「十七歳のオルゴール」( 2000/9/1)
町田知子さんの詩集。知子さんは、滋賀県草津市のお生まれ。予定より二ヵ月も早く、未孰児で生まれられた。医者であった祖父の懸命な看護のかいがかおり、命だけはとりとめたが、気付いた時は、脳性小児麻痺たなる。元気にご両親、兄の愛情をいっぱいうけて十七歳になり、共に人間に生まれた喜び、命の重さ尊さを綴る。
1、「親不幸」
こんな子生まれてよかったんですか。
お母さん。こんな子でもあいしてくれますか。お父さん。
あなたがたの夢をこわした私。
心の中でないていることでしょうね。
ごめんなさい。
私はあかるく生きています。
それが親こうこうだと思ってもいいですか。
お父さん、お母さん。
それいがなにもできません。
ゆるして下さい。
2、「お母さん」
なんてこんな子産んだのかとお母さんをせめた私。
本当は、私がせめられないといけないのにね。
お母さんあなたは、
ふつうの子とおなじに、
おなかをいためて私を産んでくれた。
そのきたいにこたえられなくて
ごめんなさいネ。
私は恋もした
かなしみにも出会うた
それらはみんな、私にとって生きる
よろこびにつながった。
生まれてきてよかったです。
産んでくれてありがとう。
この世ってすばらしいところですね。
お母さん。(以上)
母―その愛のふかさに
私の母は私が生まれてくるまで不幸を知らなかった。
医者の娘に生まれなに不自由なく育ち。
幸せな結婚をし、兄が生まれ幸福につかっていた母。
でもその幸福をこわしてしまったのはこの私が生まれてきたことであった。
それでも母は明るき生きている。わがままな私をさむいときはあたためてくれる。あついときはつめたい水をそそいでくれる母。
私はそんな母の愛のふかさにおぼれてきた。
しんたいしょうがい者の私をかかえて不幸をのりこえてきた母。
私があまり不幸を知らずにこれたのは母のおかげである。
その分母が不幸をせおってくれた。
「ありがとうお母さん。私ももう16です。いっしょにくろうをせわわさて下さい。
あなたにはおれいが言えません。もし言えば私はきっとないてしまうでしょう。それはあなたの愛のふかさを知っているからだと思います。
それにその愛のふかさにはどんなおれいもやすっぽくきこえるでしょう。
だから今はおれいは言いません。今までとおりにわがままを言わせてください。
私もまっすぐに生きていきます」
母にしてあげることは今はなにもない。ただくじけづにいきていくことが母へのおくりものなのかもしれません。(以上)
あらためて本を開くと、自死は病気等の外的要因ではなく、病気によっておこる自尊心等の欠損なでの内的要因なのだろうという思いを持ちました。