昨27日、未明目が覚めるとラジオのスイッチを入れた。『深夜便』明日へのことば、「頭木弘樹(文学紹介者)・〔絶望名言〕 紫式部」を放送中でした。
ラジオのスイッチを入れたとき、丁度、「一」という漢字を書くにも憚った。 そこまで隠さないといけなかったことを紹介していた。
この時代、男性が理解できることは立派なことだけれども、女性だとからかいや反感の種になるので、紫式部は屏風に書かれた漢字も読めないふりをしていたという。平安時代に、ひらがなが発明されて、女文字を言われていた。「源氏物語」はひらがなで書いたが、直筆は残っていない。
「兄の式部丞が子供の時分に史記を習っているのを、そばで聞き習っていて兄のよく覚えなかったり、忘れていたりするところを自分が兄に教えるようなことをしたので、学問好きな父は残念なのはこの子を男の子に生まれさせなかったことが、自分はこの一事で不幸な人間と言っていいと常に嘆息をした。」 紫式部
当時の男性貴族は漢文を習得しなければいけない。 女性が学問をすると不幸になると言われていた。 紫式部が漢文を読んでいると、侍女たちが集まって来て以下のことを言うんです。
「奥さんはああした難しいものをお読みになるのが、返ってご不幸なもとになるのですよ。 女と言いうものは全体言えば、漢字で書いた本など読んではいいものではありませんよ。 昔はお経さえもそんな理由で不吉だと言って、女には見せなかったそうですよ。」
「自分の家の侍女たちにさえも読書の気兼ねをする自分ではないか」と、書いています。 (以上放送より)
その話を聞いていて、ふと2017.10.29に書いたブログを思い出した。
年賀はがきで、目の上に人に対しては「賀正」とか「迎春」ではなく、正式に「謹賀新年」と書くべきです。これは一般常識です。しかし、昔、女性は「謹賀新年」を使うべきではないという習慣がありました。
家父長制の建前があった時代は、新年のあいさつは一家の主、男性の仕事であり、また四文字熟語等の漢文はもともと男性向けのものという習慣があったからです。
現在でも、女性の手紙は、漢字を避ける習慣がありますが、四文字熟語等の漢文はもともと男性向けというよりも、仮名文字ほうが、やさしい響きがあるかでしょう。(以上)
ふと、この女性と漢字の話を思い出し、「女史だから謹賀新年と使うべきでない」となると、女性差別になる。女性が好んで、カナ文字を使うのであれば良いが。とラジオを聴きながら回想しました。