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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

流氷は人の苦しみに似ている

2011年12月31日 | 日記
今朝(23.12.31)の深夜便「明日へのことば」は“海は母、流氷は友”と題して、北海道大学名誉教授 雪氷学者 青田昌秋さんのインタビュー対話でした。オホーツクの流氷について考えさせられる内容でした。

私が感心した部分だけを、日本自然保護協会(NACS‐J)のホームページに掲載されていた「自然の恵み・インタビュー 青田 昌秋 さん」(http://www.nacsj.or.jp/project/kurashi/vol05/interview.html)から補足をしてお伝えします。

青田さんが初めて流氷を見に来た昭和40年(1965年)ごろは、浜で「流氷早期退散祈願祭」というのをやっていたという。当時、流氷が来ると漁ができず、漁師さんたちは冬に出稼ぎに行っていた。流氷さえなければと祈願していたのです。

ところが国立極地研究所が設立され、流氷の様々な役割がわかってきた。流氷が融ける時あるいは海水が冷える時に海の中で水の上下の循環が起こりやすくなり、アムール川からオホーツク海に入り下に沈んでいた栄養分を浮き上がらせるはたらきがある。また流氷は、植物プランクトン、特に珪藻類を付着させて移動する「運び屋」の役割もする。オホーツク海の北側の浅い海で育った植物プランクトンを氷の底にくっつけたまま風で動いていく。最近、オホーツク海の、鉄分をはじめ多くの栄養分を含む水が北太平洋へ流出して豊かな漁場形成に貢献していることも明らかになってきた。

また氷の下に植物プランクトンが発生する、動物プランクトンが食べる、それを小さな魚が食べる。植物プランクトンが沈んでいくと光合成ができないから死ぬ。その死骸を待っている連中がいる。底生生物、貝もホタテも・・・・・・というように。陸では、川に戻ってきたサケをクマが食べ、その糞が森林を育てる。豊かな山地から栄養分が川に流れ込み海に至る・・・。
国立極地研究所の研究所の調査によって流氷は厄介者ではなく恵みの宝庫であることがわかってくると、漁師さんも「俺にとっても美しく大切なもの」と言えるようになってきたとのことでした。

以上、知っている人は知っている内容ですが、ラジオを聴きながら“流氷は人間の苦しみ、苦労、苦難、苦悩と似ている”と思いました。苦しみによって、こころが混乱し、その混迷の中から新しい秩序が生まれていく。苦しみはただの厄介者ではなく恵みの宝庫でもあります。来年は苦労、苦難、苦悩を大切にして行こうと思ったことです。逆に言えば、今年は楽な道ばかり選んできたことへの反省でもあります。

そして暗闇の外気温マイナス2度の外へ、今年最後のウオーキングに出発。一年間ありがとうございました。
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安心をトレンドする宗教

2011年12月30日 | 都市開教
川崎大師の初詣客は300万人あるそうです。この数字を聴くと、宗祖聖人の750回大遠忌法要の延参拝者数30万人がすこしさびしく感じられます。

しかし物は考えようで、初詣参拝人の動機付けを“願い”という言葉で表現すれば、おそらく元旦に当たり自分や家族の願いを確認に行くといったところでしょう。初詣でにぎわう大方の神社仏閣がその役割を果たします。また、ここには自分の価値観への疑いというゆらぎはありません。

もう少し自覚が深まっていくと願いの確認から、願いを見定めるという、本当にこの願いで善いのかをという鏡に照らして自分を顧みることになります。庭園や修行を主とした仏閣がその役割を果たします。ここには自分の価値観へのゆらぎが始まっています。

そしてとどのつまりが私の願いではなく阿弥陀様の願いの中に、自身のあり様が明らかになるという領域へ行きます。それが浄土真宗の寺院が発信している教えです。

話さ先に戻りますが、混迷する現代社会にあって、阿弥陀仏の願いを大切にしたいという方が30万人おられたことは稀有なことです。もちろんただの旅行気分での参拝客は多くもいたことでしょうが。

なぜこんなことを思ったのかと言えば、築地本願寺も近年、参拝者も多くなり、大みそかのカウントダウンや各種催しでにぎわっています。多くの人が参拝されるに越したことなないのですが、一方、人がにぎわえばいいのかという本質を見つめる視座を常に見失うことなくあるべきでしょう。

言葉は悪いのですが、常に戦力を持ってことに当たらなければ、世間に振り回されることとなります。私のホームページに“浄土真宗は安心をトレンドする宗教です”とあります。

安心できる人間関係、安心できる場所、安心できる教え、安心できる孝養、安心できる文化を提供する場所、またそれを発信していくことが浄土真宗の現代社会での役割だと思っています。
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道に達する

2011年12月29日 | セレモニー
ラジオ番組を聴いていたら、震災後、多くの歌手の人が歌なんか歌っていて善いのかという自責の念をもち、しばらくして自分には歌しかないという心境になったと語っていました。

