。髪の毛とか、脇毛とか、脛毛の毛です。

しかもこの白毫は一本の毛なんです。
長さ一尺五寸=4.5メートルの毛が右巻きにマキマキされたものがこのポッチなのだとか。

『観無量寿経』には
「眉間の白毫は、右に旋りて・・・」(眉間にある白毫は右巻きで・・・)
とありますし

『大般若経』には
「眉間に白毫相あり、右にめぐりて柔軟なること・・・」(眉間には白毫がある、右巻で柔らかい・・・)
とあります。

仏様には見てすぐにわかる普通の人間との違いが32種類あり。(三十二相)
見てすぐにはわからないけれど、普通の人間とは違う特徴が80種類ある。(八十種好)
と言われています。

その32種類の特徴の一つとして、このポッチ、つまり白毫があるわけなんですね。
この三十二相に着目したネタは『聖☆おにいさん』の中に散在しますので、またそれぞれについて触れようと思います。

ほらほら、大仏さま(毘盧遮那仏・びるしゃなぶつ)にもあります。

もちろん、阿弥陀様にもあるんです。

というわけで、仏様の特徴なので、仏様にはみんなこの白毫があるわけです。(せんとくんは仏様ではありませんが)
ちなみに「右巻き」をリアルに表現していたのはコレ

なんと・・・

せんとくんは結構忠実に経典再現してるんですね。
(角生えてるけど・・・)

しかし、何故また仏様はこんなヘンテコリンな姿をしているのでしょうか?

西原祐治氏の『仏さまの三十二相』によると
「仏の三十二相の姿は、それぞれの姿の上に籠められている仏さまの願いや働きを表しています。」
とあります。

つまり、仏さまの姿の特徴にはそれぞれに意味があるわけで、逆にその意味を姿として表現しようとした時にこのような独特な表現になったということですね。

この白毫にも意味がありまして、仏様はこの白毫から光明を放ち衆生を照らすのだそうです。
光明というのは智慧の象徴ですので、全ての衆生をその智慧で照らすための特徴がこの白毫だということですね。

仏画でもこの白毫が光ってる姿がよく描かれていますので、仏画を見たりするときは注目して見てください。
また仏像ではその光明を表現するために宝石を埋め込んでいるものもあります。

続いて西原氏はこう書いています。

「経典のうえに説かれる仏の姿には、現代にあっては常識はずれの表現も多くあります。私たちの苦しみは常識では割り切れないところにあります。私たちが拠り所としている常識は、苦しみ悲しみのなかにあっては救いとはなりません。仏像の表現が常識はずれであればあるほど、深い内容をもっていると思ったほうがよいでしょう。」

つまりは、私たち人間の苦しみを救うための特徴が、このような仏さまの姿として表現されているわけです。

「仏像ブーム」で仏像を見に行く人が多いと聞きます。
仏教のことは良くわからないけれど、仏さまを見たいと思う人が多くいるのも、この仏さまの姿に秘められている優しさを感じるからなのかもしれませんね。

おあとがよろしいようで。
また次回。
(以上)
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浄土真宗の正月飾り

2013年12月29日 | 浄土真宗とは?
理容店へ行き「年末は混むでしょう」と聴くと、「いや、普段と何ら変わりません。正月だからと言って、あらたまることがなくなりました。美容室なんかは、暮れは日まで休むところも結構あります。」とのこと。正月だからと言って、身だしなみを整えることがなくなったようです。

正月の浄土真宗のお荘厳(お正月飾り)については、以前、書いたことがあります。参考にしてください。
(参照http://www.jade.dti.ne.jp/~otera/syougatu.htm)

先日、法要に出勤すると、仏壇内のお供物をの下に敷く半紙、敷き紙(中折れ紙)の方向について尋ねられました。お供え物の下に敷く半紙は、とがった方が手前で、手前に折ってできる山の左側が上になるように折るのが慶事の折り方です。葬儀などはその逆に折ったりします。

お供えを載せる三方(さんぼう)という供物台は、。上部には縁がありサクラの皮などでとめてあります。縁の止めてある部分を手前にし、止めてないほうが仏様に向けます。下の台の部分は穴の面が手前と左右になるようにします。

「正月はどんな意味があるか」ではなく、「私のとって正月はどのような意味があるか」が重要です。
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拙著の書評④

2013年12月28日 | 日記
少し古い貴寺ですが、拙著の書評です。掲載『仏教タイムス』

http://www.bukkyo-times.co.jp/cn28/pg127.html

西原祐治
『苦しみは成長のとびら―仏教者からの処方箋』
太陽出版

 都市における現代人への開教は、どうあるべきか。浄土真宗東京ビハーラ会長を務め、自らの都市開教寺院を18年前に立ち上げた著者が、そのアプローチの手法として苦しみに寄り添うという仏教本来の伝道の原点を示したのが本書だ。

 様々な時事を通して、仏教的視点から苦しみの原因とは何か、苦しみの底に見える光とは何か。仏教者から現代人へのメッセージとなっている。

 苦しみの底にある、もっと深い領域に横たわっている苦しみの原因が、仏さまや聖者の言葉にふれることによって、自身の中にある闇として洞察されていく。ここに根本的な苦しみから解放されていく糸口がある。一般に難解な仏教用語を解説するのではなく、あくまでも仏教の視点から苦の原因を解き明かすことに主眼が置かれている。

 自分の闇が明らかになることで和らげることができる。「苦しみを通して洞察される無力体験こそ、自己超越のターニングポイントとなる」と説く著者。苦を契機に、自分の中の闇と光を見つめ直すことが、苦から解放される仏の道であることに気づかされる。

 本書では、個人の悩みや苦しみにいかに答えていくか、人生相談形式の思考実験も試みられている。自分ならばどう答えるか。短い相談の文面であっても、そこから仏教的視点でこれ程の洞察が得られるのか、と教えの応用とも言える回答に頷くばかりだ。
(四六判・204頁・価1365円)
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職業よりも生き方が称賛される?

2013年12月27日 | 日記
実家(松戸市天真寺)へ寄ると、配布物コーナーにいつも「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」が置いてあります。

その雑誌が「日本フリーペーパー大賞2013」で特別賞を受賞したと『中外日報』(2013.12.19号)に掲載されていました。

その記事によると、

「一般の人に僧侶は葬式をするだけではないことを理解してもらおうと、平成21年8月に創刊。偶数月の1日に発行し、関西、関東の寺院などに置かれている。    ’
 編集長は輪番制で、各自が独自色を出して編集に当たる。今月発行された第26号は、日本文学を専攻する女子大学生が編集長。巻頭特集は「お坊さんはなぜカッコイイのか?」。編集長自身が格好いいと思う僧侶にインタビューし、「お坊さんとは、職業ではなく生き方だと思う。その生き方が我々と違うから惹かれる」と結論付ける。このほか、漫画や精進料理レシピ、仏教体験行事の案内などを収載する。」

とあります。そ記事を読みがら、あらためて現代社会は「職業よりも生き方」に魅力を感じる社会なのだなーと思いました。

オリンピックを目指す人も“国のため”というよりも“私のため”で、それが結果として国のためになればいいといった感覚です。国のため、会社のためといった生き方は、少しかっこ悪く映っているのかも知れません。

こうした生きる座標軸が自分自身である生き様は、格好がいいのですが、非常に不安定ですもあります。決して非難しているのではなりません。その不安定さを知っていることが重要です。

私の生き様ならば「不倫もよし」「シングルマザーも良い」となる傾向があります。“職業よりも生き方”が称賛されるように“生き方よりも職業に生きる”生き方も称賛されることを望みます。

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