仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

出会いの不思議

2023年01月31日 | 仏教とは?

昨日の続きですが、何気ない2人の出会いの背後には、重々無碍な因縁の世界がある。その因縁の世界の一つを、一つの物語で示したのが「君の名は。」だということです。

 

海で一匹の鯛(他の鯛と区別された固定魚)を釣る確立と、その鯛を海に逃して、もう一度、その鯛を釣る確率は同じです。そのようなことは現代では不可能なので、釣った鯛に発信器を付けて、世界中の船が協力してその鯛を探す。それでもその鯛をつることは不可能でしょう。しかしその鯛が釣れるとして、その鯛を釣るためのエピソード・物語を一つの象徴的な物語としてビジュアル化する。同ます。鯛を釣ったという結果が、「君の名は。」で「2人が住宅地の階段にすれ違い、振り返り、2人は同時に「君の名は。」と告げ」た場面です。その鯛を釣るためのエピソード・物語を一つの象徴的な物語としてビジュアル化したものが、「君の名は。」のストーリーです。

こう考えると、仏教的にも興味深い物語です。お一人お一人の出会いの背後に、その様な物語があったとして、一つの事実を受け入れる。すると一つの出会いは懐かしく豊かに感じられます。

 

 

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「君の名は。」

2023年01月30日 | 日記

2016年8月26日公開、アニメ映画「君の名は。」をアマゾンの無料配信で見ました。田舎暮らしの宮水三葉と東京の街で父と暮らす高校生の立花瀧。出会ったこともない2人がある日夢の中でお互いの身体が入れ替わっていることに気付く。戸惑いながらもお互いの生活を体験する2人、しかし、ある日を境にその入れ替わりは無くなってしまう。

 三葉の身を案じた瀧は、おぼろげな記憶を頼りに山奥にある糸守町にたどり着く。三葉はたしかにそこで暮らしていたが、3年前に巨大な隕石の直撃を受けたことで町はクレーターと化し、住民500人以上が犠牲になっていた。瀧は3年前の三葉とつながっていたのだ。

そして三葉の住んでいた社を訪ね、三葉が仕込んだ、口噛み酒を手に取り飲むと、目が覚めると三葉の心の中にいました。それは、この町に隕石が落ちる前でした。

今後隕石が落ち、町が無くなることを知る。三葉の中にいる瀧はすぐにこの町の住民たちを避難させるように手配し、町の町内放送を使って住民に呼びかけ、町民たちを避難させることに成功する。

2人が去った後現実の世界に戻ってくるが、全ての思い出を名前と共に忘れ思い出せない。

三葉は東京で暮らしていたが、2人は時々お互いが近くにいるのではないかと感じることはあり、お互いは出会いたいという気持ちが溢れていたある日、瀧が電車に乗っていると反対行きの電車に三葉が乗っていることを知る。会いたい2人は電車から降りてお互いのことを探し、住宅地の階段にすれ違う。

気付いた2人は振り返り、2人は同時に「君の名は。」と告げ、涙を流した感動の再会をする。

 

…面白かったです。涙が出ました。「君の名は」とは、名前を忘れる事は存在の記憶を失う事であり、そのアタリに深いものがありそうで、興味深かったです。

 

次の様にも考えられます。2人は、「住宅地の階段にすれ違う」。その出会いの背後に広がる無数の結びつきが、一つのストーリーとして展開された。これは今、私が念仏を称える背後に、法蔵菩薩の物語がある様に、一つの出来ごとの背後に広がる重々無碍の世界を、一つの物語としてビジュアル化したものとも受け取れます。(つづく)

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あらゆるものは毒である

2023年01月29日 | 日記

『「いただきます」の人類史: ヒトの誕生から生活習慣病の現代まで』(2022/10/31・蒼井倫子著)から一題転載します。

 

 

あらゆるものは毒である

 

これは、研修医だった頃に経験した症例です。

 もうすぐ1歳になる男の子が、けいれんで病院に救急搬送されてきました。小さい子どもの場合、熱がある「熱性けいれん」は多く見られますが、熱のない場合は、様々な原因が考えうるので診断は難しくなります。男の子に熱はなく、血液検査で血液の中のナトリウム(塩分濃度)がかなり低くなっていることはわかりました。しかし、その原因かわかりません。

改めて、お母さんに話を聞くと、最近ミルクを飲むのをやめた代わりに、ミルクと同じ位の量の水を哺乳瓶であげていたことがわかりました。診断がつきました、「水中毒」です。水の飲み過ぎで血液が薄まっていたことが、けいれんの原因でした。食べ物よりも大切な水でさえ、量が多過ぎれば毒として作用するのです。(以上)

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餓死者よりも肥満が原因の死者の方が多い?

