仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

超高層のバベル②

2022年12月31日 | 現代の病理

『超高層のバベル 見田宗介対話集』(講談社選書メチエ・2019/12/12・見田宗介著)からの転載です。

 

近代合理主義はなぜ揺らいでいるのか

 三浦 ところで、そもそも若者のあいだで近代合理主義が揺らいでいる理由は何だとお考えですか。

 

 見田 今の若い世代は、極限まで近代化が進んだ一九七〇年代以降の社会に生まれ育ちました。それゆえに、かえって現在の科学では説明できない事態に対する感覚が鋭敏になっているのではないで宮沢賢治に「唯物論二与シ得ザル諸点」という短い走り書きの文章があります。唯物論は、人間が経験したり、理論的に確かめられたりするものだけを信じる主義だが、そもそも唯物論の教えによれば人間は宇宙の中の小さな粒にすぎず、そんな人間にどうして宇宙が分かるのか、という趣旨です。

 確かに、自然界には人間の五感を超えた驚くべき感覚をもった生物が存在しており、唯物論は悪い意味での人間中心主義とも言えます。ですから、近代合理主義が描く世界に疑問を抱くのは健全なことだと思うのです。

 こうした傾向は、若者の「再呪術化」と相俟って、近代以前の非合理主義への回帰とも見られかねせんが、大きな流れとしては、「合理主義の限界をわきまえた」合理主義に向かいつつあるのではないでしょうか。今は移行過程での試行錯誤の時期なのだと思います。

 

 三浦 むしろ、人間の全体性の回復とも言えますよね。それと、東京にいると実感が弱いのですが、近代合理主義への疑念が広かった背景には、一九九五年の阪神・淡路大震災の影響があるとも思われます。多くの命を奪った大地震を通して、人間を超えた力を感じたと。

 酒鬼薔薇聖斗事件にしても、犯人の少年が震災当時、多感な年齢だったことが影響しているとも言われます。今の二〇代には巨大な体験だったでしょう。ただ、ジ于不レーションZ調査を分析しても、関西の若者が他の地域よりも「あの世」や「奇跡」を信じている、という結果は得られませんでしたが。

 見田 阪神・淡路大震災は間違いなく大きな影響を与えましたが、あくまで一つの例なのだと思います。ニー世紀に入って以降も、9・リアロから秋葉原事件まで、近代が前提としてきたホモーエコノミクス(経済的合理性に基づいて活動する人間像)では説明できないような事態が次々と起こっており、日本中の若者はそれを目にしながら成長してきたわけです。

 ところで、酒鬼薔薇事件や、彼と同い年のKが起こした秋葉原事件などを採り上げると、「殺人事件も凶悪な少年犯罪もともに減少しており、マスコミが騒ぎすぎることが問題だ」という批判がよくなされます。しかし、重要なのは、なぜマスコミが報道するのか、ということです。それは視聴串や部数が上がるから、つまり人々が関心をもっているからです。では、なぜ人々が求めるかというと、カネや怨恨では説明できない不可解な事件が増えたからです。

 事件の背後に近代合理主義の揺らぎを感じ、その意味を求めている人々の思いを読み取る必要があります。(つづく)

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お釈迦様から親鸞聖人へ

2022年12月30日 | 浄土真宗とは?

昨29日『大乗』 平成5年1月号が送付されてきました。「フオーカス仏教ライフ」は、執筆者無記名ですが私の執筆です。以下転載。

 

画讃(がさん)

 

お釈迦様から親鸞聖人へ

 

「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗850年慶賛法要」がつとまる記念の年が始まった。親鸞聖人のご廟所である大谷廟堂の親鸞聖人のご影には讃が讃が記されている。その讃を画讃といい、報恩講などのときに声明の音律にのせておつとめされている。

韜名愚禿畏人知(とうべいぐとくいじんち)

「名を愚禿に韜(かく)して人のしるをおそる」
高徳弥彰澆季時(こうとくみしょうぎょうきじ)

「高徳、弥彰(いよいよ)彰(あら)わる澆季の時」
誰了如来興世意(すいりょうにょらいこうせいい)

