仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

11~13日津村別院です

2017年10月31日 | 日記
29日(29.10)、山口県周南市にある正覺寺住職継職報告法要で、出向。50分の記念法話でした。久しぶりに二泊の外出でした。

11月は、11月10日築地本願寺で、朝(7:00勤行の後)、午前(10:40~11:30一席)、午後(13:10~14:30二席)、夜(19:10~20:00一席)の法話に出向します。

11日は大坂津村別院での報恩講出興。11日逮夜~13日逮夜まで、晨朝後、日中法要後、逮夜法要後、長い期間の法話は苦手ですが、少し気合を入れて話します。お近くの方、ご参加下さい。
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「健康」という病

2017年10月30日 | 現代の病理
先日『自尊心という病』を紹介しましたが、『~という病』という本が多数あります。最近、図書館から借りた本で『「健康」という病』(米山公啓著、集英社新書・2000年6月)『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(片田珠美著、光文社刊・2010年7月)、『許せないという病』(片山珠美著、扶桑社新書2016年1月)があります。

『「健康」という病』、これもタイトルが面白い。健康と病は普通対立する概念なのですが。同書は、現代人は絶対的な健康を求めて、恵まれていることに感謝できず、無いものを追い求めて不幸になっているという。健康を求めることは良い事のように思われますが、健康が欲望の対象になった時、不幸感が起こってくるようです。少し本から引用します。

自分で動くことができ。食事もできる。
 けれどもそういった日常生活の基本的なことができることを感謝することはない。つまり若いころの自分と比較し、運動機能か落ちたことを悩み、頭の回転が低下したと嘆く。
 あくまでも絶対的な健康状態を望むのだ。あくまでも絶対的な健康状態を望むのだ。
 頭が痛い、めまいがする。足がしびれるといったことに猛烈に執着する。慢性の症状で改善する可能性は低いはずで、年齢を考えれば非常に恵まれていると何度も説明するが、診瞭に来るたびに同じ不平を言う。
 
自分の生活を楽しむ方法を教えられなかった戦前の教育では、努力とか忍耐というものしか見えない。そのお年寄りたちを救うのは、いまをどう楽しむかである。それを医者が処力することはできない。たぶん、それかできないからこそ、健康であるという自覚か持てないのではないだろうか。(以上)

 「頑張ればなんとかなる」という意識が「健康という病」を作っているようです。
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漢文はもともと男性向けのもの?

2017年10月29日 | 日記
11月1日から年賀はがきの販売となります。

年賀はがきで、目の上に人に対しては「賀正」とか「迎春」ではなく、正式に「謹賀新年」と書くべきです。これは一般常識です。しかし、昔、女性は「謹賀新年」を使うべきではないという習慣がありました。

家父長制の建前があった時代は、新年のあいさつは一家の主、男性の仕事であり、また四文字熟語等の漢文はもともと男性向けのものという習慣があったからです。

現在でも、女性の手紙は、漢字を避ける習慣がありますが、四文字熟語等の漢文はもともと男性向けというよりも、仮名文字ほうが、やさしい響きがあるかでしょう。
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スティーブ・ジョブズの言葉

2017年10月28日 | 日記
宗教業界新聞『中外日報』(2017.10.25日号)に武蔵野大のケネス田中教授が「アメリカでの日本仏教の影響と貢献」について執筆され、
「アメリカの仏教徒の数は、この40年間で17倍も増え、全米人口の約1%に当たる320万人となっている。彼らに加え、仏教徒とは明言しないが仏教的行動をとる仏教共感者や、調査で「宗教に関して仏教に強く彫響された」と答えた人々を含めれば、全米人口の10%(約3千万人)という驚く数が仏教に深く関わっていることになる。」とありました。そしてアップル社創業者のスティーブ・ジョブズ氏の発言を紹介していました。参考になるので、その場所のみを転載し紹介します。


「やがて我々は皆「死ぬのだ」ということを念頭に置くことが、私の人生の重要な決断をする際に、最も重要な手立てとなった」
これは、スティーブ・ジョブズの有名な2005年スタンフォード大卒業式でのスピーチの一部である。この、若い世代の卒業生に向けた発言で、我々は皆死ぬのだという自覚が、人生の決断を有効にし、死を念頭に置くことで、人の目を気にせず、失敗するのではないかという余計な心配をせずに済み、自分が本当にやりたいことを選び、納得できる有意義な人生を送れるのだとジョブズは訴えた。
 一般のアメリカ人はこのような考え方は持たない。まして、卒業式で、これから社会に出て行こうとしている若者に対して「死」という話題はなおさら口にしない。
ジョブズにそうさせたのは、仏教的な考え方の影響である、と私は考える。もちろん、死を話題としたことは、ジョブズが既にがんを患っていたこともあるだろうが、そのことを「生きるバネ」に転換し、若者を励ます原動力として提供したのは、彼の人生観の根底に仏教的な死生観があったからだと思う。
 ジョブズは、1970年代半ばにサンフランシスコ禅センター所碼の道場に通いながら坐禅に励んだ。そして、禅センターの鈴木俊降老師の『神マインド ビギナーズーマインド』は彼の人生に最も彫響を与えた本の一つである。
 またジョブズは、禅センターの乙川弘文老師を「スピリチュアル顧問」として長く交流を続け、結婚式の司会まで務めてもらった。
ジョブズは、仏教のみに専念する正式な仏教徒ではなかったとしても、禅センターの恩師たちの教えの強い影懈を受け、一時は日本に渡り、永平寺で修行することまで真剣に考えた仏教教巻者であった。(以上)

仏教がアメリカから逆輸入する日もあるかも知れません。現にこうして、仏教を生きる指針として過ごしている人もあるのですから。
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理性の暴力

2017年10月27日 | 現代の病理
『理性の暴力』(古賀徹著・青灯社)、昨日の「自尊心という病」どうよう、タイトルの「理性と暴力」、通常、理性と暴力は対極にあるものですが、歴史の中では、理性そのものが暴力となる場合が多々あります。

本書では、個別の病理は、第一章、沖縄戦「集団自決」をめぐる論争。第二章、ハンセン病と強制収容。第三章、水俣病の提示するもの。第四章、第五章、死刑場のデザイン。第六章、原子力発電。第七章、いじめ、原子力発電などを取り上げています。

図書館から借りてはきたものの、パラパラで、返却しました。理性が暴力として暴走するとき、歯止めが効かないので、被害が大です。
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