仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

「西原祐治」を検索

2015年05月31日 | 日記
「西原祐治」でネット検索すると、ウィキペディアに「西原祐治」がありました。“浄土真宗の僧、劇作家”とあります。小説の親鸞物語を出版した時は「歴史小説家」と西原祐治を紹介していたネットを見ました。

寺院の活動は、ほぼ世話人の方々によるものです。その点が「独自の活動」ということでしょうか。
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今思えば、あの年が…

2015年05月30日 | 都市開教
「29日(27.5月)午前9時59分に新岳(626メートル)が爆発的噴火をして噴火警戒レベルが最高の5に引き上げられた鹿児島県屋久島町の口永良部島(くちのえらぶじま)では、町の全島避難指示を受けて、住民ら137人全員が午後4時半ごろまでに島外への避難を終えた。」

昨日、午後、車に乗ってラジオをオンにすると、火山の噴火を中継してい場面で、5分ほど「鹿児島県屋久島町の口永良部島」という地域を言わなかったので、御嶽山か、鹿児島か、箱根?…、色々と想像しました。

今年に入って、火山の情報が多く、数年後になって「今思えば、あの年が…」という年にあたっているのかもしれません。「今思えば、あの年が…」は、火山に限ったことではないでしょう。首都圏での浄土真宗の活動も、常に「今思えば、あの年が…」という開拓精神をもって活動すべきでしょう。火山噴火で思ったことです。
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学生とは?

2015年05月29日 | 日記
拙著、小説『親鸞物語』の一節です。

翌文治三(一一八七)年、範宴も十九歳となり堂僧として修行に励んでいた。
比叡山の僧には、当時、学生(がくしょう)と堂衆と堂僧があった。堂衆と堂僧は当初同じであったが、平安中期頃より貴族が出家するに際しては、従者である武士も主人に倣って髻(もとどり)を切り落して禿髪(かむろがみ)となり、仏事には雑役として従事したのが堂衆であった。堂衆は、扉の開閉や香華燈明を献備し堂の警護をする役を勤めたが、もとより道心があっての出家ではなかった。戒律や国の律令にしばられない立場が、次第に堂衆を暴走させ山法師となっていった。これに対して堂僧は、学生として修学を積んでいくための資力を持たないものが、修行を専らに勤める式衆として仏事を勤め、その傍らには勉学に励み、山法師の騒乱とは別世界の静けさを保っていた。(以上)

この学生について、「読売新聞」(27.5.27)に“「学生」とは誰を指す?”という記事がありました。転載しておきます。

学校で学問をする人を学生と言います。平安時代にも、中国・唐の制度にならって設けられた大学寮や、寺院で学ぶ学生がいました。このころは「がくしょう」と読み、学者の意
味でも使われました。
 江戸時代くらいから、勉強する人の意味で、「がくせい」と言うようになります。明治
時代以降、特に大学生を指す言い方として広まりました。
 小中学生も高校生も学校で 学んでいるという点では、学生には違いありませんが、新聞では、大学生を学生、中学生・高校生は生徒、小学生は自動と区別しています。これは、学校の制度を定めている学校教育法出の呼び方に従っています。
小学校では児童会、中学・高校になると生徒会になるのも、この分け方から来ているのでしょう。学生街は、大学を中心にして広がる街並みをいいます。学生運動、学生生活も、大学生が主役です。ただ、児童福祉法では18歳未満はみな児童です。JRの学生割引の対象は、中高生も含まれます。分け方は、場面によっても変わります。「学生の本分は勉強」というのは,小学生にも通じる教えですよ。「なぜなに日本語」三省堂刊。1800円税別)。より。
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二宮金次郎

2015年05月28日 | 日記
『読売新聞』(27.5.27)に、二宮金次郎が、勤勉の象徴として、関連書籍の出版や、その業績に改めて光が当たっているという記事が出ていました。金次郎像を新しく建立する小学校もあり、車が多い現代社会では、歩いて本を読む姿はふさわしくないと座った像を建立したとありました。

40年前の法話で聴いた、ある大人と小学生の会話です。「二宮金次郎って知っているか」と訊ねると「知っている。あの校庭の隅に立っている人でしょう」。「あれ見てどう思う」「あいつバカ」「えー」と理由を聴くと「交通道徳違反、非効率、太陽の下での読書は衛生上目に悪い」とのこと。

その当時は、小学生の答えは、小賢しいという笑い話でした。しかし、現代のように携帯が普及して、携帯をいじりながらの歩行が多くなると、笑い話ではなく、あぶない像という印象をもちます。

“正しさ”は、時と共に変わって行くということでしょう。
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しかたがない

2015年05月27日 | 仏教とは?
一昨日、虎の門へ向かっている地下鉄の中で、地震に会いました。一斉にほぼ満員の乗客のもっている携帯電話の緊急地震アラームが鳴りだしたかと思うと、電車はストップ、「埼玉で震度5弱…」と乗内アナウンスがあって、7分停車していました。

地震関連で思うことですが、その災害をどう受け止めるかという“納得”のあり方です。科学的なものの見方が未発達な時代は、災害になった場合、「地震だから仕方ない」あるいは「山の神が…」などと、容易に納得できた。

科学的に対応が発達してくると、同じ地震でも「なぜ、もっと早く予測できなかったのか」などと、現実を受け入れがたくなってきているのではないかということです。

災害を遠ざけるため努力は、関心をもって努力しているが、「しかたがない」と受け入れるための努力は問題にされていない。もちろん「何かの祟りだ」となれば、不幸なことですが、遠ざけることの努力と共に、受け入れるための努力も大事です。仏教は、この「しかたがない」と受け入れるための方法をとしている。地震で思ったことです。
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