「だれか了(しら)ん如来興世の意」
直標淨典囑今師(ちょくひょうじょうてんぞくこんし)「直ちに淨典を標して今師に属す」

意味は、「親鸞聖人は自ら愚禿と名のり、名利を求めることなく、名もなき民衆と生きていかれた方です。しかしそのご功績や高徳は時代と共に知れわたり、讃迎されるようになりました。どなたかご存知ですか。釈迦仏がこの私たちの世にお生まれになった真意を。それは歴史の流れの中で、直接、『無量寿経』という教典を聖人に手渡す為だったのです」ということだ。

 

 「無量寿経」には、すべてのいのちあるものを救うというみ教えが説かれてる。

地球が誕生して46億年。当初、地球は微惑星の衝突エネルギーによってマグマの海となり、二酸化炭素やチッソ、水蒸気などのガスに覆われていたという。そして少しずつ冷えてくると大気の8割を占めていた水蒸気が雨となって降り注ぎ、海ができ、その水中に生命が誕生した。

 神奈川県立 生命の星・地球博物館に35億年前の地球最古のバクテリアの化石が展示されている。すでに光合成を営み酸素を排出する複雑な構造をもつとのこと。この化石から推測して、生命の歴史は38億年とも40億年ともいわれる。
 以来、生命の連鎖は、弱肉強食というなかで常に強くあれという方向に向かい環境に適応して今日に至りった。
 より多くの子孫を残す。これはすべての生物を貫いている願望であり、花であれ人間であれ、それは同じだ。しかし、自分の子孫を残そうとする行動は自己愛に他ならず、自分を愛するという背面には、無数の命の犠牲があったことは言うまでもない。

 

平和の礎
  『涅槃経』に、「弱く愚かゆえに終わっていた人が流した涙は大海の潮より多く、苦しみの中に流した血液は大海の潮より多い」とある。
  この苦悩の涙の中に終わっていった命は、阿弥陀如来の願いとは無縁ではない。

親鸞聖人は、

如来(にょらい)の作願(さがん)をたづぬれば
  苦悩(くのう)の有情(うじょう)をすてずして
回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて
   大悲心(だいひしん)をば成就(じょうじゅ)せ

(正像末和讃『浄土真宗聖典「註釈版」』606頁)

と、阿弥陀如来の大悲の起こるおおもとに、このような無数の命の存在があったと詠われている。この大海のごとき苦しみや悲しみの涙の中に終わっていった無数のいのちを、隔てなく救わんとする、阿弥陀如来の願いが説かれているのが『無量寿経』だ。

画讃にある「直ちに淨典を標して今師に属す」とは、お釈迦さまはこのみ教えを直接、親鸞聖人にお渡しになるためにこの世にご誕生されたというものだ。

 混迷を深める世界の平和は、それぞれに自己愛を持ち、考え方や価値観が異なる者同士が、その違いと互いの弱さを尊重していけるのかどうか。これは世界人類の課題だ。
 この記念の年に際して、「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と仰せられた聖人の言葉を胸に刻み、愛憎を超え、すべての人に開かれている阿弥陀如来の願い平和への礎としなければならない。

 

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超高層のバベル①

2022年12月29日 | 現代の病理

『超高層のバベル 見田宗介対話集』(講談社選書メチエ・2019/12/12・見田宗介著)からの転載です。

 

 

 「あの世」、「奇跡」を信じる若者の背景にあるもの

 三浦 二〇〇七年に、一九八五年から九二年生まれまでの世代の若者を「ジェネレーションZ」と名づけ、調査を行いましたが、大変興味深い現代の若者像が浮かび上がりました。それは見田先生が近年ご指摘されていることと共通のものでした。

 つまり、一九五八年生まれの私の世代には生まれた時から刷り込まれている「近代合理主義」、「進歩」、「夢」、「未来」といった価値意識が、ジェネレーションZにおいては溶解している。そのことを『日本溶解論』(プレジデント社、二〇〇八年。のち、『ニッポン若者論』ちくま文庫、二〇一〇年)という本にまとめました。

 見田先生が一九七三年の調査開始以来、協力され、「日本人のものの考え方、感じ方の変動を統計学的に信頼しうる規模と方法論を用いて跡づけてきた、ほとんど唯一と言ってよい資料」とおっしゃっているNHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査を見ても、これまで一貫して戦後的「進歩」を続けていた「家族」、「人間関係」、「宗教」などに関する意識の変化が停止もしくは反転していることに気づきます。

