仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

奉教人の死

2012年03月25日 | 日記
新聞(24.3.25読売)の三面記事を開くと「海に神さまはいるのか…」の活字が目に入りました。津波で生き延び、そして海難事故、そのご家族の遭難者をあんずる記事でした。生存を願うばかりです。

「海に…」の言葉を見て、今朝(24.3.25)のNHKラジオ「文学のしずく」で朗読された芥川龍之介著『奉教人の死』を思い出しました。

決して海難事故が寄せられた「海には」の願いを貶めるものでないことをお断りしておきます。

さて、本題です。『奉教人の死』は、初めて耳にする内容でしたが、朗読を聴きながら白隠さんの赤子の話がモチーフとなっているのではないと思われました。しかし結末は、芥川龍之介の文学でした。

まずは、白隠さんの赤子の話です。

 白隠が住んでいた村の、ある娘が妊娠した。娘は聞かれても相手の名を明かさない。しかし娘の父親が執拗に聞き出そうとし、脅しつけたので、娘はそれから逃れようとして、それは白隠だと告げた。
 父親は子供が生まれるとすぐに白隠の元へ連れて行って、「これはおまえの子供だ。」と言い、彼の禅師に渡す。そして悪口雑言を浴びせかけ、侮蔑とあざけりをまくし立てた。
 黙って聞いていた白隠は、聞き終わるとただひと言、「おお、そうなのか?」とだけ言ってその子を腕に抱いた。
 白隠はその子を自分のボロボロの僧衣の袂にくるんで、どこへでも連れて歩いた。雨の日も嵐の夜も、雪の降る日も白隠は近所の家々を廻って、その子のための母乳を乞うて歩いた。
 白隠には多くの弟子がいたが、その多くが「禅師は堕落してしまった」と思い、白隠の元を去った。しかし白隠はひと言も言わなかった。
 一方、母親である娘は、自分の子供から離れている苦しみと悔恨の情から、とうとう子供の本当の父親の名を明かした。娘の父親は白隠の元へ駆けつけてひれ伏し、頭を地に擦りつけるようにして、繰り返し許しを乞うた。
 白隠は、「おお、そうなのか?」とだけ言って、娘の父親に子供を返した。(以上)

解説は控えます。

『奉教人の死』のあらすじは次の通りです。

長崎の教会にある美少年がいた。彼は自身の素性を周囲に問われても、「故郷は天国、父は天主です」と笑って答えるのみだったが、その信仰の固さは教会の長老も舌を巻くほどだった。ところが、彼をめぐって不義密通の噂が立つ。教会に通う傘屋の娘が、かの美少年に想いを寄せて色目を使うのみならず、彼と恋文を交わしているというのである。長老衆は苦々しげに美少年を問い詰めるが、彼は涙声で身の潔白を訴えるばかりだった。

ほどなく、傘屋の娘が妊娠し、父親や長老の前で「腹の子の父親は、かの美少年だ」と告げる。かの美少年は姦淫の罪によって破門を宣告され、教会を追い出される。身寄りの無い彼は乞食同然の姿で長崎の町を彷徨うことになったが、その境遇にあっても、他の信者から疎んじられようとも、教会へ足を運んで祈るのだった。一方、傘屋の娘は月満ちて、玉のような女の子を産む。

そんなある日、長崎の町が大火に見舞われる。傘屋の翁と娘は炎の中を辛くも逃げ出すが、一息ついたところで赤子を燃え上がる家に置きざりにしたことに気がつき、半狂乱となる。そこにかの美少年が現れて、火の中に飛び込み赤子を救う。そして倒れて死ぬ。聴衆は、わが子ゆえといったが、かの美少年の胸が放ていて、そこには乳房があった。

そんな物語です。かの美少年は女であり、世間のあざけりを、あえて受けていたのです。

私は、今朝の「海に神さまはいるのか…」を見たとき、今朝聴いたばかりの『奉教人の死』を思い出し、信仰とは何かという思いを持ちました。

神と共にあるという信仰は、人からあざけりを受けようと、苦しみの中にわが身を置くことができる。苦しみと信仰は別ものであるということです。

だからといって「苦しみがなくなりますように」と願うことを否定するものではありません。
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