仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

御礼

2017年12月31日 | 日記
自分自身へ。今年もお世話になりました。ケガもなく、またアクシデントもなく大みそかを迎えることができました。
皆さまへ。つたない、誤字脱字が多い、見苦しい文を読んで下さってありがとうございました。

昨年か一昨年『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を読んで、『もし女子学生が親鸞語録『歎異抄』を読んだら』を書いてみたいという思いを持ちました。それと、これは一昨年くらいから『正しい絶望のすすめ』というコンビニで売れる程度の本を書いてみたいという思いを持っています。



『正しい絶望のすすめ』は、寺報などに書いた文章ものがあるし、毎日一話、書いていけば3カ月で書けるのだがと思案しています。ただどうしても、文章が、難しくなってしまうので、それがブレーキになっています。明日から、やれるところまでやってみます。
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一杯のラーメン

2017年12月30日 | 日記
以前書いたかも知れませんが、ビハーラ通信に読み物として掲載したので、転載します。

杯のラーメン

 西原祐治作

本願寺派の仏教婦人会総連盟が発行している『めぐみ』(年4回発行)に、今年の春号までマンガの原作を書いていました。マンガのタイトルは、『かおりさんの日常』、作画はますいあけみさんでした。主人公は、かおり。32歳、独身女性、出版社勤務という設定です。これは原作者である、私が考えました。

その連載も終わったのですが、次の発行の時にと、用意していたストーリーがあります。「一杯のラーメン」という題です。そこで皆さんに、読み物としてご紹介します。



「一杯のラーメン」

出版社に勤めているかおりは、上司から「ラーメン特集を組むから、企画案を一つ考えてくれ」といわれます。とりあえず、行きつけのラーメン店へお客の少ない時間を見計らって調査を兼ねて昼食を食べに行きます。

