仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

念仏宗無量寿寺って?

2014年03月31日 | 新宗教に思う
昨日(26.3.30)産経新聞の三面記事の片隅に「2300年の歴史を今に! スリランカへの仏教伝来時の仏舎利、兵庫・加東で開帳」という報告記事がありました。2週間くらい前、念仏宗の全面国国を掲載していたのお愛想の帳尻合わせでしょう。

記事は「 スリランカへの仏教伝来の際にもたらされた仏舎利が29日、兵庫県加東市の念仏宗総本山無量寿寺(むりょうじゅじ)「仏教之王堂」で開帳された。スリランカの僧侶やきらびやかな衣装を身につけた仏舎利守護官「ニラメ」らによる儀式が行われ、大勢の信者らが拝観に訪れた。」というものです。

以前から、派手にお金を使って伽藍を建築していたので、“????”と思っていましたが、宗派のホームページに次のような教義であるとありました。

教 義

一、釈尊の教え(仏教)、即ち『仏教経典』を基とし、『念仏』を依処とする。

二、仏教は智慧の宗教である。
仏教の目的とは、智慧の完成(般若波羅蜜)、阿耨多羅三藐三菩提、無上正等覚、無上正遍智、即ち『大涅槃』を目指す。

三、人としての道『四恩』を大切にする。
私たちは生かされているということを、自覚する。
 四恩とは、
(一)「父母の恩」  父母に孝養を尽くす。
(二)「衆生の恩」  生きとし生けるものに感謝。
(三)「国王(社会)の恩」  社会の規則を守り、務めを果たす。
(四)「三宝の恩」  三宝(仏・法・僧)に帰依。

四、和国の教主、聖徳太子の『十七条憲法』の精神により、三宝を敬い、
「和」を基とし「信義」「礼節」を重んじ、人の範となること。
「和」の心をもって、信頼を裏切らず、誰に対しても礼儀正しく接することは、人としての基本である。(以上)

教団の内容は、黒い部分が沢山あるようです。以下もネットからの転載です。


念仏宗 無量寿寺についてお聞きします
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1230262227

回答転載

嫌々信者のひとりです。
彼氏さんの気持ちはものすごくよくわかります。
先に回答されている方のおっしゃるとおり、30年ほど前に出来た新興宗教です。
開祖はサイコロ占いで訴訟を起こされた福井真尚(久世太郎)という人物です。
教団のトップは開祖と善智識とよばれる3人です。
カルトといって差し支えない団体です。

この教団の一番の特徴は金がかかることとその選民思想。
済度(いわゆる入会儀式)を受けるときで40万近くかかります。
その後は、会員代が月2000円、布施の月が年2回で1回最低1万円。
ですが、これはあくまで建前です。
なんだかんだと金を搾り取られていくことになります。
数年で家一軒分くらい支払わされているところもありますよ。
万札以外は金じゃないと言わんばかりの対応です。

あと選民思想ですが、この教団との縁に会った人間しか救われないとしています(一応本尊が阿弥陀仏のくせに)。
一応、他宗派を否定しているわけではないです。
他宗派の開祖(最澄やら日蓮)を持ち出してきて、実はこの人たちもこれを信じてたんだ、その証拠に云々と言った話をしょっちゅうしています。
ようは自分の権威付けですね。

まあ、今は自分のとこにしか本物はないと言ってるので他宗派を否定しているも同然なんですが。
ただ、東本願寺の大谷派を目の敵にしているようです(2chなんかで否定的なレスには大谷派の坊主が妬んで云々書き込まれます)。
ターゲットは金持ちばかりです(彼氏さんの所も自営業ではないですか?)。
勧誘方法がえげつなく、京都に行けば言い話が聞けるからとか仏教の真髄が聞けるとか言って直前まで名前は名乗りません。
京都に行く前に面接があります。

一応その面接に受からないと京都で済度を受けれないことになっていますが、早い話洗脳しやすい人間か、肩書、家族構成等を見ているだけと考えていいと思います(最近はノルマが厳しいのか誰でもいいとなりつつあるようです)。
面接に出す書類には家族構成を洗いざらい書かせられます。
これは次の済度ターゲットを確認する意味あいも有ると思います。
あと取引先からや上司(社長)が勧誘してきてなかなか断れないというパターンも多いようです。
儀式の内容はほとんど洗脳のようなものです。