娯楽芸も、極めれば芸術の域、あるいは道に達するということがあります。

山岡鉄舟は座禅を組んだまま亡くなっていますが、胃癌になり、最後は胃穿孔による急性腹膜炎を起こす。急を聞いて落語家三遊亭圓朝が見舞いに訪れると、大勢が集まっていた。鉄舟は、「皆が退屈するから一席やれ!」といい、円朝は涙を流しながら一席やったと言う。鉄舟は夜明けごろ「腹いたや苦しき中に明けがらす」と辞世を口にし、門人たちに囲まれ座禅姿のまま息を引き取った。

その部分を『禅門逸話選中』(禅文化研究所)から転載してみます。

同日、夜になると、鉄舟は「みんな詰めている者たちはさぞ退屈であろう。俺も退屈だから」といって三遊亭円朝に命じて落語をやらせた。
日ごろ鉄舟の感化を受けた円朝も満座の雰囲気に打たれ、涙をこぼし声をふるわせて、ややもすると落語も途切れんとするありさまであったが、鉄舟は蒲団にもたれ徴笑を含みながら聞いていた。
(以上)

このときの円朝の落語などは、笑いと人情話であっても、一命を賭した思いがあり、しかもその思いを抑えて演じられたのだと思います。

逆に、生死にふれた仏教話であっても、道に達するという話芸からは、ほど遠いということもあります。私もこちらの部類です。
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関係ねえじゃん

2011年12月28日 | 日記
昨日、土木業者の人、とび職の話になりました。その人いわく、とび職にもいろいろある。足場鳶(建築現場で必要な足場を設置する職人)、鉄骨鳶(鉄筋構造の建築物において、柱や梁になる鋼材をクレーンなどで吊り上げて組み立てる)、重量鳶(橋梁や建物内部の重量物(大型機械など)の据付(設置)を行う)、送電鳶 (電気工事の知識を持ち、特別高圧架空送電線の敷設や保守作業などを行う)などで、一般のとびは20.000円から24.000円だが、東京スカイツリーのとびは、1日5.6万で、昭和33年の東京タワーは、あの頃で1日10万円だったという。

とび職の話になったのは、その前日、重量とびのHさんの話を聞いたからです。

それは一昨日(23.12.26)、千葉県の僧侶研修会でのことでした。I市に住む重量とびのHさんは、福島原発で事故後フランスから輸入された機械を現場で組みたてる仕事をしたという。

その重量とびのHさんは、毎年クリスマスが近づくとI市でも最もにぎやかな装飾伝灯を庭に飾っているという。でも今年は、原発事故の経験や節電で、その装飾伝灯を取りやめたそうです。

Hさんの子供が学校で「今年はお前んち、電飾やらないのか」と聴かれ、父親から聞かされた通り、東日本の参事で、未だに生活が立ち行かない人が大勢いるので中止した旨を告げたそうです。するとそれを聴いた子どもは「そんなのかんけーねージャン」といったという。

話は、それだけで批判やコメントはありませんでした。「そんなのかんけーねージャン」をどう受け取るか。社会学者なら、その言葉から、現代の世相をいろいろと読み取ることでしょう。しかしお坊さんは、おそらくその言葉を「人は関係のかなに生きている」といった批判的な材料として扱うことでしょう。

私は、子どもにとって“自分は一人で生きている”という意識は、あんがい大事な思いではないかと考えます。まずはしっかりとした自我意識があって、関係性の中にあることや、お陰様といった意識が育っていくのでしょう。

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風見鶏体質

2011年12月27日 | セレモニー
昨日は時間がなく、政教分離についての記事をアップするだけに終わってしまいました。記録として残したいということと、この意見から何が伺えるかという興味があって掲載しました。

何が伺えるかとは、もちろん論旨である政教分離のあり方は、深く考える必要があるでしょう。でも私が興味を持ったのは、国民葬を主催する当局が、葬儀の形式を風見鶏的に、その時その時の世間の風を気にしながら実施するこの体質です。

「和合をもって旨とする」と言えば聞こえがいいですが、当たり障りのないあり方を求め実施するというあり様は、国民葬に限ったことではあしません。多くの政治家諸氏も、もちろん個人の意見はあるのでしょうが、どの意見が国民の風に合致するかという基準で行動しているようにも思われます。

2010年7月17日、改正臓器移植法施行された法案も、初期の法案「臓器移植法」が制定した97年の時には、衆院では2つの法案が出され、6日間に分け26時間の審議をしましたが、今回は4案あるのに、2日間で8時間の質疑で事実上打ち切りでした。これは、法制定条件の最大の関心事が問題の本質である法の中身ではなく、国民の目線がどこにあるかを伺うことが行動の基準となっているからでしょう。

この風見鶏的な体質とともに、建前と本音の使い分ける体質です。おそらく国民葬を企画実施した人たちは、国民葬がどんな形式で行われることが良いのかという本質論には興味がなく、重視したいのは建前としての法要形式です。この建前と本音を使い分ける体質が、“まあまあ良きように”というなれ合いを生み出し、オリンパス事件にみられるような隠ぺい許す体質にもなっているように思われます。

しかしこのことは他人ごとではありません。私の体質も“風見鶏体質”と“隠ぺい体質”で構成されているのだと思います。まずはそのことをしっかりと見据えることでしょう。
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