仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

少年は、なぜ「助けて」と言えなかったのか

2015年02月28日 | 現代の病理
昨日、 川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村(うえむら)遼太さん(13)の刺殺体が見つかった事件で、神奈川県警川崎署捜査本部は、殺人容疑で逮捕状を請求し、リーダーとみられる定時制の高校生(18)ら3人を逮捕しました。

少年はなぜ、助けてと他に救いを求めようとしなかったのか。これは上記の少年ばかりでなく、児童虐待の現場でも言えることです。基本的に助けを他に求めようとしない構造がある。なので「サインがあった」などと、危険な状態にあることを察せよというのでしょう。

以前「助けてと言えない」理由を紹介したことがあります。性別”「女性が男性から援助を受けることは自然であるが.男性から女性への援助要請は、自主自立という男性の性役割観に反する」という伝統的性役割観の影響がる。”

自尊心の問題では“ 援助要請は.自身の問題予防・解決能力の低さを他者に露呈することによって自尊心を脅かすことにもなりかねない”などなどです。

自分の少年時代のことと併せて考えると、助けてと言わないところに自分を見出しているとも言えそうです。つまり人の助けを借りる必要がない主体が自分だという理解です。そうした人間性が身につく背景に「強くあれ」「負けるな」「弱音を吐くな」といった環境があったからでしょう。

それも大切なことですが、安心して弱音を吐ける環境も大事です。そのためには具体的に、弱い人が社会の表面に居て、助け合うことが当たり前である社会になることです。

その弱い人の中に、野宿者なども入ります。ホームレスをさして“あんな風になりたくなかったら、もっと勉強しなさい”などといったり、もっと大きく言えば、「カンバリズム」が助けてと言えない環境をつくっているともいえます。

上村遼太くんは、グループから抜けようと思ったとあります。残念なことです。
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チャレンジャー号の空中爆発

2015年02月27日 | 日記
エリソン・ショージ・オニヅカ。この人はアメリカ空軍の大佐で、日系人初のアメリカ航空宇宙局宇宙飛行士、そして浄土真宗の門徒でした。ハワイの本願寺の教会で帰敬式を受け、最初の飛行で持参した日の丸を本願寺へ寄贈され、当時は展示されてありました。
残念ながら1986年にスペースシャトル「チャレンジャー号」が空中爆発を起こして、乗組員八名の犠牲のお一人となりました。   この事故は多くの教訓を残したと言われています。

 チャレンジャー号の打ち上げは一月二八日に予定されていた。寒い季節である。打ち上げロケットのブースターを設計・製作したサイオコール社の技術者たちは、気温が四度以下になれば打ち上げを延期すべきと上申していた。ブースターの連結部をシールするための○リングは低温になると彈性が低下し、そこからガスが漏れることに気づいていたからです。
実際、打ち上げを予定していた日は冷え込むことが予想されており、技術者たちは延期を要望し技術担当重役にも伝えていた。

 ところが、その前夜にNASAとサイオコール社との問で最終の打ち合わせが行われ、打ち上げ決行が決定された。NASAは学校の先生も搭乗させると大々的に宣伝した手前、打ち上げを延期することは念頭になかったし、一方のサイオコール社は慎重であったが、これまでいくつかの失敗を繰り返していたので、契約を続行するために焦ってもいた。
NASAに打ち上げ強行を強く迫られて、サイオコール社は急遽重役会議を開くことになった。その塲で、打ち上げ反対を表明していた技術担当重役に対し社長が「君は技術者の帽子を脱いで、経営者の帽子を被りたまえ」と説得した。打ち上げが延期になるとNASAからの受注がなくなることを心配した技術担当重役は、結局折れて打ち上げに同意したのだった。

 結局、技術者たちが心配した通りOリングからガスが漏れだし、空中爆発を起こしてしまった。
 この事件は、経営の論理と技術の論理が衝突したとき、いかなる判断を優先すべきかについての示唆を与えています。でもなかなか反対を押し切って、自分の意見を押し通すことはできぬくいことです。
特に日本人の多くは、人と人との関係性の中に、自分の生きる道を求めていく傾向があります。要注意でしょう。

最近購入した本に『科学・技術と現代社会』(池内了)があります。図書館で借りてきて、これは買うべしと思い買ったものです。その本の中に、科学者の行動規範として「想像力」「事実の直視」「真実に対して誠実」の三つが挙げられています。詳しくはお伝えできませんが、これは科学者ばかりではないあらゆる分野のリーダーに求められる要素でもあります。
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ハーディング現象

2015年02月26日 | 現代の病理
川崎市で殺害された中学一年の上村遼太さんの事件、昨日の新聞では、関係者の中もを任意同行で調査中とありました。本日(27.2.26)は発売の『週刊新潮』『週刊文春』でもとりあげられていますが、遺体が発見されて、状況判断から2日もあれば、逮捕されると思ったのですが…今朝の時点では、まだ逮捕されていますせん。

