仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

あの人はなぜ定年後も会社に来るのか

2021年04月30日 | 日記

『あの人はなぜ定年後も会社に来るのか』(NHK出版新書・2021/1/12・中島美鈴著)、けっこう売れているようです。タイトルがユニークです。また内容も興味深い。定年退職した人の話ではなく、私の事として理解出来る本です。

 

本の案内に次のようにあります。

 

定年後、用がなくても職場を訪ねてしまう人は実際に多いという。それは新しい人間関係や夢中になれる趣味を見つけられず時間を持て余し、過去の人間関係に依存し続けているからだ。特に男性に多いらしい。

 本書は、そうした人たちが抱える老後不安や孤独感はどこから生じるのか、その不安の正体とは何かを心理学の視点から解説。その上で、認知行動療法の考え方を用いて、そんな不安や孤独感と上手に付き合い、豊かな老後を送るためのコツを教えてくれる人生指南書。(以上)

 著者は、認知行動療法の専門化です。認知行動療法とは、つらい気分や不安を生み出す「考え方のクセ」や「思いこみ」を見直して、やわらかい考え方を育み、厳しい現実のなかでも希望や可能性を見いだす方法です。

 

会社という居場所を失ったとき、なぜ男性は、女性に比べて老後の時間を有効に使えないのでしょうか?それは男性が社会の中で集団的に形成してきた、特有の「認知」のあり方に原因があったと著者は言います。自分を支配している無意識の「考え方のクセ」を、心理学ではスキーマといます。その自分のスキーマに気づく。それを色々な角度から解説しています。


 普通はなかなか見えにくい自身のスキーマを見つける方法として、スキーマの外部出現の状態を心理学用語では「モード」と呼ぶのだが、モードを観察することによって人はスキーマにたどり着くことが出来る。大雑把にはモードは3種類に分かれている。「回避」「過剰補償」「服従」というのがそれである。詳しくは本書で具体的に解説されているが、ともかくも自分自身のモードを見ることによって、モードの根底にいかなるスキーマが潜んでいるのかを知ることが出来るという。

興味深いデータとして、以前は60代男性の自殺者が多かったが、現在は、60から70歳でに移っている。それは60歳定年が70歳に伸び、仕事の張り合いをもつ人が増えたからだという。

少し転載してみます。(つづく)

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子どもにおくる私の母の話

2021年04月29日 | いい話

『子どもにおくる私の母の話』(鈴木喜代春編集)、紹介文に「140名を越える筆者が一様に母を慕い、そして母に感謝を捧げることばを献じています。」とあります。その中から一点だけ転載します。

 

タンスから出てきた物   青森県在住長尾篤嚴

 

 母は小学校しか出ていません。小学校も、ほとんど行かなかったようです。

そのせいか、母の読み書きをする姿を見たことがありません。

 リウマチという病気で手足の骨が曲がっていました。でもよく働きました。

作った料理は近所におすそ分けし、とても評判でした。

 私か落ちこんでいるとき、入れ歯もはずして、おもしろい顔をしてくれました。決して泣きごとを言わず、楽しく生きようとしました。

 その母が亡くなったとき、親せきから、母が小さいころ、母の母が自死したのだと教えられました。小学校に行けなかった原因なのでしょう。

母の大事なダンスを整理していたら私の「母子手帳」が出てきました。表紙には、母のへたなサインかありました。初めて見る母の字でした。

 学歴はなく病歴だらけの母。でも一生懸命生きた母らしい字でした。(以上)

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短い法話

2021年04月28日 | 浄土真宗とは?

本願寺派部卿婦人会総連盟の講師をしています。その総連盟から「法話集」が出ました。コロナ渦で自宅待機を余儀なくされている会員向けに出されたものです。総連盟講師7人が、それぞれ短い法話を書いています。以下は私の分です。

 

阿弥陀仏

 

『言語生活』(1988年3月休刊)に連載されて文を集めた『ことばのくずかご』(見坊 豪紀著)という本があります。時とともに忘れられ捨てられていく言葉を集めた本です。愉快なところを拾ってみます。

・どこかの学校の国語テストに、こんな珍回答が教師をうららせた。問題は<用意〇〇>。〇に「ドン」と記入した学生がいた。正解は「用意周到」です。

・卒業式で歌って涙し、「先生、いい歌ですね。あおげば尊し、和菓子の恩」と手紙に書いた学生がいた。

・バスに傘を忘れて電話したら「似たのはあるけどモリハナエさんという人のだ」と言われて説明に苦労した。

・「第一印象」を「第一ゾージルシ」と読んだ新人類がいた。

・入社試験に「弱肉強食」にカナをふる出題があり、その漢字に「やきにくていしょく」とカナがふってあった。(以上)

失敗もユニークだと、違った意味で評価の対象となります。ユニーク、「ほかに類のないさま、独特、独自」(広辞苑)という意味です。

浄土真宗のご本尊は、阿弥陀如来です。この仏さまほどユニークな仏さまはおられません。ご本尊というと礼拝の対象物と限定しがちですが、本尊とは「本当に尊いことがら」のことです。阿弥陀仏という「尊いことがら」は、清らかな心とはほど遠い私をして阿弥陀仏の名を称え、礼拝せしめる力そのものであり、ありのままの私を摂取して下さる仏さまです。

