仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

棚瀬舟

2012年03月05日 | 日記
昨朝(24.3.4)の“文学のしずく”は、森鴎外の「高瀬舟」(たかせぶね)<1916年(大正5年)1月、「中央公論」に 発表>でした。わが家に、この「高瀬舟」の市販の朗読小説があります。10年以上前、安楽死の問題を話すときに、何度か利用しました。

医者である鴎外自身、高瀬舟縁起の中で「ユウタナジイ」という言葉で、医療における安楽死の問題をして記しています。

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟です。徳川時代に京都の罪人が流刑を申し渡さ れると、罪人は、高瀬舟にのせられて、大阪へ回された。その舟に喜助という罪人が乗せられた。その罪は弟殺しです。幼少の頃、両親を失った兄弟が、青年となり助け合って暮らすが、弟が病気となり兄ひとり西陣で働く。弟は、自分の存在が兄に負担をかけていることを心苦しく思う。ある日、兄がいつものように帰ってくると、弟は血だらけになって布団の中にいる。兄が血でも吐いたのかと聞くと、死のうとして死にきれずに苦しんでいる。弟は、剃刀でのどを切り、その剃刀がのどに刺さっている。兄に、早くこの剃刀を抜いてくれと懇願する。その部分を「高瀬舟」からそのまま引いてみましょう。

わたくしの頭の中では、なんだかかう車の輪のやうな物がぐる/\廻つてゐるやうでございましたが、弟の目は恐ろしい催促を罷(や)めません。それに其目の怨めしさうなのが段々險しくなつて來て、とう/\敵の顏をでも睨むやうな、憎々しい目になつてしまひます。それを見てゐて、わたくしはとう/\、これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、拔いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと變つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝を撞(つ)くやうにして體を前へ乘り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。(以上)

安楽死の問題が頭に浮かびますが、どうもそれだけがテーマではないようです。朗読を聴きながら、兄の、弟を殺(あや)め、罪に服し、なお凛(りん)としている姿は、自分に正直に生きるということは、法律以上に高位に属する所作であるという思いを持ちました。

*安楽死の見解については、西原祐治ホームページをご覧ください。
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