日程は2泊3日。
内容は仏教についてとやらの話(ようは自分とこの教団がいかに正当かを語る)と夜にかけて行われる儀式です。
関係者の手前抜けるわけにもいきませんから、かなりきついですよ。
ほぼ丸一日拘束されるわけですから判断力も鈍ります。
仏になった証として「太陽が直視できる」「空中に仏が見える」「遺体が金色になる、腐らない」等が言われます。
実際に「太陽直視」と「空中の仏」は儀式の次の日に実践させられます。
そこで素晴らしいでしょう素晴らしいでしょうの信者の攻撃。
別に普通の人間でも出来るんですが・・・
「太陽直視」はお勧めしませんが、「空中の仏」は晴れた日の青空をポーっとみてると光の粒がたくさん動いているのが見えます(どこが仏?と言いたくなりますが)。
それと儀式のことは家族であっても他言無用、話せば救われなくなると言っています。
儀式前に絶対に他言しませんと鈴を鳴らし誓わされます。
夜の時間帯に狭い部屋で行われるだけでも普通は不安になるものなのに、更にですからね。
意志が強い私でさえも妙な不安感に襲われましたから、意志の弱い人間なら間違いなくやられるでしょうね。
詳しいことはwikiや2chで「念仏宗」か「無量寿寺」で検索されるといいと思います。
あと以下のような掲示板もあります。

http://b5.spline.tv/shiritai/
http://jbbs.livedoor.jp/study/9581/#1
本ですと関西に蠢く懲りない面々(講談社α文庫)が詳しいかと思います。
よほど都合が悪いのかネットは嘘ばかりなので見るなと言われます。
まあ、儀式の内容丸々2chなんかで暴露されてましたからね。

彼氏さんも大学生なら金銭的にもまだ自立は厳しいでしょうし、相当ストレスを感じていらっしゃるでしょうね。
お二人ともまだ若いようですし、先のことはわかりませんが、この教団とは関わりにならないことを勧めます。
表向きはダライラマをはじめとした海外の仏教関係者を持ち出したり、本山完成で新聞広告を大々的に宣伝したりと、一見華やかですが、その影では数十万単位の寄進をさせられたりとかなり泣かされている人がいます。
入れあげている本人だけなら勝手にどうぞと言いますが、そのご家族や社員のことを考えると胸が痛みます。
それと確たる証拠はありませんが、どうも後ろ暗い面々とのかかわりも噂されてますし、近づかない方が無難かと思います。

追加:信者は念仏宗に関わることでなければ、普通の人、感じが良い人は結構多いと思います。
知恵袋は大丈夫だと思いますが、2chをはじめとした掲示板に書き込まれるときは個人情報には注意してください。
批判的な掲示板を監視しているようなので家族構成や出身なんかで身元がわかる可能性がありますので。(以上)

このような教団の広告や活動記事を出すと新聞社の体質が問われます。
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物思いやる心

2014年03月30日 | 日記
『読売新聞』の読者投稿(26.3.26)に、次のような“物思いやる弟の一言”執筆がありました。(以下新聞より転載)

一人暮らしをしている弟の家を訪ねると、ちょうど洗濯物を畳んでいるところだった。7年前に母が亡くなるまで、家事を全くしたことがなかった弟だが、今では何でも自分でできるようになっている。‐
 服を畳んでいた弟は襟元が破れているTシャツを見つけ、ゴミ箱に捨てた。 私が「せっかく洗濯したのに、時間がもったいなかったね」と話しかけると、「捨てる前だからこそ、洗つてあげてよかったんじゃない」。思わぬ答えが返ってきたので、私は驚いた。
 2人の子どもを抱えて、毎日の家事をなるべく手早く済ませようとしている私。でも、普段使っている物に対して、もう少し思いやりの気持ちを持ってもいいのかもしれない。弟のふとした言葉で、自分の生活を振り返ることになった気
がした。  (東京都小平市。     土田愛理 44)

“物によって心が育まれていく”
逆に使い捨てによって、心が貧しくなっていく。そう思います。
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ルワンダ―大虐殺から20年

2014年03月29日 | 日記
昨日(26.3.28)『読売新聞』に“”ルワンダ奇跡の高成長―大虐殺20年・悲劇の集落 養豚に希望”という記事がありました。

ルワンダ大虐殺は、1994年4月6日、フツ族のビャリマナ大統領が乗った飛行機が撃墜されたのを機に、フツ族強硬派が「報復」を叫び、翌7日からツチ族とフツ族穏健派を手当たり次第に殺害。犠牲者は3か月で80万人を超えた事件です。
 新聞には、次のような出来事が記されていました。

