われ思うゆえに仏ありと人はいえど仏ましませばこそおがみまつる
[
藤秀翠(ふじ しゅうすい)]『仏教和歌選集』(百華苑刊・本多克英編)より。
[一九一〇~一九八三]石川県に生まれ広島・徳応寺へ入寺。浄土真宗僧侶。昭和五十一年、本願寺派教育助成財団名誉総裁賞受賞。著作『藤秀翠選集(全八巻)』ほか
生き物の進化は、億単位の時間を必要としているが、退化は生き物の進化の単位から言えば一瞬だ。
進化といえば、メキシコ湾とカリブ海が交わるホルボッシュ島の鍾乳洞内に目が退化した珍しい魚がいる。洞窟内が真っ暗なため、何万年という長いあいだ生活しているうちに目の働きが必要なくなり退化したのだそうだ。
魚だけでなく、まったく光のない世界に棲む虫たちには目が退化している生き物が多くいる。
通常、光のある世界では、目が見えない劣性遺伝は、存続が難しく子孫が繁栄しない。しかし、暗闇では目が見えないという劣化遺伝子の存続を許し、遺伝子レベルで次世代に引き継がれて行く。
目が見えることは、目自身が勝ち取ってきた成果ではなく、光によって育まれてきた結果だ。こころの目を開くということがある。こころの目もやはり、こころ自身の力ではなく、他にこころの目を開く作用があったに違いないと考えたのが仏教の歴史でもある。
仏を見る力のない私が、仏に育まれ仏を拝するこころが備わり、仏から発せられるメッセージを知り得る。如来を仰ぎ見ることの中に躍動している仏力が思われる。
げんげもつゝじも時と咲きいでゝ仏生まるゝ日に逢はんとや
[正岡子規(まさおか しき)]『仏生会』(子規全集第六巻)より。
[一八六七~一九〇二]俳人・歌人。愛媛の生まれ。俳句革新に着手し、俳誌『ホトトギス』により活動。句集『寒山落木』、歌集『竹の里歌』、俳論『俳諧大要』ほか。
ただ一度の人生を、仏のみ教えに遇うためのいのちであったと受け止める。これが仏教者の生に対する態度だと聞く。しかし実際は、目先のことに始終して仏とは無縁な闇の中に埋没している。
眼の不自由な人が手で触れて物を知るように、闇の中で念仏に触れると仏徳が知られる。
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藤秀翠(ふじ しゅうすい)]『仏教和歌選集』(百華苑刊・本多克英編)より。
[一九一〇~一九八三]石川県に生まれ広島・徳応寺へ入寺。浄土真宗僧侶。昭和五十一年、本願寺派教育助成財団名誉総裁賞受賞。著作『藤秀翠選集(全八巻)』ほか
生き物の進化は、億単位の時間を必要としているが、退化は生き物の進化の単位から言えば一瞬だ。
進化といえば、メキシコ湾とカリブ海が交わるホルボッシュ島の鍾乳洞内に目が退化した珍しい魚がいる。洞窟内が真っ暗なため、何万年という長いあいだ生活しているうちに目の働きが必要なくなり退化したのだそうだ。
魚だけでなく、まったく光のない世界に棲む虫たちには目が退化している生き物が多くいる。
通常、光のある世界では、目が見えない劣性遺伝は、存続が難しく子孫が繁栄しない。しかし、暗闇では目が見えないという劣化遺伝子の存続を許し、遺伝子レベルで次世代に引き継がれて行く。
目が見えることは、目自身が勝ち取ってきた成果ではなく、光によって育まれてきた結果だ。こころの目を開くということがある。こころの目もやはり、こころ自身の力ではなく、他にこころの目を開く作用があったに違いないと考えたのが仏教の歴史でもある。
仏を見る力のない私が、仏に育まれ仏を拝するこころが備わり、仏から発せられるメッセージを知り得る。如来を仰ぎ見ることの中に躍動している仏力が思われる。
げんげもつゝじも時と咲きいでゝ仏生まるゝ日に逢はんとや
[正岡子規(まさおか しき)]『仏生会』(子規全集第六巻)より。
[一八六七~一九〇二]俳人・歌人。愛媛の生まれ。俳句革新に着手し、俳誌『ホトトギス』により活動。句集『寒山落木』、歌集『竹の里歌』、俳論『俳諧大要』ほか。
ただ一度の人生を、仏のみ教えに遇うためのいのちであったと受け止める。これが仏教者の生に対する態度だと聞く。しかし実際は、目先のことに始終して仏とは無縁な闇の中に埋没している。
眼の不自由な人が手で触れて物を知るように、闇の中で念仏に触れると仏徳が知られる。