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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学④

2025年04月16日 | セレモニー
『墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学』(辻井敦大著)からの転載です。

以上が本書の知見である。この知見から、本書が序章において設定した「戦後日本において『家』の解体が進んできたにもかかわらず、墓が建立され続けてきた理由を社会的アクターの実践を通して明らかにする」、「従来の墓の継承が不可能となるなかで、いかなる論理のもとで社会的アクターが『家』に代わって〈祭祀の永続性〉を証明しているのかを解明する」という二点の作業課題に答えたい。
 まず第一の作業課題には次のように答えたい。戦後日本において「家」の解体が進んできたにもかかわらず、墓が建立されてきたのは、石材店による墓の「商品化」に呼応し、血縁家族の連続性に期待して生前に墓を建立した人々の営みゆえであった。これは、決して「家」の残存として捉えられるものではなく、むしろ個人の選択肢を重視した血縁家族、すなわち家族の戦後体制の成立(落合二〇一九)とつながるものであった。石材店や地方自治体といった社会的アクターが、墓地開発、墓地供給を行うにあたっては、どのアクターもイデオロギーとして「家」を再生産しようとは考えなかった。それよりも、「個人を記念し追憶するため」、「コミュニティに生き貢献したことの証」として墓の建立を促したのである。こうした動きは、孝杢貢が、戦後に墓を跡継ぎが義務としてではなく、「子供のうちだれかが先祖の仏壇、墓を守っている」という状況を明らかにしたことと共通す。こうした「家」としての墓の継承規範が崩れていた事実は、第三章で「きょうだい」が墓地を管理し、最後に納骨堂、合葬墓を利用していた点や第六章で「嫁に出た」と語る女性が、兄が継承したはずの「家」の墓を管理していた点からもうかがえる。すなわち、本書の事例のなかで、墓参りに來て、実質的に墓を管理していたのは「きょうだい」、なかでも「嫁に出た」女性といった状況があり、実質的に「家」ではないのである。「家」の解体にともない生活保障の機能が市場や社会政策に代替された。こように、戦後において先祖祭祀は、主に血縁家族と市場に支えられた。つまり、戦後日本における墓の建立・継承、すなわち先祖祭祀は、「家」の創設や存続を目的にしたものではなく、主に血縁家族と市場に支えられたがゆえに行われたのである。
 次に第二の作業課題については、血縁家族による従来の墓の継承が不可能となるなかで、社会的アクターである地方自治体、仏教寺院は、「家」の存続とは異なる論理で〈祭祀の永続性〉を保証しようとした、と答えられる。地方自治体は、墓地を「福祉」に関わる「コミュニティに生き貢献したことの証」と意味づけ、個人の尊厳と結び付けて〈祭祀の永続性〉を保証する論理を先駆的に提起した。そして、現在では納骨堂や合葬墓を整備することで、実際にそれを保証しようとしている。一方で、仏教寺院においては、仏教寺院と檀家、死者とそれを想い墓参りに来る人の「縁」を支えるために、永代供養墓や骨仏を建立し、「手を合わせる場所」と〈祭祀の永続性〉を保証しようとした。すなわち、従来の墓の継承が不可能となるなかで、「家」ないしは血縁家族に代わって、地方自治体や仏教寺院が〈祭祀の永続性〉を保証するという論理がとられたのである。こうして、〈祭祀の永続性〉の保証の問題は、戦後において血縁家族の連続性が期待された後、一九九〇年代以降は地方自治体や仏教寺院が引き受けるべき問題として現れたのである。
 以上より、本書が示しだのは、人々が「家」の解体のなかでも死者を忘れず記憶・記録することを求め、それらを地方自治体、石材店、仏教寺院が支えるために墓の建立を促し、〈祭祀の永続性〉を保証しようとした実践だった。
すなわち、本書は、戦後目本において墓が「家」とは異なる論理のもとで建立されるとともに〈祭祀の永続性〉が求められ、それを社会的アクターが支えてきた実践を解明したのである。それゆえに、戦後囗本において先祖祭祀は存続しつつも、その機能は「家」を存続させるものではなくなったと解釈できる。そして、その結果として〈祭祀の永続性〉を希求する先祖祭祀は、「家」の維持・存続ではなく、安心感を与える機能が顕在化したのである。(以上)
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墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学③

