仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

責任能力見極め

2016年10月31日 | 日記
「植松容疑者、精神鑑定へ 相模原殺傷、責任能力見極め」2016年9月22日の記事です。

犯罪者の精神鑑定を扱った名著に「そして殺人者は野に放たれる」(日垣隆著 新潮社)があります。この本は、第39条によって無罪・減刑になっている現状、問題点などを、長い年月を費やして書かれた本です。第三回新潮ドキュメント賞を受賞しています。

(心神喪失及び心神耗弱)
第39条
心神喪失者の行為は、罰しない。
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

この本で知ったことですが、「日本の司法は、結果ではなく、ひたすら動機をさばいている」のだそうです。

そのところを本から引用してみます。
「例えば?」
「この子のためを思って、と身勝手な子殺しの釈明を裁判官の前で涙ながらにしたら、心中と呼ばれて、たいてい執行猶予がつきます。大量殺人をおかしたあとで殺す相手は誰でもよかった、天の声に命じられた、となれば執行猶予や無罪どころか起訴もされなくなる。…」

私は、一例として手元にあった幾つかの判決文を示すことにした。
〈遂に死して煩わしい世間から逃れるほかなく、幼児三名を道連れに殺害して、自分の死後に妻の負担を軽くしようと決意し、翌日犯行に及んだものである。本件には理解可能な動機が見あたらず、病的な被害妄想をもって衝動的に行なわれた事件と断じるほかなく、すなわちこれは心神喪失と認めることを相当とする〉(高松高裁、『高等裁判所刑事判決特報』第三六号に判決文掲載。

〈[泥酔状態での殺人事件につき]一種の朦朧状態にあったのであり、これは心神喪失と認定できる。[中略]まことに我が日本は、酒好きには天国である。現代文明諸国中、酒を飲み過ぎ弁識能力を失い、他人を殺傷した犯人をこれほど法律で厚く保護している国は実に稀である〉(京都地裁、『判例時報』第八三号に判決文掲載)


〈被告人は、理不尽な被害者の言動に刺激され、それが動機となって殺意を抱き本件犯行に及んだもので、そこには充分理解しうる動機と目的があり、犯行後も自首しているほどであるから、心神喪失とは認められない〉(大阪地裁堺支部、『下級裁判所刑事裁判例集』第三巻九-一〇号に判決文掲載)
 責任無能力とりわけ心神喪失の認定は、結局のところ”ワレワレ法律家には理解できない動機”という一点に尽きる。こうして、幾多の犠牲者を出した通り魔殺人が不起訴となり、微罪でも犯行を否認すると実刑判決がおりる。(以上)

外国では結果責任を負うので、責任能力だけで減刑する国は少ないようです。
今月28日の横浜市港南区大久保1丁目の市道で軽トラックや路線バスなど3台が絡む事故(小学生1人死亡)も、ご本人は記憶がないといっているので、無罪ということでしょうか。
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混迷の中から新しい秩序は生まれる

2016年10月30日 | 都市開教
昨29日(28.10)夜、年2回開催している公開講演会の打ち合わせ会議。この講演会は、柏市、松戸市、野田市、我孫子市の東西、東京本願寺なそ11ヶ寺の門信徒によって運営されている講演会です。

大派、本願寺派、独立系などが集まって開催しているイベントは全国的に少ないようです。まして主催者挨拶から講師への御礼に至るまで門信徒で運営されているイベントも全国的に皆無かもしれません。

昨日の会議で興味深かったのは、「混迷の中から新しい秩序が生まれる」のですが、従来の講演会が400人のキャパに400人未満の人の参加者であったので、運営がなあなあで動いてきたのですが、9月23日の講演会は講師が姜尚中(「悩む力」と親鸞)氏であったので、400人のキャパに500人が来てしまって、受付や案内等の未熟さが露呈して、しっかりと企画委員会をつくって、指示系統や各部門の責任者を明らかにして次回にあたることとなりました。

まさに、混迷の中から新しい秩序が生まれました。会議に参加された方、ご苦労さまでした。
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チーム紙芝居

2016年10月29日 | 都市開教
本願寺出版社から月刊誌『大乗』が送られてきました。今月号からB5サイズ、全面カラーとなったようです。今月上旬、大乗の記者が、うちの(西方寺)紙芝居チームを取材来ましたが、その記事が掲載されていました。

写真を沢山撮っていきましたが、いい写真が掲載されています。さすセミプロ。西方寺の門信徒会活動の特色の一つは、私が関わらなくても、世話人が独自で、計画を立て実践してくれるとことです。紙芝居もその一つです。

この記事を機会に、門信徒の中に紙芝居に関わってくれる人が増えればと願っています。
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楽しく生きるー自殺対策

