三日ぶりのウオーキングでした。二日間は梅雨のためにダメ、昨日は途中で雨が強くなってきたので30分でリタイア。早朝4時過ぎ、明るくなるのを待ってスタート。何と言っても好きな時に、好きな呼吸で念仏を称えることができるのが良い。
といっても今日の1時間40分のウオーキングの中で、念仏を称えた時間をつなぎ合わせたら15分~20分くらいだろうか。でも強制されることもなく、時には呼吸に合わせて、時には雑念をツマとして称えられることが爽快です。
5時過ぎのニュースで「ダウ平均は…。アメリカは戦没将兵追悼記念日のためにお休み…」と聴こえてきた。“ああ今日は、アメリカの戦没将兵追悼記念日か”と思ったときに、尊敬する西元宗助先生が、いつか語られて戦没将兵追悼記念日の時のエピソードを思い出しました。
先生が、かつてアメリカ仏教会に招かれてシヤトルヘ行ったときのこと。その日が5月30日でメモリアル・デー(5月最終月曜日)に際し、当時のシヤトル本願寺の輪番に伴われて、第二次世界対戦で戦死した日系2世軍人の墓地での法要に参列されたぞうです。
最初は、うかつにも日本での法要のごとく錯覚していたそうですが、そこに集まった人たちは、先の戦争にアメリカの軍人として、サイパン島、フィリピン、沖縄 などで、日本軍と戦って戦死した20才代の若い日系アメリカ兵の戦没者であり、そのご遺族の方々であったそうです。
その場で、何か講話をせよとのご案内に、先生は、困惑し、悲痛感いっぱいになったとのこと。なぜならば、ご遺族の方々は、祖国日本と戦って死んだ息子たちへの悔みという、まことに複雑な晴れやまぬ気持で歎き悲しんでいる方々だったからです。
ご遺族のまえに立った西元先生は、ただ念仏して浄土を念ずるほかなかったとのことです。その念仏のなかに、人間であることの悲しみ、そしてそれだけに、敵も見方もない、恩しゅうの彼方なる倶会一処の浄土が念じられたと語られていました。
西元先生がいわれる「人間であることの悲しみ」とは、うちにどれほど素晴らしい理想を持っていても、縁によってどんな生き様をする解らない存在、その存在そのものに関わる悲しみを言ったものです。
“そうか、今日はアメリカでは戦没将兵追悼記念日か…”そんなことをツマとしながら、念仏を称えた早朝でした。さて今日は今から沼津まで研修会の出向です。
といっても今日の1時間40分のウオーキングの中で、念仏を称えた時間をつなぎ合わせたら15分~20分くらいだろうか。でも強制されることもなく、時には呼吸に合わせて、時には雑念をツマとして称えられることが爽快です。
5時過ぎのニュースで「ダウ平均は…。アメリカは戦没将兵追悼記念日のためにお休み…」と聴こえてきた。“ああ今日は、アメリカの戦没将兵追悼記念日か”と思ったときに、尊敬する西元宗助先生が、いつか語られて戦没将兵追悼記念日の時のエピソードを思い出しました。
先生が、かつてアメリカ仏教会に招かれてシヤトルヘ行ったときのこと。その日が5月30日でメモリアル・デー(5月最終月曜日)に際し、当時のシヤトル本願寺の輪番に伴われて、第二次世界対戦で戦死した日系2世軍人の墓地での法要に参列されたぞうです。
最初は、うかつにも日本での法要のごとく錯覚していたそうですが、そこに集まった人たちは、先の戦争にアメリカの軍人として、サイパン島、フィリピン、沖縄 などで、日本軍と戦って戦死した20才代の若い日系アメリカ兵の戦没者であり、そのご遺族の方々であったそうです。
その場で、何か講話をせよとのご案内に、先生は、困惑し、悲痛感いっぱいになったとのこと。なぜならば、ご遺族の方々は、祖国日本と戦って死んだ息子たちへの悔みという、まことに複雑な晴れやまぬ気持で歎き悲しんでいる方々だったからです。
ご遺族のまえに立った西元先生は、ただ念仏して浄土を念ずるほかなかったとのことです。その念仏のなかに、人間であることの悲しみ、そしてそれだけに、敵も見方もない、恩しゅうの彼方なる倶会一処の浄土が念じられたと語られていました。
西元先生がいわれる「人間であることの悲しみ」とは、うちにどれほど素晴らしい理想を持っていても、縁によってどんな生き様をする解らない存在、その存在そのものに関わる悲しみを言ったものです。
“そうか、今日はアメリカでは戦没将兵追悼記念日か…”そんなことをツマとしながら、念仏を称えた早朝でした。さて今日は今から沼津まで研修会の出向です。