仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

光 風のごとく

2013年07月31日 | 日記
われ思うゆえに仏ありと人はいえど仏ましませばこそおがみまつる

藤秀翠(ふじ しゅうすい)]『仏教和歌選集』(百華苑刊・本多克英編)より。

[一九一〇~一九八三]石川県に生まれ広島・徳応寺へ入寺。浄土真宗僧侶。昭和五十一年、本願寺派教育助成財団名誉総裁賞受賞。著作『藤秀翠選集(全八巻)』ほか


 生き物の進化は、億単位の時間を必要としているが、退化は生き物の進化の単位から言えば一瞬だ。
 進化といえば、メキシコ湾とカリブ海が交わるホルボッシュ島の鍾乳洞内に目が退化した珍しい魚がいる。洞窟内が真っ暗なため、何万年という長いあいだ生活しているうちに目の働きが必要なくなり退化したのだそうだ。
 魚だけでなく、まったく光のない世界に棲む虫たちには目が退化している生き物が多くいる。
 通常、光のある世界では、目が見えない劣性遺伝は、存続が難しく子孫が繁栄しない。しかし、暗闇では目が見えないという劣化遺伝子の存続を許し、遺伝子レベルで次世代に引き継がれて行く。
目が見えることは、目自身が勝ち取ってきた成果ではなく、光によって育まれてきた結果だ。こころの目を開くということがある。こころの目もやはり、こころ自身の力ではなく、他にこころの目を開く作用があったに違いないと考えたのが仏教の歴史でもある。
仏を見る力のない私が、仏に育まれ仏を拝するこころが備わり、仏から発せられるメッセージを知り得る。如来を仰ぎ見ることの中に躍動している仏力が思われる。


げんげもつゝじも時と咲きいでゝ仏生まるゝ日に逢はんとや

[正岡子規(まさおか しき)]『仏生会』(子規全集第六巻)より。

[一八六七~一九〇二]俳人・歌人。愛媛の生まれ。俳句革新に着手し、俳誌『ホトトギス』により活動。句集『寒山落木』、歌集『竹の里歌』、俳論『俳諧大要』ほか。

ただ一度の人生を、仏のみ教えに遇うためのいのちであったと受け止める。これが仏教者の生に対する態度だと聞く。しかし実際は、目先のことに始終して仏とは無縁な闇の中に埋没している。
眼の不自由な人が手で触れて物を知るように、闇の中で念仏に触れると仏徳が知られる。
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アンパンマンの心②

2013年07月30日 | 日記
雑誌『ユリイカ』(25.8月号)“特集 やなせたかしーアンパンマンの心”は、アンパンマンについて種々説かれています。“みなん大好き『それいけ アンパンマン』に心理学(横田正夫)”など哲学的視点から解読する執筆もあります。「たかがアンパンマン」ですが、奥は深いようです。

つまみ食いで拾うと、通常のヒーローものは『食う・食われる関係にある』とが多い。より強者であるヒーローが悪い敵をやっつけるという構図だ。弱肉強食の論理である。しかし、アンバンマンではこの構図か一見すると逆転している。強者であるアンパンマンが弱者である人物に食べられるからだ。ただし、ここで重要な点は、アンバンマンがみずからすすんで自分の顔を食べてもらおうと差し出すことだ。自己犠牲なのだが、そこには相手へのいたわりと愛情がこもっている。
 こうして「食う・食われる」弱肉強食の食の攻撃的な論理は無効にされ、それがそのまま「食べさせる・食べさせてもらう」という交流の論理に転換される。(福田育弘)


アンパンマンを筆頭に、アンパンマンがばいきんまんを倒すときの必殺技は自らの肉体を駆使ものばかりで、武器を一切使用しない。ここにも、やなせの厭戦思想が現れている。(暮沢剛巳)

 アンパンマンは困ったものは誰でも助ける。そしてアンパンマンが危機のときには必ずジャムおじさんが現れて、助ける。ここには何か条件があったら助けるというのではなく、無条件で助ける様子が描かれる。そしてアンパンマンとジャムおじさんは、子どもたちに頼まれるとなんでも笑顔で引き受けてくれる。そしていつも子どもたちにおいしいパンを食べさせてあげようとする。つまり、アンパンマンもジャムおじさんも、子どもたちに対して無私で接し、彼らの困難を無条件で解決し、そして食事の世話をすると卜った役目を果たしている。こうした姿は、家族として描かれているわけではないが、母親の保護し養育する役割を象徴しているように思える。(横田正夫)

