仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

東北道はボランティア渋滞だそうです

2011年04月30日 | 日記
昨夜(23.4.29)のニュースで、大型連休初日、東北道のボランティア渋滞の様子が報道されていた。東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島県で活動するボランティアは、発生以来、延べ13万人を超え、大型連休中には1日あたり約3倍となる8000人が被災地で活動する見込みであると昨日の読売新聞に掲載されていました。

ここまで来ると、ボランティアも文化として、「なぜボランテイアなのか」と問いたくなる。ボランティア活動そのものに、生きがいと言うか生きている実感見たいなものを見出そうとしているようにも思われます。

日常の仕事が、ますます組織の歯車化していて、全体とつながっている実感がもたなくなったからだろうか。それとも人のために成っているという実感を欲してのことだろうか。もちろんそうした意識は本人にはない。意識の深いレベルで人と人とがつながっていることの安心感があるのかもしれない。


今朝の各新聞で、「酒を飲んで蔵元援助」という記事が掲載されていました。

被災地の蔵元に元気を届けたいと、東北地方の酒造メーカーを応援する取り組みとして、被害地の蔵元のお酒を飲んで、メーカーへの応援メッセージを書いたり、売り上げの一部を義援金に回す活動で、復興を支援するという。各地のデパートで開催中ともあった。


これなら私もできそうです。ところが坊守にその旨を伝えると、「お酒は沢山あるから」と却下されました。
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今を生きる人をジザイナーという

2011年04月29日 | セレモニー
“ジザイナー”。この言葉はデザイナーと自由自在の自在を組み合わせた造語です。意味は、“自在を生きる人”(今を生きる人)ということです。

この言葉は、今度、本を出すタイトルです。といっても中身はまだ皆無で、今朝、考えた言葉です。タイトルだけあって、中身がないところが良い。良く言えば無限の可能性がある。悪く言えばほら吹きです。

水には形がないから、容器に合わせてどんな形にも成れる。しかし実際は水はH2Oという細かい粒子の集まりなので、融通がきくというところだろう。だから小さな容量の形に合わせることはできません。

昨日、京都のお東で勤まっている750回大遠忌法要、第二期法要結願の晨朝と法要に参加してきました。第二期といっても第一期が東日本大災害によって中止になっているので、最初の法要の最終日ということになります。

感想は、その勢いのなさに驚いた。晨朝の参拝が約200人、日中は9割、2000人というところだろうか。といっても日中法要は、すでに参詣者は会場内に収まっていたので、境内が静かだったこともあります。本願寺派と作法が一つ一つ相違するので、参拝していてすごく有意義でした。

750という言葉自体、本願寺派は(ななひゃくごじゅう)ですが、大派は(しちひゃくごじゅう)という漢字読みしていた。本願寺派も数年前、750の読み方をどちらにするか会議で両方の意見があったと聞いています。漢字よみは(ちしひゃく)なので、本来はそう読むべきです。

しかし本願寺派では現代の潮流にあわせて(なな)と成りました。このことは750の読み方ばかりではなく、多くの点で、特に作法の点は、現代に合わせていく傾向が本願寺派にはあります。宗祖の命日もお東は、旧暦の11月28日です。昨日は、その28日だったので、第二期法要の最終日だったのです。本願寺派は太陽暦に換算して1月16日で勤めています。

勢いのなさの原因の1つに、法要自体が災害を意識して押さえたということもあるのですが、門徒以外の一般の人へのアピール度がなかった点は、反面教師で学ぶべきだろう。

幸い本願寺派は、龍谷ミュージアムのオープンや、本願寺門前町を法要の祝いの場として組み入れたので、立体的な法要に仕上がっている。

大谷派の法要に興味深かったのは、阿弥陀堂が改修中で(大法要までに修理を完了すべきだと思ったが)、その屋根を覆う仮設の大屋根スペースを利用して、各教区の念仏の歴史や念仏お国自慢的なブースが作られて展示さていたことです。

これも内向きと言えば内向きで、お国自慢とお国の物産展を格安で行なって京都市民の足を運ばせれば、もっとアピール度があったが、大教団と言うネットワークを法要にとりいれた点は本願寺派にはない点だった。

感じたままに。
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もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

2011年04月28日 | 仏教とは?
昨日、午前中の法事を終えて東京駅から京都へ。東京駅で新幹線の中で読む本を書店で閲覧していたらが、いま話題の本「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら [単行本]」(岩崎夏海著)があったので購入した。丁度京都に着くころに読みえいました。

敏腕マネージャーと野球部の仲間たちが甲子園を目指して奮闘する青春小説ですで、小説を利用してドラッカーの『マネジメント』理論を紹介するビジネス本です。
ネットの開設には、「高校野球の女子マネージャーのみなみちゃんは、マネージャーの仕事のために、ドラッカーの『マネジメント』を間違って買ってしまいます。はじめは難しくて後悔するのですが、しだいに野球部のマネジメントにも生かせることに気付きます。みなみと親友の夕紀、そして野球部の仲間たちが、ドラッカーの教えをもとに力を合わせて甲子園を目指すストリー」とあります。

