仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

僧侶に何ができるか

2015年12月31日 | 都市開教
31日、大みそか、ウオーキングは歩き納めでした。

宗教業界誌『中外日報』(27.12.23日号)に、浄土真宗本願寺派延命寺住職徳永道隆氏が「論」“「仏教と医療の協働」なお遠く”と題して、去る10月3日広島別院で開催された、ビハーラ安芸主催の公開講座「いのちの終わりを見つめ合うー医療者の仏教者の対話」の報告と、感想を書いていました。

まずは当日基調講演をされた広島緩和医療を推し進めている広島県緩和医療ケア支援センター長の本家好文しが「人生の終末期に寄り添う」と題して、次の提言を行ったとあります。

「看取りの文化の再構築」を掲げられた。それは次の5項目よりなる。 ①「死」は、すべての人に起こる正常な現象である②死を迎えるまでの身体の苦痛を緩和するのが医療の役割であり、死を阻止するのが役割ではない③死を病院(医療者)から取り戻す④病院死が多く、看取り体験者が少なくなった。死後でなく、近親者に「看取りに参加」してもらう⑤宗教者も「看取りに参加」する必要がある。(以上)

しかし、ディスカッションに移ると様子は一変したと、「日常が全人的ケアを目指して苦労をしているのに、そこに仏教者に何ができると言うのですか、という問いかけがあるように感じた」と医療者の憤りを感じたとありました。

“会場の僧侶からの「どうしたら病院で活動できるか」との問いにも同様で「何ができるかをはっきりしていただかないと」「僧侶という立場を捨ててこられないとちょっと……」など、この度の講座開催のテーマでもある「仏教と医療の協働」ということには程遠い議論であった。”とありました。

現場をもっている医療者の実感が読み取れる内容で、こじんまりまとまった論よりも良い内容でした。
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ネガティブシンキング

2015年12月30日 | 日記
ネガティブの続きです。『ネガティブシンキングだからうまくいく35の法則』(2013/1/21・森川 陽太郎(著)、これも ネガティブなことを受け入れようと説いている本です。「ネガティブシンキング」とは、消極的、悲観的な考え方をすること、マイナス思考のことのようです。

本書の著者はサッカー選手だったようで、「ポジティブに振舞おうとする自分を一旦やめて、ありのままの自分を自分で受け入れる」ことの大切さを説いています。「ありのままの自分を受け入れる」ためには、“OKラインを下げて「自己肯定感」をもつ”“「確実にできること」にOKレインを設定する”“「あきらめる」ことを受け入れる”など35の法則とやらを説いています。

要は「無理をせずにありのままを受け入れて生きる」等身大の自分に気づいて自己肯定感を持つといったところです。

青少年でスポーツをやっている人には、参考になる本だと思います。
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真面目な子 なぜ

2015年12月29日 | 現代の病理
“祖母殺害疑いの17歳逮捕 「誰でもよかった」 君津”(産経新聞 12月28日(月)7時55分配信)

 “千葉県君津市杢師(もくし)の民家から男女の遺体が見つかった殺人事件で、県警君津署は27日、女性に対する殺人の疑いで同市の別の場所に住む県立高校2年の少年(17)を逮捕した。少年は2人の孫で、26日午後に「おじいちゃんとおばあちゃんを殺した」と同署に自首していた。
 同署によると、少年は容疑を認め、「学校生活で感じていたストレスを解消するため、人を殺すことを思いついた。誰でもよかった。恨みはなかった」などと供述している。”

同じ千葉県なので千葉県版に「真面目な子 なぜ」という見出しがありました。一週間前に図書館で借りてきた「ふつうの家庭から生まれる犯罪者」( 2001/9・碓井 真史著)のタイトルが紙面と重なりました。

上記の本の案内には次のようにあります。

 本書は、戦後から2001年のまでの多くの犯罪事例を取り上げた犯罪辞典として読むこともできます。しかし、それだけではなくて、犯罪を通して、家族を見直すための本です。家族の問題から目をそらさず、心の闇の部分からも逃げないで、目を向けてみませんか。問題があるからといって、だめな家庭ではありません。欠点があるからといって、だめな人間ではありません。もう一度、家族の愛を取り戻すために、親の思い、子の考え、家族の心理についてご一緒に考えていきましょう。(以上)

著者は、次のように語っています。“ 犯罪者のタイプが「乱暴で攻撃的な人間」から、「依存的で甘え型の人間」に変わってきているのです。
少年非行も、生活のための「生活型非行」から、スリルを求めての「遊び型非行」に変わり、さらに、「自己確認型非行」に変わってきたと言われています。

 ある家庭裁判所の調査官の方は、「見るからに悪そうな非行少年よりも、優等生タイプでいきなり犯罪を犯した少年のほうが、更生させるのはずっと難しいと」言っていました。このような少年の方が、心の傷が深いからかもしれません。

人は誰もが問題を持ち、弱さを持っています。そのこと自体が悪いわけではありません。
ありのままの自分を出すことを恐れ、問題や弱さを正しく表現できないことが、問題を大きくするのです。(以上)

