仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

大川隆法の手法

2012年03月02日 | 新宗教に思う
新聞を開くと下段の広告欄に『天照大神(あまたらすおおみかみ)のお怒りについて』とありました。一瞬神社本庁関係の広告かと思いましたが“大川隆法最新刊”とあり、次に来た思いは「うまいことやるなー」でした。「うまいことやるなー」の内容は、次の通りです。

この大川隆法のこの手法は、昔から日本人がなじんできた本地垂迹(ほんじすいじゃく)ではないか。本地とは、本来の境地やあり方のことで、垂迹とは、迹(あと)を垂れるという意味です。神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論で、これを本地本地垂迹説といいます。如来、菩薩などが名前を変えて日本のいろいろな神様となって現れるという考え方です。明治になり神仏分離により衰退しました。

親鸞聖人から松下幸之助、宇宙人まで登場させ、自分の語りたいことを語る。まさに本地垂迹の手法です。

浄土真宗の伝道で、この手法を用いていいかとなると賛否両論でしょうが、末信の人への伝道方法としては、いろいろあっていいと思います。ただしその実力があればの話です。

半月ほど前にこのブログで話題となりました川上清吉先生の「葉隠」(川上清吉選集)は、浄土真宗そのものといった理解で内容を咀嚼しています。参考までに。
コメント
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