他の仏さまは、私が努力・修行して出会っていきます。ところが阿弥陀如来一仏だけは、仏さが、私の身の上に、念仏となって至り届いてくださっているのです。それが「南無阿弥陀仏」です。姿で示せば、捨ててはおけないと、立ちあがった姿です。親鸞聖人は「至心に回向したまへり」と、そのユニークな仏さまのはたらきを慶ばれました。

新型コロナウイルス感染をどう意味づけるのか。それは、私たちのこれからの生き方にほかなりません。不安の渦巻く今こそ、しっかりとお聴聞いたしましょう。

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結構屋の源さん

2021年04月27日 | いい話

法話メモ帳より

 

結構屋の源さん

江戸の中頃、神田に鍛冶屋をいとなむ源助という男が住んでいました。人柄のよい男で近所のみんなから親しまれていましたが、誰も鍛冶屋の源さんとは呼ばずに「結構屋の源さん」と呼んでいました。「結構だ。結構だ」というのが源さんの癖なので、自然にそんな「あだな」がついたようです。
 ある年の梅雨の頃、ひどい雨続きでなんと四十日もの間、一日の休みもなく降り続けたので、みんな困り果てていました。そんなある日、同じ町内で染物屋をいとなむ男が源助のところに世間話をしに来ていて、話題はやはり「長雨」のことになりました。
 「この雨には本当にウンザリすんな。染物の仕上がりは悪いし、商売はあがったりだよ。その点、お前さんはいいよな。商売がお天気に関係ねえときたら。ほんと、羨ましいや」と、長々愚痴をごぼししいました。
 すると源さん、いつもの癖がでて「でも結構じゃねえか」とつい言ってしまった。染物屋はこれにカチンときて、源さんに喰ってかかった。
 「ヤイ源の字、テメエいい加減にしろってんだ。人が困った困ったと言ってる時に、結構だとは何事デエ。人がな困ったと言ってる時にゃ、オメエも困ったようなツラアするもんだ」と、血相かえて噛みつくと、「気に障るようなことを言って、ごめんよ。でもオイラ、本当に結構なことだと思ってんだ。この雨、もう四十日も降り続いているって言うけど、だからいいのよ、これが一度にドッと来てみろ。家は流され、田畑もオジャン、あげくの果てに人間までが川の中でアップ、アップだ。オメエ、染物の仕上がりどころじゃ、ねえやね」(以上)

 

江戸の中頃、神田に鍛冶屋をいとなむ源助という男が住んでいました。人柄のよい男で近所のみんなから親しまれていましたが、誰も鍛冶屋の源さんとは呼ばずに「結構屋の源さん」と呼んでいました。「結構だ。結構だ」というのが源さんの癖なので、自然にそんな「あだな」がついたようです。

 ある年の梅雨の頃、ひどい雨続きでなんと四十日もの間、一日の休みもなく降り続けたので、みんな困り果てていました。そんなある日、同じ町内で染物屋をいとなむ男が源助のところに世間話をしに来ていて、話題はやはり「長雨」のことになりました。

 「この雨には本当にウンザリすんな。染物の仕上がりは悪いし、商売はあがったりだよ。その点、お前さんはいいよな。商売がお天気に関係ねえときたら。ほんと、羨ましいや」と、長々愚痴をごぼししいました。

 すると源さん、いつもの癖がでて「でも結構じゃねえか」とつい言ってしまった。染物屋はこれにカチンときて、源さんに喰ってかかった。

 「ヤイ源の字、テメエいい加減にしろってんだ。人が困った困ったと言ってる時に、結構だとは何事デエ。人がな困ったと言ってる時にゃ、オメエも困ったようなツラアするもんだ」と、血相かえて噛みつくと、「気に障るようなことを言って、ごめんよ。でもオイラ、本当に結構なことだと思ってんだ。この雨、もう四十日も降り続いているって言うけど、だからいいのよ、これが一度にドッと来てみろ。家は流され、田畑もオジャン、あげくの果てに人間までが川の中でアップ、アップだ。オメエ、染物の仕上がりどころじゃ、ねえやね」(以上)

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甲斐和里子と河村とし子の会話

2021年04月26日 | いい話

法話メモ帳よりー甲斐和里子と河村とし子の会話

 

甲斐和里子先生は敬虔な念仏者です。そして、京都女子学園を創設されたほどの方です。その甲斐先生を、山口県萩市にお住いの河村とし子さんが訪ねられてたときのことです。はるばる荻から京祁まで出かけた河村さんを、甲斐先生は温かく迎えられました。先生はその時、84歳、小柄で、絣(かすり)の袖無し(チャンチャンコ)を着て、平凡などこにでもいるような、何の変哲のないお婆さんでした。しかし、その底に、一本、穀然としたものが通っていました。

 その先生が、河村さんに対して、

 「遠いところからよう来られましたのう。聞けば、あんたはキリスト教から浄土心宗にうつられたとか。ようお念仏に出会われたことよのう。よかったのう、よかったのう。はかのことは、みんな、こまい、こまい。」

と言って、お顔の前で小さな手を振られたそうです。

 その「ほかのことは、みんな、こまい、こまい」というお言葉が、河村さんの胸を貫いて、涙がどっとあふれたというのです。いろいろ質問しようとして、その項目を手帳に書きつけていたのに、そんなことはもうどうでもいいようになったのです。「こまい、こまい」の一言で十分だったのです。

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