仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

カンナの伝説

2013年06月30日 | 日記
NHKラジオ、深夜便の終わりに「今日の花と花言葉」が流れます。今日の花は、カンナ、花言葉は情熱・尊敬だそうです。

アナウンサーの方が、次のような話をされました。

カンナ(Canna)にまつわるビルマ(ミャンマー)の伝説。

デワダットという名の悪魔がいた。デワダットは、仏陀の有名なのをとても妬んでいた。そこで、仏陀に石をぶつけようとして、丘の上で丸い石を持って仏陀が通りかかるのを待ちうけていた。仏陀が通りかかった時、デワダットは丸石を落とした。突然降ってきたデワダットの落とした丸石が、仏陀の足にぶつかり、何千という破片になった。そのうちの一ツが仏陀の足を傷つけ、そこから血が流れでた。その血が地面に流れた跡にカンナ(Canna)が生えてきた。
デワダットは大地の怒りに触れて、大地にあいた大穴に飲みこまれてしまったという。(以上)

カンナの初期の花は赤でインドが多く咲き、ミャンマーに伝えられたようです。

花にまつわる釈尊の物語、下記の花もそのようです。


クシャ草(くしゃそう)
 クシャ草(又はクサ草)
 「花の木」(仏教説話『ジャータカ』より)

 昔、ブラフマダッタ王がベナレスの都で国を治めていた頃のことです。王の宮殿は美しい園の中にあり、王は園の中にある一番すばらしい花の木の世話をするのが好きでした。花の木はベナレスの都ができる前から生えており、その頃から木の根元に生えていたクシャ草と友達でした。
 ある日、王は王宮の天井の柱が今にも折れそうなことに気付きました。召使い達は園の中をくまなく探し回りましたが、花の木が柱に適した木であることを王に告げました。王は悲しみましたが、多くの者達の家を救うために花の木を切ることにしました。花の木の魂は嘆きましたが、園の木々の魂達にはどうすることもできませんでした。ただクシャ草だけが「救う方法があります」と言いました。
 木こり達が来る前に、クシャ草は大きなカメレオンに変身し、花の木の色になりました。木こりが花の木の幹に触ろうとするたびに、カメレオンは急いでその手の下まで移動し、自分の身体に触らせました。木こりはカメレオンに触れていることに気付かずに、花の木の幹があちこち柔らかく腐っているのだと思い、他の木を使うように王に話しました。花の木は身分に関係なく賢い友達を選んだので窮状を抜け出すことができたのでした。
 仏陀は「前世、花の木の魂は私の一番弟子の阿難陀(あなんだ)であり、クシャ草の魂は私でした」と言って話を終えました。(以上)
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東条勝子の生涯

2013年06月29日 | 日記
花山信勝師のご法話は、故東條英機ら、A級戦犯七人は巣鴨プリズンにおいて昭和二十三年十二月二十三日に処刑された話の詳細でした。

 昭和二十九年、戦犯の遺族によって「白菊会」が結成されます。しかし、同じ戦犯の遺族でも、命令した側と命令された側という意識が根底にあり、その「白菊会」でも、A級戦犯の遺族たちは肩身の狭い思いをされたようです。
 そんなこともあってか、A級戦犯の遺族だけで「七光会」をつくり、交友が持たれます。それがいつの日からか毎月二十三日(東條英機ら7人の命日)に、用賀の東條邸に集まって茶話会がもたれるようになりました。
 昭和五十五年十二月、築地本願寺で故東條英機の三十三回忌法要が営まれました。そのご法事が契機となって、毎月二十三日に用賀のお宅での、月参りが始まりました。同五十七年五月二十九日に勝子夫人が亡くなられるまでの一年半、「西原さんに」とのご要望もあって、わたしが専任で、ご仏事と茶話会にお参りをさせていただきました。

そして勝子夫人が亡くなられてからは、ご次男で三菱自動車の会長等と勤まれた東條輝夫氏の三鷹のお宅に、私が築地を辞める61年1月まで出勤しました。築地を辞めた翌年、輝夫夫人から『東條勝子の生涯“A級戦犯”の妻として』(時事通信社刊)送られてきました。その後しばらくして輝夫夫人は病死したと聴いております。

花山先生の講話を聴いて、あらためて『東條勝子の生涯』を本箱から取り出して読んでいます。

その中で心を痛めたのは、A級戦犯を裁いた東京裁判は国民の間にも広く知られているが、数からいえば他内裁判所で裁かれた戦犯のほうが遥かに多い。米、英、オーストラリヤ等九か国がそれぞれ各地五十余か所において裁判所を設置し、日本軍人を裁き、s処刑は、チャンギー、広東、マニラ、ペナン、ダロドック、ラバウル、香港、栄鴨等、50余か所です。以下本の中から転載します。


 処刑されたものは、絞首刑、銃殺刑ともで、1068名、終身刑が325名、有期刑が3098名、という大掛かりのものであった。
 しかし、その裁き方は東京裁判と同じように計画的、報復的、非文明的であるといわれており、人違いであろうと、誤解であろうと、容赦たく裁いていった。死刑の判決をうけたものたちが獄中で綴った日記や手祗によると、現地で行われた裁判七検事や判事を務めたものが、かつて日本の俘虜であったものが多く、裁判がいかに一方的で横暴で、腹いせのものであったか、などが、最後の力をふり絞って書かれている。(以上)


