昨日の続きです。何かアドバイスになるようなものをとのことでしたので、本を送ろうと思いましたが、本はやめて手紙にしました。
ご法事の後、短い時間でしたが、御事情を少しお聞きしました。お辛い日々をお過ごしのこと、ご心痛お察し申し上げます。成長して自分で歩み始める矢先の出来事、苦しみを察してあげらなれかった後悔や自分に対する怒り、失ったことの悲しみや懺悔、解決できないその思いは、経験したことのない私の計り知れるところではないほどに深いことでしょう。
思うところを、そのまま言葉としてお伝えしますので、非礼がありましたらお許しください。
私は常々、人が存在することの不思議を考えることがあります。隣に住んでおられても、縁のない方であれば、事故で死亡しても悲しみは起きません。
しかし遠く離れていても、情の通った人であれば深い悲しみをもちます。人と人の関係は、距離の遠近や関係をもった時間の長さではなく、その人が私にどのような影響を与えた方なのかが、私にとってのその人の本質なのだと思います。
亡きお子様は、ご家族やご両親に色々なことを残されて去っていかれたことでしょう。今は思い出となっている出来事や、いま抱いている悲しみや怒り虚しさも、故人が遺してくれたことの一つ一つだと思います。その悲しみを通して、どのような世界に出会っていくかが大切です。
悲しみや苦しみには、大切な意味があります。その悲しみや苦しみを通して、今まで経験したことのない心の領域に到達していくことが、亡き子から頂いたご縁を深めていくことなのだと思います。
拙著『脱常識のすすめ』(探求社刊)のなかに、当寺会員のAさんとの出来事を掲載しています。
「Aさんは、六歳の愛児を交通事故で亡くしました。ご両親の目の前での事故、ご親族のご悲嘆はかける言葉がありませんでした。お通夜の席でのことです。
浄土真宗では、お通夜の読経のあと、法話をすることになっています。何をお話ししても、ご両親の悲しみの慰めにならない状祝でした。そのとき、ふと何かの雑誌で読んだ話を思い出し、その話をさせていただきました。
「B君が、まだ自然のふところに包まれているときのことだそうです。今度生まれることになっている子供の寿命は、六年しかないことを知った仏様が、B君に語りかけたそうです。『B君や、今度生まれることになっている子供の寿命は、六年しかないから、もっと長い寿命をもった人の上に生まれてはどうか』。
そのとき、B君は仏様にこう言ったそうです。『仏様、ぼくはたとえ六年間であっても、あのお父さんと、あのお母さんと、あのおばあちゃんと、あのおじいちゃんと、そしてあの家族のいる家に生まれたい。そして六年間仏様のお仕事のお手伝いをしてきます』。
そして月が満ち、この世に誕生し六年間、仏様のお仕事をして帰って往かれた。その仏様のお仕事とはなんであったかを聞いていくということが供養ということです。
控え室に帰戻ってしばらくすると、ご両親が挨拶にこられました。目には涙をいっぱいためておられます。そしてご主人が声に力を入れて言われました。『ありがとうございました。Bが浮かばれます。仏様と受け取ります』。
その後、このご夫婦は、阿弥陀如来とのご縁を強くもたれるようになりました。法話会がある日には会社を休み、一番前で聴間し、仏教書や法話の録音に耳を傾ける。今まで当たり前と思っていたことが、大変な価値のあることであったと、人生観が一変したと言います。
車のなかで、仏様の話を間きながら、『こんな世界もあったのか』と涙したとも聞きます。三か月ほど経ったある日のこと。一緒にお茶を飲んでいると、『あの子は、何が太切かを教えにきてくれた仏様かもしれません』とも言われました」(以上)
『涅槃経』に“人類が悲しみと苦しみのなかで流した涙は、大海の潮より多い”とあります。そうした悲しみの涙の中で、多くの人が生と死を超えた優しさや智慧に寄り添い悲しみの中にある私を生き抜いてきたのだと思われます。
亡きお子さんは手の届かない遠いところへ行ってしまったのではありません。あなたが悲しみに涙するとき、その涙を流させた存在として、思い出に潤うとき、思い出を共にした存在として、もし悲しみを通して悲しみを超えた大きな世界に開かれるとき、そうした世界に導いてくれた存在として、身近に寄り添ってくれています。
もしメールでよろしければ、お話をお聞きします。nishihara@jade.dti.ne.jp
どうぞ御身体ご自愛ください。
西方寺 住職