かおりはラーメン店の店主に、最近のラーメンの傾向を聴いてみると、50歳を手が届きそうな店主がポツリを言った。
「私もまだ修行中です」
かおりは思わず「え、その歳で、まだ修行ですか」という言葉が口をついて出た。
店主は少しはにかみながら、「満点をつけるのは、お客さんですから」というと、店主の顔から子どもっぽい笑みがこぼれた。
そして店主は、自分が座右の銘にしている言葉があると、修行時代のことを語り始めた。
「おれがこの道に入ったのは、30を過ぎたころ。その歳になるまで、何やっても身につかずにいた。そんなおれに、ラーメン作りを教えてくれた大将が、ある日、“いのちを終わって行く人が、最後の晩餐として食べたいと思うようなラーメンをつくれ”と言ってくれた。その時、おれの心の中に、一本の筋ができた感じで、おれは、この店を開業してから、その言葉を胸に刻んで、一杯一杯のラーメンに、魂をこめている。」
かおりは、思わぬことを聴き、目を輝かせて言った。
「その大将、お坊さんみたい。一杯のラーメンにも、ラーメン道があるんだ」
かおりには、その顔見知りの店主も修行僧のように見えた。
「はい、おまちどうさま」
ラーメンが目の前に置かれると、かおりは、ふとラーメン特集の企画案を思いついた。
「そうだ、ラーメンにまつわる思い出を取材しよう」
夜になり、とりあえず実家の母に電話した。
「お母さん、何か、ラーメンに関わる思い出はないかなー」
電話口の母は、過去を回想しているようで、「そうねー、子どもの頃、自分の誕生日には近所の中華店から好物の出前を取っていた。いつもお母さんのとっておきは、五目ラーメンでねー。何が懐かしいって、そんな小さな事で喜べる時代が良かったのよー」
かおりは電話をおくと、友人の早苗にメールした。
「今度、ラーメン特集を組むことになった。早苗、ラーメンにまつわる思い出ってある?」。
しばらくして早苗から返信があった。
「子どものころ、父によくラーメン店に連れていかれた。ラーメン店に行くのが嫌だったけど、嬉しそうにラーメンをすする父の横顔が思い出かなー」
早苗の父は、3年前、交通事故で亡くなっていた。そのことを知っているかおりは、中学校の頃、会ったことのある早苗の父の顔が浮かんだ。そして、「ラーメンよりも、ラーメンをとりまく時代とか家族が懐かしーんだ」と思った。
 かおりは翌日、駅前にある丸山食堂へ取材に行った。丸山食堂は、かつ丼やラーメン、洋食など、バラエティ―豊かなメニューをそろえているお店で、出前もしてくれるので、近隣の人たちには重宝がられていた。
かおりは昨日のうちに電話で取材を申し込んでいた。
かおりは、丸山食堂の透明な横開きのドアを開けて店に入った。お客さんが少ない時間帯なこともあって、店主は、椅子に座って待っていてくれた。
「こんにちは、雑誌出版社の堤かおりと申します。お忙しい中、時間を割いていただきありがとうございます」
かおりは頭を下げて挨拶しながら店に入った。
名刺を差し出し挨拶すると、店主は「どうぞ、おかけください」と、優しい笑顔で迎えてくれた。
かおりは、ラーメン特集の取材であることを話し、ラーメンにまつわるエピソードを聞き始めた。
 「この当たりは商店街で、昼時はけっこう忙しいですよ。そんなとき、一本の注文の電話があった」。店主は、少し前のことだけどと、あるエピソードを話してくれた。
「家内が電話を取ると“一杯だと配達はしてもらえんやろか”という。昼時は忙しいから、一杯のラーメンの配達は断っている。家内が“すみません、一杯の配達は……”と断ろうとすると、電話の相手はせき込んで、“風邪ひーとるんや。頼むよ”という。私もそばにいて、相手の様子を察したので、家内に、うなずいて、配達してやるよ。と小声で伝えたんですよ」
かおりは、取材内容を録音しているが、要所要所をメモしながら聞き入っていた。
 「その人は、時々夫婦で注文をしていた人だったけど、2年前に奥さまを亡くして、注文が途絶えていたんです。私が一杯のラーメンを配達したら、とても喜んでくださった。
それから3日経って忙しい昼時を越えて少し落ち着いたころでした。どんぶりを持った一人のお嬢さんが“ごめんください”と店に入ってきたんです。どこか配達先のお客さんがわざわざ持ってきてくれたのだろうと思い、“すみません。ありがとうございます。失礼ですが、どちら様でしたっけ”と聞くと、“あのー”と少し言いづらそうに、“3日前、ラーメンを一杯、配達してもらった吉村です。父はとても喜んでいました。たった一杯なのに、忙しいなか親切に配達していただいたと感謝していました。そのあと父は体調が悪化し、昨日亡くなりました。最後に食べたのは、配達してくださった、あのラーメンでした。『おいしい、おいしい』と言っていたので、父は幸せでした。ありがとうございました”っていうんですよ。びっくりしました。そのことがあってから、私は一杯のラーメンでも配達するようになったんですよ」
かおりは、その話しに感動して「それ、“私のとっておきの話し”というタイトルで、雑誌に紹介します」と言うと、独り言のように「たかが一杯のラーメン、されど一杯のラーメン。ラーメンは奥が深い」とつぶやいた。
(以上)
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御正忌報恩講WEBインターネット中継

2017年12月29日 | セレモニー
早、年の瀬、加齢とともに時の流れが速く感じられるのか、思い悩むことや、感動的なことが少なかったので、時の流れが速く感じられるのか不明ですが、あっという間の一年でした。

来年は、早々、御正忌での法話出向(1月12から16日)、これは近年いないイベントです。15日の特別講演は手話通訳もあり、ネット配信もあるので、楽しみにしています。

御正忌報恩講WEBインターネット中継
本願寺のホームページからつながります。

1月9日~1月16日にかけて親鸞聖人御正忌報恩講がお勤まりになります。
この報恩講の様子がインターネット中継がなされており、ご自宅からご参拝頂けます。

晨朝法要(午前6時~)、日中法要(午前10時~)、逮夜法要(午後2時~)、特別講演(11時10分~)、通夜布教(1月15日午後7時~)・・・法要の様子をご覧下さいませ。

■特別講演(11時10分~)のご講師です。
13日(水)野村康二先生(再放送17:00~)
14日(木)花岡静人先生(再放送16:30~)
15日(木)西原祐治(再放送16:30~)
■通夜布教 1月15日19時50分~20時30分 住職の西原祐治が法話をします。

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お賽銭はケガレを取り除く儀式 ?