部族間のしこりは20年たった今も残り、民間レベルでも和解に向けた取り組みが行われている。 この集落で生まれ育ったアウグスチンさんとシリディオさんは、互いの家を行き来す家族ぐるみの付き合いだったが、1994年4月14日を境に、被害者と加害者になった。その日朝、フツ族武装集団や軍人によるツチ族住民の虐殺が始まり、アウグスチンさん一家は散り散りに逃げた。 近くの茂みに隠れた当時45歳の姉は、軍人に見つかりナタで殺害された。その軍人に「見つけたぞ、ここにいるぞ!」と教えたのは、シリディオさんだった。姉が殺される様子を少し離れた茂みから見ているしかなかったアウグスチンさんは、「みんな目を充血させ、まるで獣だった」と振り返る。姉の最期の叫び声が今も頭にこびりついている。

 シリディオさんは、「ツチ族は国家の敵」という扇動を信じていた。その後、ツチ族主体の武装勢力に追われ、夕ンザニアに逃亡したが、ルワンダに帰国した96年に逮捕され、虐殺に加担した罪で服役した。2003年に釈放されたが、アウグスチンさんの姉がいつも夢に現れ、苦しかった。罪の意識は消えず、報復も恐かった。キレヘに戻ってからもアウグスチンさんを見かけると身を隠した。
 シリディオさんは「このままでは生きていけない」と、被害者にどう謝罪するかを話し合う民間団体の会合に参加した。07年、意を決してアウグスチンさんを訪ね、「お姉さんの殺害に加担したことを謝罪させて下さい」と伝えた。同時に、まだ罪を問われていない加害者の名前も教えた。

 許しは期待していなかったが、返ってきた言葉は、「永遠に許します」。その瞬間、涙があふれた。アウグスチンさんは、「危険を顧みず、ほかの加害者の名前を挙げた彼の謝罪
は本心だと思った」と話した。(以上)


「永遠に許します」、なぜこのような言葉を言えたのだろうか。おそらく姉を失った悲しみは、姉を失った悲しみにとどまらず、争うあうことの悲しみ、人間であることの悲しみまで深まっていったに違いない。自分自身もその悲しみの濁流の中にある。また姉の存在を知らせた彼女も子の濁流の中にある。ともに悲しみの存在であるという思いがあったに違いない。
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名残惜しくおもえども

2014年03月28日 | 日記
熊本の友人が一昨日浄土往生をとげた。「名残惜しくおもえども娑婆の縁つきて」は『歎異抄』にある聖人の言葉ですが、送る側としては残念です。今さらながら自分が凡夫であることが思念されます。

1日にお見舞いに行く段取りだっただけに、死を告げられて一期一会であることが身に沁みます。といってフイルムの逆回転みたいに過去に戻れたとしても、自分の歩みは同じに違いない。「こうしておけば」と残念がる思いそのものが、自分を高く「できる側」に置いて考えている凡夫としての相(すがた)があるようです。

昨年の12月31日、下記のようなことを記しています。

熊本の友人から、時々、めずらしい焼酎が送られてきます。いつも焼酎に熨斗が巻かれており、ひとこと言葉が添えられています。このたびの焼酎には次の言葉がありました。

抜猛虎髭 截蒼龍角
聯頌詩格(れんじゅしかく)愚弟〇〇

創作か、またそのような言葉があるのか不明ですが「猛虎のひげを抜き 蒼龍の角をたつ」と読むのでしょう。勇ましい言葉ですが、“猛虎のひげを抜き 蒼龍の角をたつ”ときの心境は、常に緊張感をもって一瞬の油断もなく事に当たれということでしょう。(以上)
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南无と南無

2014年03月27日 | セレモニー
最近、「南無阿弥陀仏」と書くときに「南无」と表記することが多い。親鸞聖人は、「南无」と表記していたからです。まず文字の校異について、


「无」と「無」ですが、『蓮如上人御一代記聞書』第24条にて触れられています。

一、のたまはく、「南无」の字は聖人(親鸞)の御流義にかぎりてあそばしけり。「南无阿弥陀仏」を泥にて写させられて、御座敷に掛けさせられて仰せられけるは、不可思議光仏、無碍光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり、しかれば南無阿弥陀仏を本とすべしと仰せられ候ふなり。

しかし蓮如上人は、楷書以外は「南無」で認められています。本願寺派は、聖典すべてが南無阿弥陀仏で「南无」で検索しても出てきません。本願寺派も、お代替わりで「南无」に統一してくれればと思います。
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