仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

恵信尼さまの被り物は被衣物(かずきもの)という

2017年08月31日 | セレモニー
仏婦総連の「めぐみ」に「恵信尼さまと親鸞さま」の原稿を依頼され、その中に次のようなことを執筆しました。すると事務局から、訂正がはいりました。

現代に伝わっている恵信尼さまの肖像は、裹頭(かとう)という、頭を袈裟の布で包んでいる尼僧のお姿です。当時の僧は完全に剃髪することが基本でしたが、女性は肩もしくは背の中程まで垂らしたところで切りそろえる尼削(にそ)ぎにしておくことが多かったようです。髪の長さが身分を象徴した時代です。尼削ぎの髪型は、刑罰として髪を切られた時の髪の長さです。(以上)

事務局より
恵信尼さまが、頭を包んでいる布のことを「裹頭(かとう)」と表記されていましたが、専門の方に確認いただきましたところ「被衣物(かずきもの)」という表記の方が正しいそうです。(以上)

裹頭(かとう)とは、僧の、頭を袈裟 などで包み、目だけを出す装いで、「かしらづつみ」ともいうそうですが、事務局がしっかりしているフローアップしてくれるので安心です。
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白目の意味

2017年08月30日 | 日記
最近、仏さまの顔の話をしているので人間の顔についても興味が及びます。数日前、テレビで「耳たぶの役割」をクイズ形式で質問していました。音を集めるのと、熱を逃すとありました。

図書館で借りてきた『観察する目が変わる動物学入門』(ベレ出版)に、「ほとんどの動物は白目(強膜)をヒトのように外から見ることができません」とありました。「白目って人間だけなんだ」と思ったことです。次のようにあります。

よく観察してみると、ほとんどの動物は白目(強膜)をヒトのように外から見ることができません。白目と黒目がはっきり外から見えていると、視線がどこを向いているかが非常にわかりやすくなります。野生動物の場合、獲物となる動物に対しても、天敵となる動物に対しても、相手に気づかれずに動く必要があるため、自分の目の位置や見ているものを知られないほうが有利です。
実は霊長類でも白目が大きく出ているのはヒトだりです。どうして白目を見せるように進化したのでしようか。ヒトの祖先は二足歩行することで手の利用が高まりました。それと並行しで大脳が大きくなり、知性が発達したと考えられています。初期の人類は、ほかの霊長類と同じように群れで生活をし、狩りのときに高い知性を使い、役割分担や協力行動を示すようになりました。つまり、狩りのときに誰が何を見ているかという情報が重要になり、視線を用いたコミュニケーションが進化したことになります。いわゆるアイコンタクトによって合図や、視線の動きによって、相手が何を目的として、次に何をするのか、というのをわかるようになり、それに伴って集団で獲物を狩る能力が高まったのだと思われます。(以上)

白目にも意味があるんだと思ったことです。
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看取り士②

2017年08月29日 | 日記
『週刊文春』(17.8.31日号)に、看取りについての特集があり、以前紹介したことがある〝看取り士〟の記事がでていました。

「2012年に日本看取り士会を設立した会長の柴田久美子氏が語る。」とあり、独自の養成講座を受けて認定される看取り士は、現在全国に285名。月に20名のペースで増えているという。

昨年(28.7.25)のラジオ深夜便「明日へのことば」は“大切な人が旅立つ時に〟と題して 看取りの家・なごみの里代表理事である柴田久美子さんへのインタビューでは、看取り士 106 名とあったので、確実に増えているようです。

特集では次のようにありました。

 「最後のお別れを疎かにしてしまうと、必ず悔いか残るものなんです。人が亡くなると、慌しく葬儀屋さんが来てドライアイスを入れるなどの措置を取ってしまいがちですが、私たちは亡くなった方のぬくもりがなくなるまで、ご家族や友人に、何時間でも体に触れ続けてもらいます。抱き締めたり触れたりしながら、故人の思い出をみんなで語る。時間をかけて、丁寧に『ありがとう』を伝える。すると、マイナスの思い出も溶けていきます」(以上)とのことです。
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冊子「お彼岸」

2017年08月28日 | 日記
本願寺出版が発行している冊子「お彼岸 秋」が送付されてきました。3人が執筆していて、私もその執筆者のひとりです・「阿弥陀さまに出遇える世界」というタイトルです。最初の部分だけ紹介します。

お彼岸
「彼岸」とは、仏さまの世界のことです。この世界の“界”は、仏教用語で「たもつもの」という意味です。たとえば財界や芸能界といった場合、そうした世界が宇宙空間のどこか特定の場所にあるというわけではありません。財界は、財に対する優れた実績と思いを持った人の集まりということです。私の世界は、私の経験や価値観によって保たれている世界のことです。ですから子どものころの私の世界と、今の私の世界では、同じ私の世界でも、まったく違っています。
 以前、ラジオ放送の英会話の番組で次のような話を聴いたことがあります。外国の女性講師が、本国の両親に、お酒を飲むときに使う徳利とお猪口を送ったところ、しばらくして礼状が届き、そこには「とても素敵な一輪挿しと玉子立てをありがとう」と書いてあったとのことです。“徳利とお猪口”日本の文化を知らない方は、その方の経験という尺度で物を見たということでしょう。
(以下省略)
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山遊亭金太郎

2017年08月27日 | 日記
昨26日(29.8月)午後5時、当寺で落語ライブでした。出演は山遊亭金太郎さんでした。隣の我孫子に住んでいるという。6時過ぎに終わって、これから金町でもう一席あると、急いで帰られました。

まくらの話を紹介します。セブンイレブン電子マネーのnanaco(ナナコ)という。セブンをナナにあててものです。セブンイレブンのレジで若い女性がナナコをだして、「ナナコ」ですと言って買い物をした。レジを待っていた次の客のおばあさんがレジの人に「とめ子です」。爆笑でした。

【プロフィール】
昭和53年 故桂小南に入門 前座名 桂南てん
昭和59年9月 二ツ目昇進 山遊亭金太郎
平成3年10月 真打昇進
得意ネタ:ねずみ穴、百年目、柴舟、阿武松
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