2025年04月12日 | セレモニー
『墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学』(辻井敦大著)からの転載です。


  経済構造の変動と継承を前提としない葬送・墓制の社会的広がりでみてきたように、バブル景気の崩壊以降には、上地価格が下落すると同時に墓の生前建立の霊要は大きく減少した。すなわち、バブル景気の崩壊にともない「要不急のものは求めないという風潮」から人々は生前での墓の購入をひかえるようになったのである。この状況に加えて、墓石の加工・輸入体制の変化から墓石小売業に異業種が参入し、墓石の値下げ競争が起こった。これらの点から、石材店は墓石の大量生産体制に基づき、都市郊外に新たに大規模な墓地を開発し、墓の生前建立を促進することが困難となったのである。
 しかし、その経済構造の変化のなか、石材店はただ衰退するのではなく、新たな墓の生前建立の需要を喚起させようとする。そのなかで、石材店は女性に焦点を当て、都市近郊の住宅地の近隣で墓地を開発し、ガーデニング墓地をはじめとした個性的な墓・墓地の「商品化」を試みたのである。
 それに加えて、石材店や墓地開発のデベロッパーは、一九八〇年代から都心部の寺院墓地の再開発において重要性を認識ていた永代供養墓に目をつけた。そして、墓の継承者がいない/期待できない人々が増加していくことを見越して、一九九〇年代から永代供養墓の「商品化」を進めたのである。また、一九九一年に日本で散骨が実施されたことで、葬儀社は本業である葬祭業の付帯事業として散骨を事業化した。そのなかで、散骨の需要が増してきたため、独立した事業としての可能性が検討され、二〇〇〇年代から観光業などと結びつけて「商品化」が進められた。こうして一九九〇年代以降、石材店をけじめとした民間企業は、それまで蓄積した広告宣伝のノウハウを生かして個性的な墓・墓地の建立を促すとともに、「菓地に墓石を建てる」ことに代わる選択肢の「商品化」を試みたのである。
 これらの石材店をけじめとした民間企業の動きはバブル景気の崩壊にともなう墓の生前建立の需要の減少、墓石の値下げ競争に対する新たな需要の掘り起こしとして展開したものであった。すなわち、生前に「墓地に墓石を建てる」需要が減少したことに対し、石材店が新たなマーケティング戦略を設定した結果、継承を前提としない葬送・墓制を「商品化」したのであった。そして、こうした民間企業による「商品化」の実践は、継承を前提としない葬送・墓制を社会的に広げていったのである。このように、一九九〇年代以降に進んだ葬送・墓制の多様化を新たな「商品」の展開としてみていくと、生前に「墓地に墓石を建てる」という選択肢が縮減された結果として現れた現象と捉えることができる。それゆえに、個人の墓の選択という点では、従来の墓の生前建立と、継承を前提としない葬送・墓制の選択は、ある種の連続性をもっていた。すなわち、個人の生前に基が選択され、社会的に広がりをみせたという点では、従来の墓の生前建立も継承を前提としない葬送・墓制も大きく変わらないのである。とはいえ、もちろん一九九〇年代以降の石材店のマーケティング戦略は、女性層の需要を対象化するなど家族構造・意識の変化と結びついていた。だが、この動きは決して、戦後囗本において残存していた「家」が解体した結果と論じ切ることはできないのである。すなわち、継承を前提としない葬送・墓制は、戦後に残存していた「家」が解体したからではなく、バブル景気の崩壊という経済構造の変化や海外での墓石加工体制の確立と関わった上で「商品化」され、社会的に広がったのである。
 このように継承を前提としない葬送・墓制は、慕の継承者がいない/期待できない人々が増加するなかで、石材店をけじめとした民間企業によって「商品化」され、社会的に広がった。しかしながら、先行研究が指摘してきたように葬送の自由をすすめる会は、ある種の理念のもとで散骨を実施し、それを社会的に広げようとしていた。その理念とは墓に表象される「家」の価値とは毘(なる死後の自己決定を重視する「市民」としての価値を追求したものである。その理念から、会としては、墓を作らず、遺骨を撒いた場所を訪れないなど従来の葬送儀礼を「行わない」ことを追求した。すなわち、散骨の推進運動では、「家」に内在していた先祖祭祀、すなわち〈祭祀の永続性〉の放棄を理念として追及したのである。一方で、先行研究では同じく「家」の解体・変容と結びつけて考えられてきた、継承を前提としない墓制の一つである永代供養墓は、その名の通り「永代」に供養されることに価値を置いている。この点からうかがえるように、永代供養墓では死後の〈祭祀の永続性〉が保証されることが重視されている。すなわち、散骨と永代供養墓の社会的広がりは、先行研究では「脱継承」とまとめて理解されているが、同じものとしてその展開を分析することは難しいのである。
 こうした永代供養墓のもつ〈祭祀の永続性〉という要素を考えるならば、一九九〇年代以降に増加した理由には市場の論理だけでは掴むことができない意味が存在するはずである。すなわち、永代供養墓が安価であり、無縁墓の整理という墓地経営上のメリットがあるだけで建立が進められたわけではないと考えられるのである。それならば、先祖祭祀の変容、すなわち〈祭祀の永続性〉の現代的位相を分析するという本書の立場からは、永代供養墓の建立が進んだ社会的な意味を検討する必要がある。そこで、続く第六章では、永代供養墓の建立が進む理由を捉える上で、永代供養墓の建立に大きく関わる社会的アクターである、仏教寺院による先祖祭祀への参与の実践に注目する。その点から、人口減少地域と都市部で永代供養墓の建立を進める仏教寺院が、いかなる意図のもとで永代供養墓の建立を勧めているかを分析する。そして、墓の継承者がいない/期待できない人々が増加するなかで、仏教寺院側かいかなる論理から永代供養墓の建立を進めたのかを描き出す。すなわち、民間企業の実践から永代供養墓の「商品化」が進められるなかで、先祖祭祀に参にナし、永代供養墓に別の意味づけを付与しようとする仏教寺院の実践を明らかにするのである。(つづく)
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墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学②