過去の腹いせを、正義の名のもとに処刑という形で断罪する。戦争の中にある残虐さは、ここに極まります。
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花山信勝先生の講演録

2013年06月28日 | 日記
昨日(25.6.27)、毎月ご縁をいただいている杉田製線での法話。会長は96歳で今年が関東大震災90年、6歳の時の大震災の記憶をお聴きすることができました。
当時、東京の江戸川をこえた千葉県市川市に住んでおられ、3時ごろ、東京方面を火災雲が覆い、その気流の流れで、戸板や手紙などが降ってきたという。

社長さんは昭和19年生まれ、珍しいものが出てきましたと、それは昭和31年11月12日に、杉田製線でご法話された東条英機の『平和の発見』の著者でもある花山信勝先生の講演録CDでした。
お借りして、帰りの車で早速聞くと、東条英機の絞首刑の一部始終でした。

私は築地本願寺在籍のおり、東条英機夫人勝子さんがご存命の間、用賀の屋敷に月忌で出勤していたこともあり、ちょうど、東条英機さんのことをお話ししようかと思っていたので、いいタイミングでした。

処刑の前に詠んだ歌。

「さらばなり 有為の奥山けふ越えて 彌陀のみもとに 行くぞうれしき」
「明日よりは たれにはばかるところなく 彌陀のみもとで のびのびと寝む」
「日も月も 蛍の光さながらに 行く手に彌陀の光かがやく」
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1滴の血液からクローン

2013年06月27日 | 日記
テレビで報道番組(25.6.27)を見ていると“1滴の血液からクローンのねずみ作り出す!理化学研究所「他の動物にも応用が可能だ 」”、また“ヒトiPS細胞(人工多能性幹細胞)から目の細胞をつくり、患者に移植する初の臨床研究について、移植手術を担う 神戸市の先端医療振興財団は13日、倫理委員会にあたる再生医療審査委員会を開き、計画を条件付きで承認した。”との報道に接しました。

生命科学の発達によって、欠損した部分が思い通り変えられていく環境のなかで、ふと思ったことは、仏教の立ち位置ということです。

現在、仏教の利益は、病気や死といった不幸と言われている状況の中であっても、もたらされる恵みを多く語ってきました。物質と心を分けて、物質の欠損を心が補うといった視点です。それが仏教の立ち位置であったように思われます。もちろん生命科学が発達しても、同じく病気や死があることは不変です。

しかし生命科学の発達によって恵まれていく中で、何が語れるのかという立ち位置での説教が、あまり論じられてこなかったように思われます。恵まれていることによって生まれる慢心や科学技術への過度の依存、また科学技術の発達によって損なわれていく、人のやさしさ、物質的に恵まれている上に立った視点でもっと、語っていかなければならないのではないかという気がします。思いつくままに。
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混乱の中で、自己が洞察されていく

2013年06月26日 | 苦しみは成長のとびら
報道(25.6.25)に「インターネットのブログで病院を「ここは刑務所か」と書き込み、相次ぐ批判で“炎上”状態となった岩手県議会の小泉光男県議(56)が岩手県内で死亡しているのが25日、見つかった。岩手県警は自殺の可能性があるとみて調べている。」
とありました。

当事者を責めるつもりはありません。むしろこうしたことで自殺してしまう文化を作ってきた一員として、申し訳ない気がします。とくに宗教者の責任は大きいと思います。

安定を基準にすれば、混乱や苦悩は排除されるべきものです。しかし人間の成長という点から見れば、混乱や苦悩は、大切な自己洞察の機縁となります。この人間の成長という文化が、著しく欠損しているのが現代です。その大きな原因の1つに、仏教者の怠慢があるのだと思います。

多くの苦しみは、過去の学習に起因します。拙著『苦しみは成長の扉』に次のような話を書いています。

ネズミが台から白と黒の2枚のカードに向かってジャンプする。白いカードに向かってジャンブすると、ネズミは地に落ちる。だがもう1枚の黒いカードに向かってジャンプするとカードが倒れ、実験者がカードの後ろに置いた食べ物を得る。
こうしてネズミは簡単にカードを識別することを学ぶ。カードの位置をどこに変えても、常に黒いカードに向かってジャンプすることを学習するのです。
しかし、問題はこれからです。第2段階として、はっきり識別できる白と黒のカードを、徐々に中間色のグレーに近づけていきます。ある時点までくると、二枚のグレーのカードは、カードの違いを識別できないほど似てきます。ネズミはどちらがどれかわからなくなるのです。この曖昧な状況のもとでは、ネズミはジャンプすることを拒み、一種の麻痺状況、緊張した神経症的状態に陥るとありました。
もしネズミが黒いカードと白いカードを識別してジャンプするという学習をしていなかったとしたら、緊張した神経症的状態という苦しみは起こらなかったはずです。
 このネズミの苦しみは、学習によって生起したと言えます。ネズミ同様、私たちの苦しみも多くは学習によって生起するものなのだと思います。
(以上)

苦しみが過去の学習に起因するのであれば、逆に苦しみの中で、過去に学習してきた自らの業・自己中心性・偏り・とらわれが明らかになるということがあります。混乱や苦悩の中で、自己が洞察されていき、そのことが新たなる成長へとつながっていくのです。そうした文化が薄っぺらになっているから、安易に自殺へ走る人が多い。その原因の一端に、仏教者の怠慢があります。これは自分への言葉です。
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