2016年10月28日 | 現代の病理
1980年までは、世の中にとっての“善”が、良くも悪くも共通の認識がありましたが、今世紀に入って、“善”が個別化していき、同じ行為でも、あるところでは善だが、あるところで悪となってしまった感があります。

昨日紹介した野田正彰氏著『うつに非(あら)ず うつ病の真実と精神医療の罪』(2013.9講談社刊)に、自殺をへらす取り組みをした新潟県東頸城松之山町の事例を紹介しています。

新潟県東頸城松之山町(現・十日町市)で行われた取り組みです。後に新潟大学医学部教授となった後藤雅博氏ら国立療養助所犀潟病院(現・国立病院機構さいがた病院)の精神科医と東洋大学の社会学者が1980年代後半から1990年代後半にかけて実施した。


日本の高齢者の自殺率は一環して高いことが知られている。都市部よりも農村部、特に雪の多い東北や新潟で多いことがわかっていた。松之山町も雪深く、お年寄りの自殺率が高く、1973年から1984年までの12年間における65歳以上の自殺率は222.7であった。1984年382.1、全国の高齢者平均の47.8の自殺率に比べて8倍も高かった。


この事実に注目した研究チームは、町の保健師とともに調査をはじめる。当時、高齢者の自殺が多い理由は、農村部では子ども達が都市へでていき、高齢者は生きる意欲を失い亡くなっていくと考えられていました。


しかし実際は、独居世帯には一人もおらず、二世代、三世代が一緒にくらす家族に、自死が多いことがわかった。息子や孫などと一緒に住むお年寄りが、脳梗塞なで体が不自由になると「迷惑をかけたくない」と縊死(いしゅ)をする。裏山の木にヒモをかけて縊死するため、「瓢簞病」という隠語さえあったという。


そこで研究チームが目指したのは、文化を変えることだったのです。

「働けないのなら死んだ方がいい」「子ども達に迷惑をかけたくない」という価値観を変えるため、集落全体に働きかけた。老人クラブをつくって連日食事会をひらき、歌って騒ぎ、温泉へのバス旅行を企画した。「楽しく生きる」という価値観に変えるためです。同時に、保健師がふさぎがちな人を、見つけ、集中的に働きかけるという取り組みを行った。その結果、自殺者はいっきに減少した。(概略)

“楽しく歌って、気ままに過ごす”その文化を醸成することが自殺対策だったというところが面白い。1980年代までは“楽しく歌って、気ままに過ごす”ことを否定する生き方が善であったとも言えます。
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こころの時代?

2016年10月27日 | 現代の病理
1980年代から「こころの時代」という言葉が、用いられるようになりました。当時、築地本願寺に勤務し、輪番秘書をしていた時、電報や短文に「1980年代は心の時代」という言葉を使ったことがあります。NHK教育テレビで、1962年から1982年にかけて放送された『宗教の時間』が、1982年4月11日より『こころの時代』とタイトルを変えています。

1980年代は、欲望が物から心へシフトした時代であったようです。


精神科医で山口県光市母子殺害事件の精神鑑定などで知られる野田正彰氏著『うつに非(あら)ず うつ病の真実と精神医療の罪』(2013.9講談社刊)に次のようにありました。

近くは1970年代後半、「国民生活に関する世論調査」で「物の豊がさ」より「心の豊かさ」が上回り始め(1978年)、中流意識が91%(1979年)になった。今日に続く「こころの時代」の伏線か敷かれたのだが、
何を「こころ」というのか、はっきりしなかった。戦後、「もの」のほうははっきりしており、収入であり三種の神器、新三種の神器などの消費財であった。[こころ]なるものは、それら経済が対象にしない残余のもののようであった。80年代、さらにバブル経済が終わった90年代になってもしばらく、「こころ」なるものは明るく美しく、積極的、肯定的イメージとして使われていた。
ところか1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起き、地下鉄サリン事件か続き、長引く不況による収入減、早期退職、解雇、失業、非正規雇用か蔓延、ついに自殺98年ショックが来た。前年比で35%増、3万2863人が自殺したと公表された。以来14年、毎年3万人以上の自殺者数は続いてきた。2012年は2万7858人、15年ぶりに3万人を割ったものの依然多い(警察庁の『自殺の概要』による)。それらの経過と共に、「こころ」なるものは逆転し、病気、障害、負のイメージと結びついて語られることか当たり前となっている。だが曖昧語であることは変わらない。(以上)

1980年代の心へのシフトが「欲望」から「精神的な安らぎ」へのシフトであると、当時は考えていたのかもしれません。現在は“こころ”の言葉で、何をイメージするのか。漠然としていますが、心=良い事、ではなさそうです。
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