仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

クレーマーの心理

2014年05月31日 | 現代の病理
テレビのワイドショーで“足の遅い息子に徒競走は酷だ。玉入れは危ない運動会のモンスター親”という放映がありました。クレーマーが急増して関心事化したのは1990年代後半から2000年前後にかけてであると指摘されています。
時代的には、バブル経済が崩壊し、ウインドーズ95が流行し、自殺者や女子中高生の援助交際が話題となり、不登校・引きこもり問題が深刻化した時代です。


おそらくこうした時代背景とクレーマーの急増は関係があるのだと思われます。私の感覚で物語を作ると、バブル崩壊という常識の普遍神話が壊れ、自分を守るのは自分といった自己責任の風潮が強まっていった。消費者という弱い存在は、常にガードされなければならないという自己保身の欲求は、安泰としている公共色の強い存在に対して反発心を持っていた。そうした状況が、不利益を被っている時に、反感を増幅させて、怒りとなって発散される。それがクレーマーです。

しかし実際は、色々な要因があって、一つの物語では語りけえないというのが実際でしょう。

先に紹介しました『対人関係の社会心理学』の中に、吉田琢哉(東海学院大学人間関係部講師)さんが「なぜクレーマーが生まれるのか?」と題して20ページにわたって分析しています。少し紹介してみます。

コミュニティの崩壊。感情表現の未熟さ,個人主義の蔓延など,多くの論者が指摘するように様々な背景が考えられるが,提供者と享受者との関係のもち方が変わったことが背景にあるとも指摘される(南, 2008)。法律や制度の改正などが契機となって,提供者と享受者が対等な関係,あるいは享受者の方が上位に位置づけられるようになった。亨受者の権利が保護されるという意味では,こうした変化は情報公開社会の進展とも捉えられる。 しかしそのトレードオフとして,クレームの問題が噴出してしまった。(中略)クレーマーの問題は感情制御のあり方が社会規範という面においていまだ発展途上にあることを物語っている。(以上)

韓国という国柄を、一色で語ることは不適切ですが、韓国民の一部が、感情的にしかも一方的な思い込みのなかで、相手の非を責めたてる場面を映像で見たことがありますが、クレーマーの感覚は、あれと似ていて、なんらかの理由で被害者意識が鋭敏となって、それが怒りとなっているのでしょう。
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あそか園

2014年05月30日 | 日記
昨29日(26.5)社会福祉法人「あそか会」の評議委員会で、江東区住吉へ行きました。あそか会は、あそか病院を中心に特養4施設等を抱える法人で、九条武子さまの活動を設立母体としています。

いつもぎりぎりでの到着でしたが、昨日は30分前に到着。昨年、特養のあそか園改修で、新たに、あそか園の看板を私が書くこととなり、時間があったので、のぞいてきました。ありました。正面玄関入り口横(写真)。

あそか病院(約250床)は、昭和初期設立当時、貧困者はの対応を眼目に活動していたからでしょうか、今での生活困窮者への治療実績が微々たるものですが、昨年は32名外来診察とデーターにありました。

社会福祉法人の病院は意外と多く、日本最大の社会福祉法人である済生会(全国95の病院・診療所と、300余りの福祉施設等を運営)を筆頭に、三井記念病院(482床/ICU 7床・CICU6床・HCU21床)、天台宗の浅草寺病院(120床)など数多くあります。

済生会のホームページで見ると、無料低額診療事業186万人、生活困窮者支援事業11万人とあります。あそか会も、もっと理想を高く掲げて運営する必要があると済生会の数字を見て思いました。
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助けてと言えない

2014年05月29日 | 現代の病理
「助けてと言えない」という一昨日の続きです。「助けてということ」を“援助要請”と言いますが、先の紹介しました本では、「社会の問題」ではなく、データを上げて性別、自尊心、関係性要因、ソーシャルスキル、問題の深刻さといった要因を分析しています。

いくつかその中からピックアップしてみます。
性別の問題としては“”「女性が男性から援助を受けることは自然であるが.男性から女性への援助要請は、自主自立という男性の性役割観に反する」という伝統的性役割観の影響がる。”

自尊心の問題では“ 援助要請は.自身の問題予防・解決能力の低さを他者に露呈することによって自尊心を脅かすことにもなりかねない”

