31日、大みそか、ウオーキングは歩き納めでした。
宗教業界誌『中外日報』(27.12.23日号)に、浄土真宗本願寺派延命寺住職徳永道隆氏が「論」“「仏教と医療の協働」なお遠く”と題して、去る10月3日広島別院で開催された、ビハーラ安芸主催の公開講座「いのちの終わりを見つめ合うー医療者の仏教者の対話」の報告と、感想を書いていました。
まずは当日基調講演をされた広島緩和医療を推し進めている広島県緩和医療ケア支援センター長の本家好文しが「人生の終末期に寄り添う」と題して、次の提言を行ったとあります。
「看取りの文化の再構築」を掲げられた。それは次の5項目よりなる。 ①「死」は、すべての人に起こる正常な現象である②死を迎えるまでの身体の苦痛を緩和するのが医療の役割であり、死を阻止するのが役割ではない③死を病院(医療者)から取り戻す④病院死が多く、看取り体験者が少なくなった。死後でなく、近親者に「看取りに参加」してもらう⑤宗教者も「看取りに参加」する必要がある。(以上)
しかし、ディスカッションに移ると様子は一変したと、「日常が全人的ケアを目指して苦労をしているのに、そこに仏教者に何ができると言うのですか、という問いかけがあるように感じた」と医療者の憤りを感じたとありました。
“会場の僧侶からの「どうしたら病院で活動できるか」との問いにも同様で「何ができるかをはっきりしていただかないと」「僧侶という立場を捨ててこられないとちょっと……」など、この度の講座開催のテーマでもある「仏教と医療の協働」ということには程遠い議論であった。”とありました。
現場をもっている医療者の実感が読み取れる内容で、こじんまりまとまった論よりも良い内容でした。
宗教業界誌『中外日報』(27.12.23日号)に、浄土真宗本願寺派延命寺住職徳永道隆氏が「論」“「仏教と医療の協働」なお遠く”と題して、去る10月3日広島別院で開催された、ビハーラ安芸主催の公開講座「いのちの終わりを見つめ合うー医療者の仏教者の対話」の報告と、感想を書いていました。
まずは当日基調講演をされた広島緩和医療を推し進めている広島県緩和医療ケア支援センター長の本家好文しが「人生の終末期に寄り添う」と題して、次の提言を行ったとあります。
「看取りの文化の再構築」を掲げられた。それは次の5項目よりなる。 ①「死」は、すべての人に起こる正常な現象である②死を迎えるまでの身体の苦痛を緩和するのが医療の役割であり、死を阻止するのが役割ではない③死を病院(医療者)から取り戻す④病院死が多く、看取り体験者が少なくなった。死後でなく、近親者に「看取りに参加」してもらう⑤宗教者も「看取りに参加」する必要がある。(以上)
しかし、ディスカッションに移ると様子は一変したと、「日常が全人的ケアを目指して苦労をしているのに、そこに仏教者に何ができると言うのですか、という問いかけがあるように感じた」と医療者の憤りを感じたとありました。
“会場の僧侶からの「どうしたら病院で活動できるか」との問いにも同様で「何ができるかをはっきりしていただかないと」「僧侶という立場を捨ててこられないとちょっと……」など、この度の講座開催のテーマでもある「仏教と医療の協働」ということには程遠い議論であった。”とありました。
現場をもっている医療者の実感が読み取れる内容で、こじんまりまとまった論よりも良い内容でした。