今日(24.9.30)、柏駅前の市民ホールで仏教講演会を予定しています。昨夜は、その講演会のご講師である龍大大学院教授・医師のT先生と、会食のひと時をもちました。
現場の医療の現状をいろいろと語っておられました。知人の前坊守さんが終末期を迎え、病床で、口に「南無阿弥陀仏…」と称えていた。看護していた人は、カルテに「気がおかしくなった」と書き込んでいたという。宗教的孝養皆無状態の現場を嘆いておられました。
大学は実践真宗研究科です。3年間の就業期間を経て、論文を提出する。ある学生が社会事業についての論文を提出したので、諮問会の折、「その事業と浄土真宗の関係は?」と訊ねると、何も答えられなかったという。先生は、社会事業の研究だけならば他の大学で充分といっておられました。学生の真宗理解絵の踏込の甘さを、いくつか語っておられました。
また釈尊は死後の世界を問われた時、「無記」(どちらであるともいわない)という態度で、また「無記」と返答されたところあります。
学生が、往生浄土についての論文を書いてきたので、やはり諮問の折、釈尊は死後について「無記」だと言われるが、その釈尊の答えと、浄土に生まれるということと、矛盾するのではないか。それをどう答えるのか。と訊ねると、やはり返答はなかったという。
先生は、僧侶でもなく、宗門人でもないので、浄土真宗を見つめる角度が新鮮です。また昨夜は貴重なご意見を沢山いただきましたが、憶えていないのが残念です。
現場の医療の現状をいろいろと語っておられました。知人の前坊守さんが終末期を迎え、病床で、口に「南無阿弥陀仏…」と称えていた。看護していた人は、カルテに「気がおかしくなった」と書き込んでいたという。宗教的孝養皆無状態の現場を嘆いておられました。
大学は実践真宗研究科です。3年間の就業期間を経て、論文を提出する。ある学生が社会事業についての論文を提出したので、諮問会の折、「その事業と浄土真宗の関係は?」と訊ねると、何も答えられなかったという。先生は、社会事業の研究だけならば他の大学で充分といっておられました。学生の真宗理解絵の踏込の甘さを、いくつか語っておられました。
また釈尊は死後の世界を問われた時、「無記」(どちらであるともいわない)という態度で、また「無記」と返答されたところあります。
学生が、往生浄土についての論文を書いてきたので、やはり諮問の折、釈尊は死後について「無記」だと言われるが、その釈尊の答えと、浄土に生まれるということと、矛盾するのではないか。それをどう答えるのか。と訊ねると、やはり返答はなかったという。
先生は、僧侶でもなく、宗門人でもないので、浄土真宗を見つめる角度が新鮮です。また昨夜は貴重なご意見を沢山いただきましたが、憶えていないのが残念です。