朝5時台のNHKラジオ番組「健康ライフ」、今週は「治らない病気と どう付き合うか」虎の門病院臨床腫瘍科部長…高野利実医師でした。
ネットで検索すると、この先生は、「人間性に基づく医療(HBM)」を提唱されています。
“人間の人間による人間のための医療”ということで、今日の番組の中でも語っておられましたが“健康とは、その人が幸せになること”を目指す医療のようです。最大多数の最大幸福ではなく、一人ひとりの人間の、その人なりの幸福を目指ともあります。
ネットの新聞記事に(2011年10月17日 読売新聞)、パッチ・アダムス医師の言葉が紹介されていました。(上記新聞より転載)
健康とは、「病気でないこと」ではない。
病気がなくても幸せでなければ健康ではないし、
病気があっても幸せであれば健康だといえる。
幸せになろうと努力すれば、
誰でも健康になれるのである。
以上を凝縮した1行が、
Health is based on happiness.
(健康は幸福の上に成り立つ)
医療というのは、病気を治せないとしても、患者さんに幸せをもたらすべきものです。それが、本当の健康をもたらす本当の医療です。治せない病気に対して、医療のすべきことはまだまだたくさんあります。(以上)
浄土真宗で健康を定義すると「健康とは、阿弥陀さまの願いに意識が開かれること」となります。阿弥陀さまに出遇うと、病気を含めて私の人生のすべてが肯定していける価値観に開かれることだから、となります。
マーガレット・ニューマン「看護論」には、“健康とは意識の拡張である”とあります。意識の拡張という、人生観が質的に深まっていくことであり、より高いレベルへの意識の変容です。
また上記のテキストには「看護婦の責任は人々を健康な状態にしたり、彼らが病気になるのを防ぐことではなく、より高いレベルの意識へと移るために人々が自分の内部の力を認識できるように援助すること。(8)」ともあります。
浄土真宗僧侶の仕事も同様な一面があります。
ネットで検索すると、この先生は、「人間性に基づく医療(HBM)」を提唱されています。
“人間の人間による人間のための医療”ということで、今日の番組の中でも語っておられましたが“健康とは、その人が幸せになること”を目指す医療のようです。最大多数の最大幸福ではなく、一人ひとりの人間の、その人なりの幸福を目指ともあります。
ネットの新聞記事に(2011年10月17日 読売新聞)、パッチ・アダムス医師の言葉が紹介されていました。(上記新聞より転載)
健康とは、「病気でないこと」ではない。
病気がなくても幸せでなければ健康ではないし、
病気があっても幸せであれば健康だといえる。
幸せになろうと努力すれば、
誰でも健康になれるのである。
以上を凝縮した1行が、
Health is based on happiness.
(健康は幸福の上に成り立つ)
医療というのは、病気を治せないとしても、患者さんに幸せをもたらすべきものです。それが、本当の健康をもたらす本当の医療です。治せない病気に対して、医療のすべきことはまだまだたくさんあります。(以上)
浄土真宗で健康を定義すると「健康とは、阿弥陀さまの願いに意識が開かれること」となります。阿弥陀さまに出遇うと、病気を含めて私の人生のすべてが肯定していける価値観に開かれることだから、となります。
マーガレット・ニューマン「看護論」には、“健康とは意識の拡張である”とあります。意識の拡張という、人生観が質的に深まっていくことであり、より高いレベルへの意識の変容です。
また上記のテキストには「看護婦の責任は人々を健康な状態にしたり、彼らが病気になるのを防ぐことではなく、より高いレベルの意識へと移るために人々が自分の内部の力を認識できるように援助すること。(8)」ともあります。
浄土真宗僧侶の仕事も同様な一面があります。