逮捕が遅くなって、危惧されることは、加害者少年の自殺です。群集心理の中での暴行、そして一人になって、ことの大きさを自覚して、その重みに耐えられず自死。加害者のためにも早く、逮捕してあげればという思いを持ちます。

少年社会における関係性のもっている重要さが、ひしひしと感じられます。加害者の少年たち、すべてが極悪ということではないのでしょうが、関係性に染まっていくことの中に見出される安心があります。

『最新 行動経済学入門』に“ハーディング現象”という説明がありました。群衆心理のことで、他と群れをなそうとする心理。 (人間は多くの人が 行っている行動に追随する傾向。安心感が得られるため)とあります。ハーディング現象は投資家が一斉に株の買いや売りに走る現象のことで金融界において使われる言葉のようです。心理学でいう同調行動です。

被害者の少年は、染まって行くことから逃れようとして、被害にあったものと思われます。染まって行きつつあることから、どう離脱していけるのか。これは他人事ではありません。


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後家さん

2015年02月25日 | 日記
実家(松戸市天真寺)の郷里は島根県で,島根県のお寺で4月8日に法要があるので出向することになっています。旧邑智郡浄円寺といいます。歴史には、「開基 智伝 正徳5年4月8日(西暦1715年)」とあります。丁度400周年ということです。

興味があって手元にある『読める年表』(自由国民社)の1715年を開きました。この本は、「○泥棒へ泥棒が入った」とか、それはそれは出来事がくわしく記されています。

一頁が細かい字で5段になっており、一番下の段に「言葉の意味」「この時代の特色」「事物の起源」などが書かれています。

さて1715年です。「事物の起源」に次のようにあります。

剣道の防具―直心陰流の長沼史郎左衛門国郷が、各人の個性に応じた稽古をするには定型伝授よりも試合稽古がいい、しかし負傷を防がねばならないということから面、籠手、竹刀を考案した。他流からは馬鹿にされたが、バタバタ派手に打ち合えるので入門者が殺到。吉宗が武芸を奨励したこともあって剣防具は当然のことになる。(正徳年間)

とある。また「言葉の意味」に「後家」が説明されています。私は「後家」は、未亡人以上に何か差別的な響きがあり、あまり使ったことがありませんでした。ところが次のようにあります。ついでに「三行半」も。

・「後家」-夫を亡くした女いうたけでは十分ではない。夫の債権債務を受け継ぎ、一家の主として責任を果たす立場の未亡人のこと。一家の主だから養子をとることも可能である。


・「三下り半」-男から女へ渡す離縁状のこと。離縁の理由は女にではなく当方(男)あること、女が誰と再婚しようとも文句をつけないことの二件を必ず書かなくてはならない。だから「三下り半」を離縁通知状と考えるのは大間違いである。子どもの養育、財産の処理(特に女の持参金)などの協議がまとまったことの確認書であり、女としては、これを持つことが再婚への公的な資格となる。必要な文章はだいたい三行半で書くことになっているので、無筆な男は棒を三本と半分書いて拇印を押せば有効となるしきたりがあった。(以上)

後家さんって、江戸幕府の制度の中で生まれたしっかりとした言葉なんだと納得。
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少女3人がシリアへ

2015年02月24日 | 現代の病理
一昨日(27.2.22)の報道に「イギリスで10代の少女3人がシリアに向かったとみられることが分かり、過激派組織IS=イスラミックステートに参加するのではないかという懸念が広がっています。」とありました。

昨年でしたか、日本人の学生も「イスラム国」への渡航を計画していたとか。“ロンドンの学校に通っていた15歳と16歳の少女3人がなぜ”
先に紹介しました『イスラム国の野望』でも“今後、彼らが日本語でもメッセージを発信し始めたら、それに共感する日本人も出てくるかもしれません。何しろ自殺者が3万人もいる国ですし、鬱屈している若者もたくさんいるでしょう。 2014年10月に北海道人学の学生が渡航を企てたとして警視庁の事情聴取を受けました。現在の生活に不満を抱いた若者たちの中から、「どうせ死ぬなら大きな花火を打ち上げてから」と考える人が出てきても、おかしくないのではと思います。”とあります。

イスラム教とは無関係な若者が、シリアを目指す。中東は言うに及ばず、先進国の若者たちに鬱積が沈殿しているようにも思われます。

発展の論理の上にたつ資本主義そのものの閉塞感のようにも思われます。社会が「大多数の幸せ」を求めた結果、「大多数の一部の人の利益」に集約していき、現実の格差、希望格差、その中で自分史を想像できない若者が、多くなっているようです。
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