借りてきた本は『講座 蓮如 第二巻』(平凡社刊)と『蓮如体系 第二巻 蓮如の教学』(法蔵館)です。両書に片岡了氏の論文が掲載されていますが、『蓮如体系 第二巻 蓮如の教学』に『蓮如上人「御文」の文章―文章史の観点から』があります。その論文からの転載です。
すでに言いふるされたことであるが、中古の仮名の物語や、仮名の日記の「ことば」は当時の口語(日常会話語)を反映したものであって、その文章は言文一致の文章であったとせられている。ただ、その場合、文字に書かれたことば(書きことば)と口頭のことば(話しことば)とは、「凡そ言語の歴史の存する限り、常にその全き一致を見ることは望み得ないもの」(国語学会編『国語の歴史』一二一頁)であるから二言文一致の文といってもそれが直ちに口頭の話しことばと同じであるということにはならないが、少なくとも平安末期以後の(『御文』は室町時代)、いわゆる「文語」と「口語」の間の差のようなことはなかった。が、それも『源氏物語』の頃を頂点として、それ以後は次第に「文章語」と「口頭語」とが離れて行ったと考えられている。(以上)
論文は、「文の長さ」「文の構造」「和語的表現」などを詳細に検討して、次のように結論づけています。
全体として「御文」の文章は、いわば「口語的文語」とでもいうべき性格のものと考えられる。但し、これは「御文」の文章を当時の「口語文」だといおうとするのではない。それはあくまで室町時代の「文語文」の一つと考える。ただ、それが「口語文」的なところを志向しながら、そうもなり切れず、いわば、語文と文語文との折衷的文章になっているということに注意したいとおもうのである。中世の文章・文体のあり方は多様であって最も口語的なものと、最も文語的なものを両極として、その中間に「ゆれ」があり、そのような「ゆれ」を示す一つのあり方として、かかる形が存したと考えるのである。そして、このようなおり方は、「御文」が文書による教化、伝導を目ざしたものであるというところから生じたものとおもわれるが、はじめに指摘したように「御文」のこのような形式は「読みきかせる」形式の文、「語り」の文の一つの形式を示していると言えよう。(以上)
すでに言いふるされたことであるが、中古の仮名の物語や、仮名の日記の「ことば」は当時の口語(日常会話語)を反映したものであって、その文章は言文一致の文章であったとせられている。ただ、その場合、文字に書かれたことば(書きことば)と口頭のことば(話しことば)とは、「凡そ言語の歴史の存する限り、常にその全き一致を見ることは望み得ないもの」(国語学会編『国語の歴史』一二一頁)であるから二言文一致の文といってもそれが直ちに口頭の話しことばと同じであるということにはならないが、少なくとも平安末期以後の(『御文』は室町時代)、いわゆる「文語」と「口語」の間の差のようなことはなかった。が、それも『源氏物語』の頃を頂点として、それ以後は次第に「文章語」と「口頭語」とが離れて行ったと考えられている。(以上)
論文は、「文の長さ」「文の構造」「和語的表現」などを詳細に検討して、次のように結論づけています。
全体として「御文」の文章は、いわば「口語的文語」とでもいうべき性格のものと考えられる。但し、これは「御文」の文章を当時の「口語文」だといおうとするのではない。それはあくまで室町時代の「文語文」の一つと考える。ただ、それが「口語文」的なところを志向しながら、そうもなり切れず、いわば、語文と文語文との折衷的文章になっているということに注意したいとおもうのである。中世の文章・文体のあり方は多様であって最も口語的なものと、最も文語的なものを両極として、その中間に「ゆれ」があり、そのような「ゆれ」を示す一つのあり方として、かかる形が存したと考えるのである。そして、このようなおり方は、「御文」が文書による教化、伝導を目ざしたものであるというところから生じたものとおもわれるが、はじめに指摘したように「御文」のこのような形式は「読みきかせる」形式の文、「語り」の文の一つの形式を示していると言えよう。(以上)