2025年04月11日 | セレモニー
『墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学』(辻井敦大著)からの転載です。

 仏壇・位牌に対する調査研究と先祖祭祀の変容
 ここで「家」の解体後に表出する先祖祭祀のあり方を示した代表的研究がロバート・スミスによる『現代日本の先祖崇拝―ブンカジンルイガクカラノアプローチ』である。スミスの研究において、一九六三に都市部と三村落で大規模な仏壇・位牌の調査を行い、五九五世帯の仏壇、計3.050の位牌を分析した。そこから、同族型の村落では、父系の「冢」の系譜上の先祖しか仏壇に位牌が存在せず、無系親族(母系の親族といった「家」の系譜に全く無縁な親族)や非親族(過去あるいは現在の有系・無系のいかなる「家」の成員にも全くっながりをもたない人々)の位牌が一つも存在しなかった点を明らかにした。一方で、都市部や講組型の村落では、仏壇に無系親族や非親族の位牌まで様々な人の位牌があり、人々が語る先祖のなかには「家」の系譜上の先祖とは異なる人物が含まれることを解明した。加えて、全調査のなかで、絶家となった「家」の位牌を所有している世帯が五九五件中二七件、その位牌数が108基も存在することをみいたし、「家」同族を基盤とした先祖祭祀ではない事例が数多く存在することに注日した。
そして、これら無系親族の位牌の四分の三は都市部のものであったことから、無系親族の位牌への祭祀は急激に日本社会において一般化したものだと理解し、次の先祖祭祀の変容の視点を提示した。

   家の仏壇にこのような無系親族位牌を納めておく慣行は、ごく新しいものであり、かつ急激に一般化してきたものであると私は見ている。調査対象となった世帯の大多数が夫婦家族であり、無系親族位牌中では妻の親族のものが他の母や養子の親族のものよりもはるかに数多かったことを考えてみるとき、そこでは家(世帯)中心的祖先崇拝に向かって家族中心的祖先崇拝台頭のためのくさびが打たれていることに気が付くのである。

 このようにスミスは、村落と都市部の比較から「家」を中心とした先祖祭祀から家族中心的な先祖祭祀への変容が起こっていると位置づけたのである。しかし、「位牌の双系性が決して現代にのみ限られた現象であるわけではないと推断される」として、日本社会においては歴史的に位牌が双系性をもっていることを認識している。それでも、スミスが「家」から家族中心的な先祖祭祀への変容を論じたのは、当時の都市のホワイト・カラー層には、「家」の家業として農業が継承されなくなっていたからであった。

