法話メモ帳より
僧僕和上①
江戸時代の方でありますけれども、僧樸という和上さんがおられた。僧僕 和上は当時の新門様の教育係をしておられた。今のように交通の便利か良くありませんから毎日通うということでなしに、月のうち何日か、ご本山の前に宿をとって新門様にお勉強を教えておられました。
いつも若いか弟子を二、三人巡れては上山し、宿をとっておられました。いつものように新門様のお勉強をしてあがられたときに、たまたま本願寺の前の「常楽台」というお寺でご法座が開かれるという貼り紙を見られました。
和上は、「こうしてご本山に出て来ておりながらご法座があることを知って、このままご縁に会わないということはない。せっかくのいい機会だからご縁に会おうではないか」と弟子たちをさそってお参りされたのであります。昼は勿論新門様とのにお勉強がありますので夜分にお参りされたわけですが、何やかやと用をすませてお参りされたものですからもう勤行はすんでいました。ご法座に遅刻されたわけです。
昔のことですから一流といわれる布教使さんには必ず随行といいまして、若いお坊さんがついておったのです。そして、その布教使さんの前に時間を頂いて前席を勤め、布教の勉強をしていたわけです。
丁度僧僕和上が本堂に入られると、前座を勤めるか坊さんが「高座」に上ろうとしたところでした。すなわち、これから「高座」に上ろうとしたときに丁度僧僕和上が本堂に入られたのです。
慣れていない時には相当に緊張するものです。その若いか坊さんも相当に緊張しておって、「高座」に上ろうとした時に、僧樸和上とは知らなかったでしょうけれども、立派なお坊さんが若いお坊さんを連れて入って来られたのです。
丁度「高座」に上ったときに入ってこられたものですから 非常に緊張した。
ご讃題に
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘讐のふねのみぞ
のせて必ずわたしける(高僧和讃)
という親鷽聖人のお作りくださったご和讃を頂こうとなさったのです。昔のことですから多少「節」もついていたことでしょう。「生死の苫海ほとりなし……」と「節」をつけてご讃題を頂かれたわけです。非常に緊張していた割には、ご讃題をあげだすと思ったよりも滑らかに声が出ました。緊張して固くなっていたのに声を出してみると案外とスウッと出たのです。
「生死の苦海ほとりなし……」と緊張していてホッと息をついたものですから、後のご文を度忘れしてしまったのです。それでどうしたのかといいますと、途中からではどうしても思い出せないので、もう一度やり直したわけです。初めからいい直して「生死の苦海ほとりなし……」と今度は息を切らないように伸ばしたのですが、度忘れした言葉は出て来ません。「こんはずはない、これは緊張しているからだ。おちつけ、がちつけ」と、若いか坊さんは胸の中でいい聞かせたと思うのです。そこで、また始めから「生死の苦海ほとりなし……」といい直してみるけれども忘れたものが思い出せません。あせればあせるほど何が何だかわからなくなります。若いか坊さんは何べんも何べんも大きな声でいったり、小さな声でいったり「生死の苦海ほとりなし……」「生死の苦海ほとりなし……」とくり返したのです。
そうこうするうちに「高座」の上に坐ってうる方も苦しいけれども、聞いているお同行の方もシンドクなったというのです。何やら顔を見ているのが気の毒になり、みんな顔をみないように下を見てしまったのです。早いところ何とか思い出してくださればいいのにと下を見ていたのでしょう。何度も何度も「生死の苦海ほとりなし……」「生死の苫海ほとりなし……」とくり返されているうちに声がしなくなりました。どうしたんだろうかと一人、二人と顔を上げてみたところが、「高座」の上に座っていたはずのお坊さんがいなくなっているのです。ご讃題を途中でほかっておいてお話しするわけにもいかないし、とうとういたたまれなくなって「高座」から下りてしまったのでしょう。
後で出て来られた布教使の方が「若い時には二度、三度とあのような失敗をするものです。沢山の方々がお参りくださったのでついつい緊張して、いいお話しをしなければと力みすぎ、あんなことになってしまいましたが、あんな失敗をくり返しながらお取り次ぎできるようになるのです」とことわられて、話に入られたのです。誰も責める気はありませんから、みんな喜んでお話を間いたのです。
ご法座が終り、それはそれなりにみんな感激して帰りました。
僧樸和上も弟子を連れて宿に戻って参りました。宿に戻ると僧樸和上は自分の部屋にこもられ、ついて行った弟子達は隣の部屋で火鉢を囲んで「今日のご法話
は有難かったね。あのように話してもらうとワシらのようなものでもよくわる。ああいうふうに表現してもらうと胸にシーンとくる」と、喜んでいましたが、、中の一人が「そうはいうものの後から話した方の話は確かに有難かったけれども、前に話した若いか坊さんの話をみんなはどう思うか」と問いかけますと、みんなが「あれはケシカラン。大体袈裟、衣をつけて『高座』に上る者がお同行の人でも覚えているようなご和讃を忘れてしまうとは実にケシカラン。大体ああいうが坊さんか出て来たということ自体、ご法義が衰えた証拠だ」。今まで喜んでいたと思ったら今度はみんなでクサしはじめたのです。「自分達は衣をつけて後に坐っているだけで恥ずかしくて恥ずかしくておれなかった」ああでもない、こうでもないとクサし出したら、みんな褒めるよりもクサす方が上手ですから、かなり長い時間クサしていたようです。
その内に中の一人が隣の部屋にいる和上に声をかけました。「先生、まだ起きておられますか」というと「起きているよ」「先生は今日のご法座をどう思われますか」と、声をかけると、しばらくして和上が部屋に入って来られ、輪に入られました。
すると一人が「先生は新門様にみ教えを教えられるようお立場にありますが、そのような先生から見て、あのように「高座」に上って和讃一ついえないようなか坊さんが出て来たということをどう思われますか。」と尋ねますと、和上は「今日のご法座は有難かったね」といわれたのです。さっきからみんながさんざん悪口をいっていたものですから、たしなめられたのかなと思い「先生、確かに後の方のか話は有難かったのですが、先に話して下さった若いか坊さんをどう思われますか。話といえるような話はたかったのですが、あれを一体どう思われますか」と聞くと、和上は「後の方のか話も有難かったか、先にお話下さった方のお話も有難かったね」といわれるのです。(つづく)