ドラッカーが教えている「環境」「戦略」「組織」「目標管理」「マネジメント」「イノベーション」「自己実現」の各テーマをわかりやすく解説します。

感想は“面白かった”というものです。また小説というスタイルでドラッカーの『マネジメント』理論を紹介するというアイデアがすばらしい。

仏教の解説もこの手法でできそうです。今頭に浮かんだストーリーはこうだ。ある人が終末期の癌を告げられ、健康体を失って失意のうちに家に帰る。元気であることだけが取り得と思っていた自分である。お先真っ暗で生きる希望を失う。ある時、亡き父の書棚を見る「釈尊の一生」という本がある。ふとその本をパラパラとめくると、お釈迦様のご幼少時代の逸話が出ていた。

「お釈迦さまが、まだお小さい頃のことでありました。庭園を歩いておられると、トンボの飛んでいる光景にお出会いなされたそうな。するとそのトンボを、陰に隠れていたカエルが飛び上がって喰ろうてしもうた。カエルが満足していると、草むらの陰からするすると近寄ってきたへビが、そのカエルをひと飲み。すると今度は空を舞っていた鷲が、そのヘビをついばみ大空へ舞い上がっていったそうな。その様子をご覧になられたご幼少のお釈迦さまは、悲しいお顔をなされました」

そのご幼少のお釈迦さまの悲しいお顔を想像した時、そのお釈迦さまの悲しみは、弱肉強食という命の連鎖の中で、力弱く終わっていく命に対する哀れみではなく、むしろ弱い命を殺してしか生きるすべを持たない強きものへの哀れみであったという思いがよぎる。主人公は、逸話の中にあった悲しく思った強き者と、病気であることを卑下している自分とが重なる。
哀れむべきは、病気の者ではなく、健康第一と奢っている自分ではないか。

そんな具合に、病気の再発、そして余命告知という日々を、釈尊の伝記から学びを得て、心の成長をはたし、病気を受容して、最高の精神の領域に至るといったストリーだ。

これって面白そうです。
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運営体力の脆弱(ぜいじゃく)は寺院も同じだろう

2011年04月27日 | 都市開教
一昨日(23.4.25)が、JR福知山線脱線事故丸6年ということで、遺族とJR西が報告書発表したものが、昨日の各新聞に報道されていました。

事故の背景として、JR西の構造的な問題点を遺族側は「安全運行の組織的認識の希薄化」「現場任せの信賞必罰・ものいえぬ社内風土」などにあったと指摘。JR西自身も「安全方針を具体化する企業風土作りに至らなかったこと」や「運営体力の脆弱(ぜいじゃく)さが安全対策のレベルを停滞させたこと」などに問題があったとしたとあった。

事故の直接原因も大事だが、こうした企業体質こそ、深くメスを入れるべきだろう。といっても、こらはJRだけの問題ではない。わが本願寺派という思いもあるが、評論に成るので、わが寺はどうかと思いを巡らす。

寺院は企業と違って、代表者が変わることがないことが停滞(マンネリ)の最大の原因だろう。西方寺は都市開教寺院なので、10年後の目標設定や年間活動について常に新しい方法を模索しているが、住職の力量に負うとろこが多いというのが、まずは問題点だろう。
『西原さんが住職をしている西方寺』という現実です。それを『西原さんは西方寺の住職なんですか』という具合に、寺院自体がもっとグレードアップをしていていかなければならない。

そのためには、西方寺のメンバーお一人お一人が「西方寺のメンバーである」という自覚をもっていただける活動をどう展開するかです。では世話人会等の組織をもっと拡大していくか…。このことを少しまとめて総代会へ諮問してみよう…

JRの報告書を見て回想した一こまでした。
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死に往く人の思い

2011年04月26日 | 苦しみは成長のとびら
「キャンディーズ」の元メンバーで、21日に乳がんのため亡くなった女優・田中好子(本名・小達=おだて=好子)さん(享年55歳)の告別式(23.425・東京・青山葬儀所)で流された自身が病室で録音した約3分20秒の肉声テープ全文が、各新聞に掲載されていました。

死を自覚したときに見えてくる世界があります。それは人の優しさであり、生きることの只ならぬ希有性です。そのことをベットの上で伝えることができたことは、この上なくよかったと思います。

死んでいく人の多くが、こうした思いをもっているので、死を否定する周囲の気づかいで、内心を言葉にすることができない状況(文化)が、今の日本の現実でしょう。

彼女のメッセージが美談だけに終わらず、このメッセージに含まれている、死に往く者が抱えている現代日本の中にある不幸を見定める機会になればと願います。

 ◆田中好子さん肉声全文

 こんにちは、田中好子です。
 きょうは3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。
 私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でも、その時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。
 今日、お集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。
 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。
 いつの日か、(義理の)妹・夏目雅子のように、支えてくださった皆様に、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。
 (夫の)一(かず)さん…よろしくね。その日まで、さようなら。
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