仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

思い込み

2021年01月27日 | 私のこと

今年初め、鮮やかに自分の思い込みの強さを体験しました。私が住んでいる柏市にウイングホール柏斎場という火葬場があります。近隣の<柏市・流山市・我孫子市>の三市運営の公営斎場です。

 

この斎場は入口からお棺、宗教者、喪主、その他の順でメインホールを横切って告別ホールへと進みます。そこでお焼香、希望者の最後のお別れ、そしてドアで区切られている火葬ホールへと進み、火葬となります。

 

今年初めてこのウイングホール柏斎場へ行った折のことです。入口でお棺を前に葬列を組んで告別ホールへと進みました。そこで何と、係員はお棺を乗せた台を、告別ホールの焼香台の前へ運ばす、お焼香と最後の面会を素通りして、そのままドアを通り越して、火葬ホールに入っていったのです。私は初めてだったので、「この係員、新米でお別れの儀式を素通りしてしまった。だれか別の係員が来て教えてあげて」という思いを持ちました。

 

あとで葬儀社の方に伺うと、コロナ禍で不特定多数の人が使い回しする焼香を嫌う人があり、焼香を取り止めたのだそうです。それよりも鮮やかに自分に認識を疑うことなくや、係員の落ち度とみた私の経験を絶対とする自分を体験しました。

 

1月20日号本願寺新報「赤色白色」に私が執筆したものが掲載されたことは、すでに書きましたが、この随筆の最後に「S」とサインがありました。今まで西原の「N」であったでの、2月1日号の依頼があった折、「Sになっていましたよ」と編集者に告げました。編集者云く「Nが何人もいるので、西方寺のSにしました」とのことでした。

 

たわいのないことですが、これは間違いと断定せずに、なぜ「N」が「S」になったのかという疑問を持っても良かったと思います。

 

法話メモ帳に次のようなやり取りが書き止められていました。

 

ある雨の日、大学の二階の研究室へ、一人の学生といっしょに階段を登っていきながら、聞いてみた。

 「見てご覧。きみの歩いた足跡が、階段に一歩一歩ずつ残っている。階段をのぼるのには、あの足跡のスペースさえあれば十分だということになるわけだが、では、その足跡だけ残して、ほかのスペースをノコギリご切り落としてしまったとしたら、登れるだろうかね?

 「いや、ダメでり。もし踏み外したら……という恐怖が先に立って、体がコチコチになって動かないでしょう」(以上)

 

人はゆとりがあるから、安心して毎日を平穏に過ごしていけるのでしょう。自分の経験を絶対視せず、少しは物の見方は幅を持って生活することも必要です。

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特養での法話

2019年12月26日 | 私のこと
今年、最後の法話会出向は、特養あそか園でした、法話会が終わって約一時間、居室訪問、あそか園でも居室訪問は始めてでしたが、園の職員から、〇〇さんはという情報を提示していただき、提示していただいた人を中心に関わりを持つ。昨日は4人ででボランティアでした。帰りに一杯やりましたが、帰りの電車は、立っていましたが、気が付けば埼玉県でした。

老人ホームでの法話は、メッセージ性よりも、アキさせない話題を重視するので、この方が、聴聞する人は良いようです。あそか園の看板は、5年前に書には素人の私が書いたものです。
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東京仏教学院の卒業式

2018年03月17日 | 私のこと
昨16日(30.3)は、築地本願寺にある東京仏教学院の卒業式。夜学のため卒業式も午後6時から、そして謝恩会、楽しい時間でした。
私は、年間を通して5回しか出講していないのですが、私のことを知っていて下さる方も多く、有意義な時間でした。わたしのブログを見てくださっている人、知人の関係者、青光苑(西方寺墓地)の利用者の親族の方、話してはしてみるもんだと思いました。

講師のSさんとの会話が愉快でした。Sさんは、世田谷の寺院の住職で、築地本願寺勤務時代の同僚です。そのSさんに、ひと月前、このたび計画している「親鸞聖人のみあとを訪ね」の協賛金のお願い状を出していたのですが、音沙汰なし。

Sさんは私の素性を知っているのでSさんいわく「西原さんの計画に、協賛金を出したら、みんな飲まれちゃう。予算書を付けていないの怪しいと思って出さなかった」とのこと。どうもSさんは、本当にそう思っているようでした。わたしはそう思ってくれることが、ゆかいでなりませんでした。今朝一番で、予算書をメールで出しました。
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「話し方」講座

2016年02月08日 | 私のこと
『自信が持てる「話し方」講座 : 元NHKアナウンサーが徹底指導』(相澤静 著シンコー ミュージック・エンタテイメント刊. 2014)を図書館で借りてきました。滑舌をよくするための早口言葉「ア行トレーニング言葉、カ行トレーニング言葉…」といった練習用のCDもついており、話すことを生業とする者にとっては、必須でしょう。

よって購入しました。古本ですが。1つおすそ分けします。(以下転載)


▼「間」は誰のもの?
 次に「間」についてみていきましょう。「問」というのは、様々な効果かおりますが、ここでは一番基木的な「相手があなたの話を理解するための間」についてお伝えします。
 中には、緊張すると「間なんて忘れてしまう」という人もいるでしょう。「間」というのは、あなたの息継ぎの時間ではありません。聞き手があなたの話を理解するための時間なのです。
 「間」のない話し方は内容が耳に残らず、流れてしまいます。聞き手が、あなたの話を理解しようと一生懸命耳を傾けても、理解ができないのです。
 効果的な「間」は、一文と一文、つまりは文章と文章の開に「はい」ひとつ分。「ここぞ」とい うとぎや、相手を惹きつけたいときは「はい」「はい」と、2つ分以上の「間」があると良いでしょう。このときは、文章と文章の間だけでなく単語と単語の間にも使えます。(以上)

そしてCDで実践の練習をするというものです。
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いっしょうけんめいいきてください

2014年12月22日 | 私のこと
『読売新聞』(26.12.21)に“発言小町大賞2014 ベストトピ賞は「『いっしょうけんめいいきてください』(駄)」”という記事が出ていました。ネットに発言小町というページがあり、ユーザーから寄せられた投票を基に、今年のベストトピ賞が選ばれたというものです。

以下はネットからの転載です。

愛する人たちに残した究極のラストメッセージ
投稿主の義母は、今年2月に94歳で亡くなったそうです。四十九日法要を済ませ、遺品の整理を始めたところ、義母の大切にしていた着物の中からたくさんの封筒が出てきました。家族一人一人に宛てた手紙で、中には小さな便箋が。そこには、つたない字でただひと言、「いっしょうけんめいいきてください」とだけ書いてありました。
 投稿主は、苦労人だったが気丈で明るく優しい義母が、「一生懸命生きていれば、必ず良いことは起こるよ」と口癖のように言っていたのを思い出し、「きっと義母は94年間、本当に一生懸命生きてきたのでしょう。そして、受け取った者達全員に義母の想いが伝わりました」とつづりました。(以下省略)

記事を読みながら、親鸞聖人の遺言は「真実明に帰命せよ」「平等覚に帰命せよ」「難思議を帰命せよ」「畢竟依を帰命せよ」「大応供を帰命せよ」「大安慰を帰命せよ」ということと回想しました。

私の父が往生して明年は13回忌になります。その父ががんを患ってがんセンターに入院、退院して、病院へ検査に行く車中、「おとうちゃん、浄土へ往ったら何がしたいか」と訊ねました。父いわく「南無阿弥陀仏の念仏なる」。いま父の言った通り、念仏の中に父を伺い、共に生きています。
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