今年初め、鮮やかに自分の思い込みの強さを体験しました。私が住んでいる柏市にウイングホール柏斎場という火葬場があります。近隣の<柏市・流山市・我孫子市>の三市運営の公営斎場です。
この斎場は入口からお棺、宗教者、喪主、その他の順でメインホールを横切って告別ホールへと進みます。そこでお焼香、希望者の最後のお別れ、そしてドアで区切られている火葬ホールへと進み、火葬となります。
今年初めてこのウイングホール柏斎場へ行った折のことです。入口でお棺を前に葬列を組んで告別ホールへと進みました。そこで何と、係員はお棺を乗せた台を、告別ホールの焼香台の前へ運ばす、お焼香と最後の面会を素通りして、そのままドアを通り越して、火葬ホールに入っていったのです。私は初めてだったので、「この係員、新米でお別れの儀式を素通りしてしまった。だれか別の係員が来て教えてあげて」という思いを持ちました。
あとで葬儀社の方に伺うと、コロナ禍で不特定多数の人が使い回しする焼香を嫌う人があり、焼香を取り止めたのだそうです。それよりも鮮やかに自分に認識を疑うことなくや、係員の落ち度とみた私の経験を絶対とする自分を体験しました。
1月20日号本願寺新報「赤色白色」に私が執筆したものが掲載されたことは、すでに書きましたが、この随筆の最後に「S」とサインがありました。今まで西原の「N」であったでの、2月1日号の依頼があった折、「Sになっていましたよ」と編集者に告げました。編集者云く「Nが何人もいるので、西方寺のSにしました」とのことでした。
たわいのないことですが、これは間違いと断定せずに、なぜ「N」が「S」になったのかという疑問を持っても良かったと思います。
法話メモ帳に次のようなやり取りが書き止められていました。
ある雨の日、大学の二階の研究室へ、一人の学生といっしょに階段を登っていきながら、聞いてみた。
「見てご覧。きみの歩いた足跡が、階段に一歩一歩ずつ残っている。階段をのぼるのには、あの足跡のスペースさえあれば十分だということになるわけだが、では、その足跡だけ残して、ほかのスペースをノコギリご切り落としてしまったとしたら、登れるだろうかね?
「いや、ダメでり。もし踏み外したら……という恐怖が先に立って、体がコチコチになって動かないでしょう」(以上)
人はゆとりがあるから、安心して毎日を平穏に過ごしていけるのでしょう。自分の経験を絶対視せず、少しは物の見方は幅を持って生活することも必要です。