本の内容自体は「現代の病理」といった核心に迫るものではなりませんが、2001年の段階で「ふつうの家庭」に着目している点は、現場で活躍されていた心理学者だからでしょうか。
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ネガティブな自分をゆるす本

2015年12月28日 | 苦しみは成長のとびら
昨日の続きですが、『ネガティブな自分をゆるす本―ポジティブ・シンキングのとらわれをはずそう!』(著者 植木理恵) に紹介されている、色を使った「セルフカンセリング」を
本の中から勝手に抜粋して紹介しておきます。“ありのままを認める”浄土真宗と何が違うかを知るためのアップです。

自分の気持ちを色になぞえらえてみること……。「気分」を自覚するだけで、こころに安定感を与えてくれる。日に日に移り変わる自分の気分を「色」で表現して、自分のこころの傾向をより的確に把握する。

「気分」を知ることから、すべてが変わっていく。…気分を「言葉」で表現しようとすると、無理な自己規定をしてしまいがち。言葉で規定してしまうよりも、バリエーションの豊富な「色」を用いて表現したほうが、より適確に自分の「気分=こころ」を簡便に、かつ正確につかめることになる。


「人間は色々と変わることに気づく」。つまり、「人の色は毎日変わるものだ、あてにならないものだ」ということを知り、「変わるのがふつうなんだ」と実感することが大事。

”明日はどういう色に変わるかわからない”ということをちゃんと知っているからこそ、“今日の自分の色をふところ深く受けとめられる”ということになる。

それは、自分の気分に気づくことによって、日頃の「自分の色合い」をコントロールしやすくなることです。

気分をないがしろにしてはいけない…無視したり否定したりせずに、ちゃんと注目し、肯定してあげなければいけない。悲しい気分も、つらい気分も、苦しい気分も、楽しい気分も、みんな等しく受けとめてあげることが、自分を知り、そこからステップアップするための、スタートラインに立つことになる。その大切さに気づくと人は変わっていく。

 「なりたい自己=ポジ」の部分と、「なっている自己=ネガ」の部分とが、ひとりのこころの中にいつでも混在している。このポジとネガは、たとえれば、カセットテープのA面、B面のようなもの。表裏一体として、ひとつの個性を形成している。ただ、最近はどうも「なりたい自己」、すなわちポジの面ばかりが大切にされてしまい、「なっている自己」、つまりネガの自分がすっかり置き去りにされてしまっている。…
「なりたい自己」と「なっている自己」の距離をだんだん近づけて、毎日しつかりと現実を見つめているうちに、いつの間にか両者の「乖離」が小さくなり、理想と現実とが無理なく重ねられるようになってくるわけです。それこそが「こころの成長」。

 やみくもにポジティブでいるうちは、この成長は起こり得ません。ネガティブとポジティブのどちらも等価であると思えるようになり、暗い自分ともうまくつき合えるようになることが、自己実現のためにも、あなたのメンタルヘルスのためにも、必要不可欠なこと。(以上)

興味のある人は本を読んでください。「ありのままを認める」、そのために今自分の中で起こっていることを偏見なく認め、希望と現実を自己一致する中に、自己肯定感が育くまれていくといったところでしょうか。
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ネガティブ③

2015年12月27日 | 苦しみは成長のとびら
ネガティブの続きです。少しこだわっているのは、悪人が救われていくという浄土真宗こそ、最もネガティブなことを肯定する考え方に立っていると思うからです。

柏市の図書館で、この種の本を検索すると『ネガティブな自分をゆるす本―ポジティブ・シンキングのとらわれをはずそう!』(著者 植木理恵) があり、借りてきました。

内容は、ありのままの自分を認めていこうとするものですが、その為の手立てが色々と説かれてます。

「未完結感」というのは、文字通り「問題がスッキリ完結していないこと」を言います。…こうした「認知的不協和」や「未完結感」が存在していると、ただでさえ忘れることが難しい悲しみやつらさが、もっともっと忘れられにくくなってしまいます。だから、早く忘れたい問題に対しては、①真っ向から向き合い、②不協和音をちゃんと成仏させ、③どんな悲しいストーリーでも、一応は完結させておいたほうがいい、ということになるのです。…
その問題はすみやかに「成仏」します。
 

わかりやすく言えば、「ポジティブ」でも「ネガティブ」でもなく。その中間の「ニュートラル」な状態にこころをシフトしようという考え方。…
とりわけ、ニュートラル思考が効果的なのは、なんでも物事の「白・黒」をはっきりさせないと気が済まないような人や、情緒不安定気味の人です。そういう人がニュートラル思考を習慣にすると、「白」でも「黒」でもない「グレーゾーン」に身を置くことの大事さを知ることとなり、精神をより安定させることができるのです。(以上)

なかなかよく書かれています。自分が自分であることを知るための心理学的アプローチです。特に若者には、優れた療法だと思われます。

しかし価値観が固定化してしまっている年配者には、刹那的に役になっても、所詮はネガティブを受け入れるというポジティブの考え方なので、プラス思考の域を出ません。そのあたりが精神療法的アプローチの欠点でしょう。でも繰り返しますが若い人にはお勧めです。
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