そしてやなせたかしの言葉は、いろいろと紹介されているが、アンパンマンの基礎となっているのは、次の言葉だろう。

とにかくぼくは、飢えることが一番つらく正義は常に逆転する。もし本当に正義を行なおうとすれば、傷つくことも覚悟しなけばならないと痛感するようになりました。
 (やなせたかし『人生なんて夢だけど』フルーベル館)

本当の正義を貫こうとすれば、自己犠牲を伴う、仏教的にも深いものがあるようです。

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アンパンマンの心

2013年07月29日 | 日記
雑誌ユリイカ(8月号)に、特集、「やなせたかしーアンパンマンの心」が出たの購入しました。

当寺法話会に出向される大分のT先生が、いつもアンパンマンのことをお話されるので興味を持ったというところです。

ご法話では、アンパンマンマーチ

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!(以下省略)

上記の「何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」「何が君の幸せ 何をして喜ぶ 解らないまま終わる そんなのは嫌だ!」と部分を引用されて、真宗の法味を語っておられました。

上記の雑誌をよむと、アンパンマンには、すごく日本的なモノの考え方があるようです。(以下続く)
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「終活」という言葉

2013年07月28日 | 日記
以前紹介しました雑誌『終活読本 ソナエ』(創刊号)、読売新聞に下段全面に大きく広告が掲載されていたので、どうも売れているようです。編集長が知っている方なので、応援メールを送信したところ「 ご無沙汰しております。恥ずかしながら、自分の趣味の媒体を立ち上げてみました。ぜひ、応援してください。…」と返信がありました。

この「終活」という言葉。産経新聞(25.7.28)に、興味のある記事が出ていました。
下記の通りです。

梅花女子大学文化表現学部の米川明彦教授(日本語学)(58)は「婚活」が広がる理由は、「婚活]のように 「結婚活動」の4文字から2文字に縮めたことによる語感の変化と、「カツ]という音の響きにあると分析する。
 日本語には短縮することで言葉の語形が崩れ、本来の意味を軽くする効果があるという。活動も「活」の1文字にすることで、活発に動くという本来の意味が薄まり、「楽しもう」という意味合いに受け取られるようだ。
 意味が薄まると音の響きが重視されるようになる。「カツ」の音には「勝]や「喝」といった文字があり、「『たるんでいない』『自分や社会をよくしたい』という意味を連想し、頑張っている自分を認める目的で使われている」と話す。
 米川教授は「ちまたにあふれる『活』の大半は言葉遊び。定着するのは就活、婚活、終活の3つぐらい」と指摘。今後、「活」の中で淘汰が始まりそうだ。(以上)


「日本語には短縮することで言葉の語形が崩れ、本来の意味を軽くする効果がある」を読みながら、、仏教語もそうなればいいがと思いつつ「還相回向」「ゲンコウ」かと連想したことです。
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千葉県寺院数は5番手

2013年07月27日 | 日記
 『宗教年間』(平成24年度版)が届きました。毎年そう変わらない内容ですが、何か書くときの資料となるので、無駄かなーと思いつつ毎年購入しています。

全国仏教系宗教団体数をもると、千葉県(3.211)が意外と多い。一番は愛知県(5.028)、2番は兵庫県(3.704)、3番目に大阪府(4.212)、4番手に東京(3.396)、滋賀県(3.340)、千葉と続きます。

この千葉では成田山新勝寺の初詣客が明治神宮に次いで2位につけていますが、名所では、千葉県安房郡鋸南町にある鋸山(のこぎりやま)の日本寺、高さ31mもあるに日音最大の大仏様、これに匹敵する巨大な百尺観音、1,553体という世界一の数を誇る東海千五百羅漢、そして山頂展望台からの見事な展望と、子どものころ行きましたが10万坪と大きすぎて、飽きてしまったことを記憶しています。

仏さまのテーマパークという視点からみれば、日本寺は見事です。
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