 特に二〇代の若者に顕著で、例えば「あの世」、「奇跡」などを信じる二〇代は、一九七〇年代以降漸増していましたが、二〇〇三年から○八年にかけて急増しています(表)。それはジェネレーションZにも見られた傾向です。

 

 見田 今から約一〇〇年前、マックスーウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、近代の特色は合理化、すなわち「脱呪術化(雪に回F日品)」にある、と論じました。人々があの世や奇跡といった呪術的なものを信じなくなることこそが近代化だ、というわけです。

 しかし、近年の「日本人の意識」調査によると、特に若い層で近代化の減速、逆行が示唆されています。その最たる例が、ご指摘のデータです。

 

 三浦 若者が「脱呪術化」ならぬ「再呪術化」されているということですね。

 

 見田 このデータを素直に受け取れば、若者の宗教意識が高まった、という結論になるでしょう。しかし、僕はこのことをもって特定の京教に信仰が集まったとは思わないし、ある種の宗教意識が高まったと言えるかどうかも怪しいと見ています。

 確実に言えるのは、若い人たちにおいて、ウェーバーが指摘したような近代合理主義的な世界観が揺らいでいるということです。その結果として、影響力のあるテレビタレントの発言などに流されて、「あの世」や「奇跡」を信じるという形式をとっているのでしょう。事態の表層よりも、背景にある揺らぎに注目すべきだと思います。

 

 三浦 オウム事件によって特定宗教を信じにくくなったために、抽象的に「あの世」や「奇跡」を信じているのではないかとも私には思えます。(つづく)

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父からの手紙

2022年12月27日 | 日記

昨日届いた本願寺新報元旦号、一面、執筆者無記名の「赤色白色」は、私の執筆です。元旦号の同コラムは4.5年依頼されています。

転載します。

 

数年前の元旦、届いた年賀状を見ていた妻が「珍しい人から届いていますよ」と言う。その年賀状は、すでに往生した父からのものだった。実は、私か書いたものだ。というのも毎年、元旦には「今年は何を大切にして過ごすか」を考えている。そこで年末に「そうだ、元旦の願いを父からの年賀状として自分に届けてみよう」と思ったのだ。▼年賀状は、謹賀新年から始まり、最後に「父より」と締めくくった。いつもの年なら元旦の願いをすぐに忘れてしまうのだが、その年は忘れることなく、時々思い出しては、父に励まされているような豊かな時間をもつことができた。

▼これは、小林一茶の有名な『おらが舂』に記された逸話をまねたものだ。丹後の国に深く浄土を願う僧がいた。年末、使いの者に手紙を渡し、翌日の元日の暁に自分へ届けるよう指示した。手紙が届くと「いずこより」と僧は問う。使いの者は「西方阿弥陀仏より年始の使いの者です」とこたえ、手紙を読んだ僧は泣いて喜んだという自作自演の逸話だ。▼この話を友人にすると、「親鸞聖人からの手紙を書こうじゃないか」となった。これが大変だった。何と書いて自分へ届けるか。その時は「いつを袮えて過ごしてください」と書いた。さて法要の記念の年頭に当たり、聖人からの手紙に何と書くか。皆さんにも思案してほしいところだが、私は「阿弥陀仏のお慈悲を、すべての人に伝わるように説いてください」と書いた。(以上)

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未来のための江戸学①

2022年12月25日 | 現代の病理

『未来のための江戸学』(2009/10/1・田中優子著)を借りてきました。

本の紹介。

江戸学者による、過去と未来をつなぐ新講義

江戸文化の本質は江戸趣味として表面に現れるものだけでなく、「循環(めぐること)」の価値観であり、「因果(原因と結果)」を 検証しながら物事を決めてゆく方法である。これらを失ったことによって、近代日本人は勝ち負けを考えることに力をそそぎ、 欧米依存的となった。働くことを賃金でしか判断できなくなり、モノの価値を値段でしか理解できなくなった。自らが行った行為が 必ず自らに戻ってくる、という感覚を失ったとき、目の前の富のためなら、文化も自然も破壊することを厭わなくなる。(本文より)

競争原理主義の行き過ぎによる貧困や格差の拡大に対する怒り、未曾有の経済危機の前に立ちすくむ日本の経済、政治システムに対する挫折感、焦燥、将来への不安などが今の日本の社会に満ち満ちています。この本では江戸時代を知ることは、これからの日本にとってどのような意味で大事なのかを、複数の側面から明らかにしています。長年にわたる氏の江戸時代研究の成果を未来に向けて活用するための貴重な提言が満載です。(以上)

