仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

小っちゃなスイカ

2015年04月30日 | 日記
法事である家庭へ出勤すると、お供えの果物の中に、小さなスイカがありました。小っちゃいを面白がって、おお持ち下さりと、おさがりを持たされました。
普通のマッーケットで販売しているらしく、250円ほどのようです。味は、スイカの味がしました。大きなスイカの果汁のシャリシャリ感は、いまひとつでした。
企業努力に頭が下がります。

リンゴとほぼ同じ大きさ。私が果物の世界の大様ならば、「お前は今日から、リンゴと名のれ」と言い渡すところです。
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環境の変化に対応

2015年04月29日 | 日記
『産経新聞』には夕刊がないので、夕刊のみ『東京新聞』を購読しています。一面ん「紙つぶて」というコラムが掲載されており、昨日(27.4.28)に記事に次なような記事がありました。以下転載。

 私たちの体の細胞は常に新しく生まれ変わっています。数力月で体の細胞の多くがは、入れ替わるのだそうです。しかし、生まれたての細胞でできているはずなのに、私たちは日々、老いていきます。実は、細胞は自ら老いていくのです。どうしてなのでしょうか。
不思議なことに、植物は千年も長生きするような木本植物から、数年以内に枯れてしまうような草本性の植物へと進化を遂げてきました。すべての生き物が長生きしたいと願っているはずなのに、寿命が短くなるように進化しているのです。
 すべてのちのば水遠にあり続けることはできません。そこで生命は、一定期間で自ら壊れ、その代わちに、新しい生命を作り出す道を選びました。こうして命のリレーをつなぎながら、永遠であり続けようとしたのです。寿命が高すぎると環境の変化に対応できなかったり、事故に遭うリスクが高まったりします。そのため植物は、天命を全うするために短い命を選択したのです。(以下省略)


昆虫の短命なのは、転変地変の異変に対応出来るように、そうなっていると聴いたことがありますが、植物もそのようなメカニズムなのかと興味を持ちました。

コラム執筆者は、静岡大の稲垣栄洋氏で『働きアリの2割はサボっている―身近な生き物たちのサイエンス』という話題の著者でもあります。図書館が検索すると、楽しそうな興味をそそる本が沢山ありました。おもしろい記述があれば紹介します。
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グランクラス

2015年04月28日 | 日記
今月は出張が多く、今日(27.4.28)は、高岡です。出番は午後13時30分から90分、記念講演会となっています。場所は、西本願寺高岡会館です。教区婦人会連盟の総会への出向です。近くの方、ご来場ください。先日の富山行で、上野・富山間が2時間6分には驚きましたが、今日も柏発8時の電車で、新高岡駅11時8分着です。

先般チケット購入のために列に並んでいると、北陸新幹線は、グリーンやグランクラスにバツがついており、高級な席は数は少ないこともあって埋まるようです。富山の人が、ものはためしと、富山から金沢までグランクラスに乗車したら、席を探しているうちに金沢に着いたと冗談を言っていました。乗車時間20分ですが、短い距離でも弁当が出たといっていましたが、グランクラスに乗ることが流行となっている気配があります。
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清潔マニア症候群

2015年04月27日 | 現代の病理
出張でホテルに宿泊した時、たまにマッサージを受けることがあります。先般とマッサージを受けていると、マッサージ師が“英語には、「肩こり」にズバリ当てはまる単語がなく、日本人独特なもの」と語っていました。ネットで見ると、「英語圏では“Stiff Neck”。硬い首つまり首コリと表現します。症状は同じで表現が違うだけ」とあります。

真偽のほどは定かでありませんが、確かに言葉が症状を誘発するということがあります。私も、肩こりには無縁ですが、マッサージ師から「肩が凝っていますよ」などと言われると、自分は肩が凝っているんだと思い、最近、肩が気になりだしました。

「言葉が症状を誘発」関連ですが、昨日、民放のテレビを見ていると、「他人の握ったおにぎりを食べられるか」という設問に、タレントが「食べられない」などと発言し、調査の結果では3割の人が「食べられない」という結果でした。

30年前は「他人が握ったおにぎりを食べる」という言葉もなく、当たり前に食べていたように思われます。日本人の“清潔マニア症候群”の現状と、こうした新しい言葉の言い回しによって、新しい症状が現れてくる現状が思われたことです。
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アイスクリーム

2015年04月26日 | 日記
昨土曜(27.4.25)、数件の法事を終えて、柏から1時間の春日部に6月からオープンする「シニアホーム春日部ビハーラ」(住宅型有料老人ホーム・自律支援タイプ)の社員研修会のご縁を頂きました。私に与えられた講題は“シルバーエイジに対するビハーラの概念”という何やら難しそうな題した。

ビハーラの考えを取り入れて、ホーム経営をという考えで、経営社は本願寺派寺院住職です。話が終わって座談会の時、ホーム職員から、それぞれの思いが語られました。
その中で、Sさんの言葉が印象に残りました。

看護師として病院勤務、ある時、患者の方から、どうしてもアイスクリームを食べたいと懇願されたという。「病気が回復してから食べましょう。今は頑張ってください」と声をかけた。翌日、出勤すると、アイスクリームを食べたいといった人は、逝去されていた。その時のSさんの心の葛藤に感心しました。

“死ぬんだったら食べさせてあげておれば”という思いと、“もしアイスクリームを食べさせてあげて、翌日出勤して死んだことを知ったらどうだっただろうか”その葛藤の中で、病院で働くことは、どういうことかと考えるようになったという。今度この施設に入って、色々と学んでいけることを楽しみにしている(意趣)、そのようは話でした。

「あのときアイスクリームを食べさせてあげておれば」という安易な公開は持つ人は多いですが、もし食べさせてあげておれば…というところまで考える人は、少ないと思います。よいご縁でした。

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