2023年01月28日 | 日記

最近読んだ本の中に「餓死者よりも肥満が原因の死亡者のほうが多い」とあった。どの本か忘れてネットで検索してみました。

 

世界の饑餓人口は

「国連報告書」世界の飢餓人口 年4600万人増え8億2800万人 2021年

 

2007年

「シリーズ国際協力1 飢え 食べものをつくり不公平をなくそう 」(リブリオ出版)p34には、「「飢え」が原因となって死んでいく人は毎年2000万人いて~」との記述があり。

 

肥満人口は年代が違いますが、

 

BMI(肥満指数)が25以上の過体重の成人や子どもの数は、全世界で2015年の時点で約22億人、全人口の30%を占めており、全世界のBMIが30以上の肥満の人口は、小児で1億770万人、成人で6億370万人に上る。そして、2015年には、肥満が関連する疾患により400万人が死亡し、全死因の7.1%を占めている。(以上)

 

饑餓人口と肥満人口は同等ですが、死者数は「饑え」の方が多いようです。全世界の総死亡者数は約6.000万近くだそうです。その数から考えると、2.000万人はありえない数字です。世界の総人口が15日に80億人に(2022年11月15日)とあるので、約一割が飢餓人口となり、総死亡者の一割だと600万人となります。肥満が関連する疾患により400万人が死亡だと、大ざっぱにみて、餓死者と肥満による死亡者は同程度となります。

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さようならの言葉②

2023年01月27日 | 日記

『日本人のものの見方 ―〈やまと言葉〉から考える』(2015/9/29・山本伸裕著)続きです。

 

 英文学者の荒木博之(一九二四一一九九九)は、『やまとことばの人類学』という本の中で、「さらば」には、それまでの「こと」が終わって、これから新しい「こと」に立ち向かうのだといった心構えが表現されているとの見方を示しています。「日本人が古代から現代に至るまで、その別れに際して常に言葉して、「さらば」をけじめとする、「そうであるならば」という意のご言い方を使ってきたのは、日本人がいかに占い「こと」から新しい「こと」に移っていく場合に、必ず一度立ち止まり、古い「こと」と訣別しながら、新しい「こと」に立ち向かう強い傾向を保持してきたのかの証拠」だ、と言うわけです。

 なるほど言われてみれば、確かに日本人は、口々「さらば」を口にしつつ自己の来し万を振り返り、総括してきたのと同時に、そこでの反省を糧として、新たな段階へと踏み出してきたとも言える。換言すれば、口々「さらば」や「さようなら」を繰り返す中で、日本人は未来を切り拓こうとする自己自身の肯定的な生き様を見出してきたとも考えられるのです。しかしながら、私たちは一日よりももっと長期的な視座から「みすがら」の生を捉え直すことも可能なのであって、その場合には、最期の「さようなら」としての死を迎えるべく、日々の「さらば」や「さようなら」を重ねつつ生きているとも言えるでしょう。

 第二次大戦後に行われた東京裁判でΛ級戦犯となり、絞首刑に処せされた陸車大将の土肥原賢二(1883一1948)は、次のような辞世の句を残しています。

 

わが事もすべて了(おわ)りぬいざさらばここでさらばいざさようなら

 ここに歌われているのは、人生においてなしてきた一切の「こと」の最終的な見届けと言ってよいでしょう。この土肥原の辞世の句には、自分の人生が他人にどう評価されるかということとは無関係に、なすべきことを仕果たしたことに対する納得と言うか、一点の曇りもない満足感のようなものが感じられます。(以上)

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