 遺産など少しも遺してくれなかった人々に対しても昔から位牌は作っていたのではあるが、家長は家産を守り、殖やすように期待されていた。こういった家産を先祖から譲り受けた家長は、今度は自分の子孫にそれを伝え遺していく責務があった。少なくともこういった意味合いでは、農民とホワイト・カラー労働者とでは両極端にあるといえよう。こういった状況から当然生じてくるはずの結果といえば、直接縁あって見識っている「故人」を礼拝することが先祖を礼拝することを遙かに凌駕していくということである。

 これらの事実から、スミスは二〇世紀の終わり頃までに日本社会における先祖祭祀は、双系的なものとなるとともに祈りの対象も両親と祖父母に変化すると論じた。こうして次のように先祖祭祀は近年故人となった親族の者に対してのみの愛情を表現する供養主義(メモリアリズム)へ変容すると位置づけたのである。(つづく)

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墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学①

2025年04月10日 | セレモニー
『墓の建立と継承 「家」の解体と祭祀の永続性をめぐる社会学』(辻井敦大著)、墓関連の本としては今までにない興味深い書籍です。


この無縁墓の増加といった現象は、島田の視点のように個人の「自由」の発露であり、墓の継承者であっても何にも拘束されずに「自由」に生きられる証だと肯定的に解釈することもできる。しかしながら、マスメディアでは無縁墓の増加を社会問題として捉え、行政もその対処に動いている(『朝日新聞』二〇一四・七・三十朝刊)。すなわち、無縁墓の増加は、個人の「自由」、ないしは趣向の問題ではなく、行政も憂慮すべき事態としてみなされているのである。こうした点と関連して、人々は「家」を意識していなくとも、依然として可能である限り、墓を建立・継承している。それを裏付けるように、現代においても公営墓地での墓の需要は依然として高く、墓参りの実施率は減少していない(東京都公園審議会二〇〇八、NHK放送文化研究所編二〇二〇)。
 このように、現代日本においては、墓を必要としない選択肢が現れる一方で、それでも墓が建立・継承され、そこに意味が与えられている。言い換えるならば、多様な選択肢が与えられているにもかかわらず、人々は何かしらの規範のなかで墓を建立・継承し、そこに意味を付与しているのである。こうした「家」なき現代社会における墓をめぐる社会規範を明らかにすることこそ本書の目的となる。それゆえに、本書の問いは、「現代日本において墓の継承が途絶えることが、なぜこれほど憂慮されているのか」を明らかにすることにある。すなわち、自身や先祖の壑、他者の墓を問わず、それらの継承が絶え、無縁化し、死者が記憶・記録されなくなることが社会的に問題とみなされ、憂慮されている理由を問うのである。


しかしながら、本書では「家」・同族、ないしは家族・親族、「家的なるもの」といった視点から墓をめぐる社会規範を考察しない。代わりに本書は、これまで着目されてきた「家」の解体・変容という視点ではなく、「家」の解体にともない、その機能を代替し、新たに台頭してきた社会的アクターに注目する。そして、本書では、こうした社会的アクターが「家」の解体を意識し、いかなる論理をもってT家」に内在していた〈祭祀の永続性〉を代替しようとしてきたかを問い、現代日本における墓をめぐる社会規範を明らかにする。ここで「家」ではなく社会的アクターを取り上げるのは、もはや集団としての「家」を自明視することが難しいからである。それゆえに、本書は社会的アクターを通して、「家」を代替してきたシステムを問うのである。(つづく)
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公益財団法人 青葉園

2025年02月09日 | セレモニー
昨8日は、埼玉県さいたま市で戦後初の民営公園墓地を運営する公益財団法人 青葉園でのご法事がありました。初めて行った墓苑で、その広大さに驚きました。開園が、1952年(昭和27年)、総面積15万m2、総区画数約2万3,000基そうです。納骨する業者に、「今日は何件ぐらい納骨がありますか」と、伺うと「今日は少なくて8件です。多い時は、22件くらいあります」とのことでした。法事会館もあり、利用料が30分、20.000円と表示されていました。これは高過ぎでしょう。
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