2017年12月28日 | セレモニー
昨夜(29.12.27)7時30分のNHKテレビ「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、「(神社の)賽銭の意味について」大学教授が解説していました。

“お賽銭はケガレを取り除く儀式 お賽銭を入れる際の正しい作法は 御手水で手を清めたあと、正面に一回投げ入れ、左に一回投げ入れ、右に一回投げ入れ、計3回投げ入れることで自分の体に取り憑いたケガレを取り除き、また周囲のよこしまなものを近寄らせない効果がある。”と言っていました。

本当かな?と、神社本庁のホームページを開くと次のようにあります。

お賽銭の意味や起源には諸説があります。現在では神社にお参りすると、お賽銭箱に金銭でお供えしますが、このように金銭を供えることが一般的となったのは、そう古いことではありません。
もともと、御神前には海や山の幸が供えられました。その中でも特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。
私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれ暮らし、秋になるとお米の稔りに感謝をして刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき、米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし、貨幣の普及とともに米の代わりに、金銭も供えるようになりました。
そもそも米は、天照大御神がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵(おおみめぐみ)を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。現在でも米をお供えする方もいますが、金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちには変わりはありません。
お賽銭箱にお金を投げ入れるところをよく見かけますが、お供物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるともいわれています。しかし、自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な動作を心掛けたいものです。(以上)

確かに「祓(はら)い」の意味もあるとありますが、神社本庁の見解から察して、第一義は、感謝ではないかと思われます。
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教育勅語の何が問題か

2017年12月27日 | 現代の病理
岩波ブックレット 『教育勅語の何が問題か』を借りてきました。

本の紹介には「1948年,教育勅語は公教育から排除された――それは教育勅語のうたう理念と,勅語がもたらした現実が,自由と民主を掲げる戦後社会に根本的に馴染まないからだ.学校教育に,社会に,そしてアジアに大きな歪みをもたらしたその歴史を,教育史研究の成果を結集して解説する.一冊で論点がわかる必携の書」とあります。

興味深かったのは、教育勅語と天皇の御真影が、各学校等に掲げられ、教育勅語と天皇の御真影が物神化して、そのいわゆるそのコピーを護るために多数の殉職者が出ていることです。

は、果ては死名を出すに至っています。それが殉職事件です。不敬事件と殉職事件、現れ方はまったく対極にあるのですか、いずれも勅語謄本・御真影の物神化という共通の社会意識に根ざして発生しているのです。

死を強いる抑圧
 御真影殉職事件の最初は、一八九六年、三陸大津波のさいに勅語謄本・御真影を救い出すために逃げ遅れ、津波に飲まれて殉職した小学校艮の例です。一九〇七乍には仙台の県立第一中学校の学校火災のとき、勅語謄本・御真影を取り出そうとして逃げ遅れた学校書記(事務長)が殉職しています。一九一八年には植民地朝鮮の小学校で、校長が猛火を冒して校舎に飛び込んで「御真影奉安室の正面に正座して焼死」しました。一九二一年、長野県の小学校で、宿直室の御真影を取り出そうと燃え盛る火炎の中に飛び込んだ校長か、御真影を抱いたまま宿直室外の壁にもたれた姿で焼死しました。1927年にも兵庫県の小学校教員が、学校火災のさいに御真影を奉持したまま焼死しました。(以下省略)

こうした行為をマスコミが讃え、勅語謄本・御真影の物神化がますます強固になっていきます。本を読んで、マスコミの罪というものを改めて思いました。
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