 

以下本からの転載です。

  1. 未来につなげたいこと㈠ 豊かさの本来の意味

 

縮小の時代であった江戸時代は、「配慮と節度」という倫理観を社会に打ち立てた。それを「質素倹約」と表現した。「もったいない」という、今日では有名な、しかしそのわりには実践されていない言葉も、人間関係を含めさまざま場面で使われていた。

 「分をわきまえる」という考え方もあった。これは身分制度を守るためだ、と否定的にとらえられるのだが、自然に対して人間の分をわきまえるのは、重要な姿勢ではないだろうか。分には「本分」という意味もあり、「けじめ」という意味もある。江戸時代は、力でのしあがる戦国時代までの競争社会、拡大主義の流れをやめ、秩序を持った縮小社会に収める時代であった。社会秩序を保とうとするとき、自分の「分」がどの程度であるのかの認識は、必要なのではないだろうか。「自分」という言葉自体が、他者と区別する自らの範囲を意味し、それはひとりの人間が自らを収めようとする倫理観を導き出す。「起きて半畳寝て一畳、飯を食っても五合半」というのは私か好きな言葉だ。人間生きてゆくために際限なく貪る必要はない。最低限、どの程度のことが必要なのか、自分の能力ではどこまでが暴力的にならず、他人を侵さず生きていけるか、それを考えるが「分」である。

 

未来につなげたいこと🉂 エコロジーの認識

江戸時代までの日本では、明らかに産業そのものがこのよな生命のつながりの中でとらえられ、それゆえ、徹底的な循環と育林が行なわれたのである。これは、今日の日本でこれから作り出そうとしている循環型社会のことであり、持続可能な自然利用の方法そのものである。今の私たちは未来を考えるとき、過去に行なってきた事柄を再び行なおうとしているだけなのだ。しかし時代が変わり、人口構成も科学技術も地球の状態も変わってしまった今日、まったく同じことを繰り返すわけにはいかない。自然との関係とその価値観を取り戻しながら、過去の失敗は繰り返さない。

そのために、過去を知ることが必要なのである。

 江戸時代の職人たちは、一〇〇年も二〇〇年ももつ道具や建築物や紙や布を作ることを誇りにしていたが、それは、物は1回使ったから終わりなのではなく、実際にさまざまなかたちに変化しながら、何百年も生きたからである。たとえば紙は幾度も漉(す)き返された。和紙は楮(こうぞ)、三椏(みつまた)のような一年草を使い、その製造過程では藁(わら)、木、草の灰を利用した。原料の植物の繊維に含まれる不溶性成分を灰で溶解、除去したのである。灰はこのようにさまざまなものを洗浄する際に使われ、布の染色にも陶器の釉薬(うわぐすり)にも酒造りにも農耕の土にも使われたのである。紙は何度も漉き返されて使われ、最後は燃やされるが、その灰は灰買いに買い取られていって、また使われたのである。「花咲かの翁」の話は架空の物語ではなく、実際の生活である。

 

未来につなげたいこと㈢ ボランティア精神

 

江戸時代では、今日の行政の仕事は、まさに旦那仕事たった。江戸では、奈良屋、樽屋、喜多村という三人の「町年寄」が、水道今町触れの伝達や住民令録や不動産付記や町人の紛争調停の全体を管理し、それを「町名圭」たちが実現していた。名士屋敷には簡易裁判所まで置かれていた。さらにその実務をT家主」たちが手伝っていた。彼らは捨て子や行き倒れの世話や道路掃除、道路修繕、防犯防火のための見回りを行なっており、番所という交番の前身にあたる所に、交代で詰めていた。一方、村には名士、年寄、百姓代などの「村方三役」かおり、寄り合い (議会)による決定亊瑣を実現していた。町も村も三人のリーダーが交渉役として存在していて、何事も時問をかけて決めていたようだ。これらの仕事は今の行政の仕事にあたるが、基本的に無給だった。家賃収入がある人々だからできたわけだが、それ以上に給料のようなものをもらおうとはしていない。社会貢献という概念がない社会のほうが、自分の生き方と社会に何かを与えることが一致している場合がある。

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