また援助要請のスキルの問題や、アジア人は欧米人に比べて、自己開示を抑制しがちであること、人間関係の調和の維持を優先させてしまう文化的な側面からも、アプローチしています。「たすけて」と言えない。その中にひそむ文化の問題や社会、人間関係など、「助けてと言えない」ことを分析しているのが、紹介した本です。

浄土真宗の安心は、社会心理学の援助要請とは全く次元が違いますが「援助要請」の否定です。「助けてください。阿弥陀さま」ではなく「助けて下さる、阿弥陀さま」です。大分こじつけになるかも知れませんが、「助けてと言えない」人こそが救いの目当てということです。社会心理学で考える援助要請を真宗で考える救いにおける援助要請は、問題とする領域が違うのでしょうが、何かまったく別だとも思われません。これは宿題。
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親鸞となむの大地

2014年05月28日 | 日記
昨日午後(26.5.27)から長岡の新潟別院での研修会に出向。これ幸いと新潟県立歴史博物館で開催されている「親鸞となむの大地」展に立ち寄りました。博物館も別院もバスで40分程かかるところなので、駅でレンタカーを借りてと算段していきましたが、レンタカーは予約で一杯。止むなく一時間に一本のバスで行きました。

そのバスで、長岡の県民性に触れました。17.8人乗車していて、最初に20代の若者が停留所で降りました。一番後ろに座っていたその若者は、バスが止まってから、席を立ち、運転席前方に行き、お金を出して両替、そして支払、そのすべてがゆっくりで、変わった人だなーと最初は思いましたが、すべての人が、右へ習いでした。

博物館から別院まで、バスがないのでタクシーに乗車しました。4年前に大宮からUターンして帰郷したという人で、会話がそのバスの話になりました。運転手曰く「そうなんです。あれ、慣れるまで大分いらいらしました。」とのこと。スローペースだと感じたのは私だけではないようでした。

博物館でタクシーをお願いして、待つこと15分、別院から駅までタクシーをお願いして、待つこと15分。やはりゐなか時間というものがあるようです。博物館へ行く人は、レンタカーを予約して行くことをお勧めします。

博物館の聖人に関する展示物は、恵信尼文書をはじめ、このゐなかで育まれた品々です。恵信尼文書の大きさが意外でした。
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助けてと言えない社会

2014年05月27日 | 現代の病理
5月6日(26)に、“「溺れる者は藁をもつかむ」という言葉があります。臨床心理学では、援助希求性(help-seeking)という概念だそうです。例えば、子供や女性の声が高めでよく通り、広範囲に聞こえるように、安全の確保や援助を求めやすいようになっているのも援助希求性の肉体的な動物としての能力なのでそうです。”と書いています。

先日来『対人関係の社会心理学』(ナカニシヤ出版)を読んでいます。その中に“なぜ「助けて」と言えないのか?―援助要請の社会心理学―”という一節があります。

その中にも紹介されていますが、2009年4月に39歳男性が餓死した。その側に、たったひと言、便箋に綴られた文字、「たすけて」とあった。北九州市門司区の住宅で孤独死した元飲食店従業員の男性でした。「家族に迷惑をかけられない」、「自分で仕事を見つけて何とかする」。彼らはまさに「自己責任」として自分を責め、誰にも相談せず、家族や友人、地域のつながりを断ち切って孤立していたという。
                                    
2009年4月、この北九州での孤独死(餓死)の事例は、NHKのドキュメンタリー番組クローズアップ現代「助けてと言えない~いま30代に何か」(2009年10月7月放送)として取り上げられ、続編の放送を経て、一年後には|「助けてと言えない」(NHKクローズアップ現代取材班,2010)という本にまとめられています。

当論文では、この本をまず取り上げて、下記のようにあります。

その中では、実際にホームレスとなっている30代と,番組に共鳴した視聴謝者に共通しているのが,「ぼくが悪いから,自己責任だから,助けを求めるわけにはいかない」という語りである。では,なぜ彼らはそのように考えてしまうのか。取材班は取材を通じて,彼らの世代が經験してきた自己責任土義的な教育や価値観による呪縛や,近年の不況による影響などを多面的に論じた上で,あとがきでこのように述べている,

 「やはりこれは彼らは「個人」ではなく,「社会」の問題であろう……そして礼会に生きる一人一一人が,自分のことのように考えなければならない問題でもあろう。自分を責め続けひっそりと生きている人たちが,ホームレスや自死を選ばず希望を持って生きられる社会が,いま,早急に求められている。

と紹介されています。この本は、社会ではなく、助けを求める心理について解明しています。(続く)
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