仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

縁側カフェ

2017年06月30日 | 都市開教
『読売新聞』(29.6.29)に「地域力」というコーナーに“静岡市・縁側カフェ集落に笑い声―お茶と眺望 心の安らぎ”という紹介記事が掲載されていました。

“茶畑に囲まれた民家の縁側で、お茶を飮みなから、おしゃべりをしたり、景色を眺めなりー。そんな「田舎のおバあちゃんち」のような雰囲気を楽しもうと、毎月第1、3日曜日になると、静岡市中心部から車で約1時間半の山あいの小さな集落に人が集まり、笑い声が響く。”という。

 縁側を開放し、地元で摘まれたお茶と自家製の漬物などでもてなす。休憩代として300円を
払う。

昔のあたりまえが高い価値を持っているということです。農村部の寺院の再生のヒントがあるかも知れないと思い紹介しておきます。寺院の報恩講や永代経といった法要が観光資源となる日も近いと思われます。
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み跡を慕いて京都ー居多ヶ浜

2017年06月29日 | 親鸞聖人
東京教区の門徒推進委員の人が中心となって、茨城県稲田から京都・本山まで親鸞聖人のみ跡を訪ねてのウオーキング(645キロ)は、平成22年14月4日~翌年4月9日で32ブロック、最終日が聖人750回大遠忌法要の初日でした。


上越の居多ヶ浜から東京・築地本願寺まで19ブロックのみ跡を慕いてのウオーキングは、平成26年4月5日~6月6日まででした。両コースとも、当寺では、すべての区間をリレー形式で走破しました。

残るは京都・本願寺から居多ヶ浜(恵信尼の里)まで。一昨日の26・27日(29.6月)と、有志4人で、車で工程調査へ行ってきました。京都・滋賀・福井・石川、富山・新潟県473km、改めて感じたことは、峠を越える車道は、歩行、自転車等への配慮はまったくなく、自動車専用道路となっているということです。

主催者は未定ですが、本山の部長さん、各別院輪番さんと面談して、手ごたえは十分でした。来年度に実施できればと願いますが…。
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オペラ恵信尼さまの記事

2017年06月28日 | 都市開教
本願寺新報(29.6.20日号)に、過般紹介しました「オペラ恵信尼さま」の開催報告記事が掲載されていました。私も情報を提供しています。

その記事の中に「オペラ関東の親鸞さん」開を、日暮里サニーホールで上演予定と紹介されたおり、さっそくチケットの申し込みがあったと作曲家の仙道さんからメールが入りました。チケットの販売は10月1日からですが、問い合わせはセンドー・オペラ・ミュージカル・カンパニー047-344-8729です。

記事の中の私のコメントです。「3000円の入場料を払っても300人もの方が来てくださった。その中には初めて阿弥陀さまの話を聴かれた方もあると思うと、得難い機会となったと思う。有料の場で何が提供できるか。これが未来の伝道の大きなポイントになる」
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大阪の常識東京の非常識

2017年06月27日 | 日記
だいぶ古い本(2004)ですが『大阪の常識東京の非常識』(近藤勝重著)に次のようにあります。

「崩れかけた東西のバカとアホの壁」
アホーボケーカスー 大阪人には[バカ]が。東京人には「アホ」がきつく聞こえるというのがこれまでの常識であった。…

陣内正敬・関西学院大教授(言語学)の調査でも、54%が「バカ」のほうがさつく聞こえ、25%が「アホ」のほうと答えている。

 私も武蔵野大生へのアンケートで同様の設問を加えてみたが、よく似た回答を得た。
 「バカがこたえる」が58.5%、[アホがこたえる]が32.9%、「バカ、アホのどちらもこたえる」が8.5%で、やはり東京の女子学生も「アホ」より「バカ」に抵抗を覚えるようである。
 
▽「バカ」のほうがこたえる理由
 ・突き放された感じがする ・アホには許す感じかあるが、バカには救いがない
 ・本気でいわれている気がする ・アホは大然ですむけど、バカは取り返しがつかない感じ
 ・アホは響きが可愛いか、バカはきつい……

▽「アホ」のほうがこたえる理由
・バカより格が低いイメージがある ・本当に頭が悪くなった気がする ・はなたれか僧みたいで嫌……

音声の記号を取ると、「アホ」より「バカ」のほうが破裂音も高く、波形も大きい。だからバカのほうがきつく響くというのはあくまで音声学上の話であろうが、東京人が何より「アホ」への抵抗感を低下させているのはテレビから「アホとちゃうか」「アホか、お前は」「ほんまにアホやなあ」としょっちゅう「アホ」を聞かされているからだろう。
 要は[アホ]にみんな馴染んできたわけだ。
その昔、こんな事件があった。立ち小便しているところを、「お前らアホか」といわれて逆上した九州出身の三人が、相手の会社員二人を死傷させた。
 この事件で大津地裁か出した判決はいずれも執行猶予刑であった。「九州出身の三人には甚だしいののしり言葉に受け取られた面もある」ということだったか、いまなら「お前らアホか」にこれほど逆上しなかったのではなかろうか。
 『アホ』地域。[バカ]地域の分布状況を調べた松本條著『全国アホーバカ分布考』(新潮文庫)は大変な労作だが、それによると、近畿の広い地域では「アホ」。その東西が「バカ」、つまり関東のみならず。九州でも「バカ」が使われている。(以上)

タレントのさんま氏の影響は大きいようです。
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恵信尼さまと親鸞聖人①

2017年06月26日 | 親鸞聖人
本願寺派仏教婦人会総連盟からでている「めぐみ」(2017年夏号)が届きました。前号まで、私はマンガの原作を書いていたのですが、この号から「恵信尼さまと親鸞聖人」を執筆することとなりました。この号に掲載分です。

恵信尼さまと親鸞聖人①

親鸞聖人の妻であった恵信尼さま。お歳は聖人より九つ年下です。恵信尼さまが、歴史の表舞台に鮮烈なデビューを遂げられたのは大正十年のことです。
 当時、明治の終わり頃から、“親鸞は歴史的に存在せず”という、いわゆる「親鸞架空論」が論じられていました。それは過去の親鸞聖人伝が本願寺内の資料が中心で、歴史家が納得する聖人に触れる鎌倉時代の古文書や客観的資料がなかったためです。
そのようなとき、鷲尾教導という真宗史の学者が、本願寺の宝物庫の調査をしたおり、偶然、恵信尼さまのお手紙を発見したのです。
暗闇に光がさし込むと、一瞬のうちに闇がなくなるように、この恵信尼さまのお手紙によって、親鸞架空論は霧が晴れるように一掃されました。
恵信尼さまがご覧になられた親鸞さまのお姿は、恵信尼さまおひとりの体験に留まらず、お手紙を通して、近現代に聖人の実像が生き生きと甦ってきたのです。
今日、この恵信尼さまのお手紙は「恵信尼文書」あるいは「恵信尼消息」といわれ、親鸞聖人の伝記研究では、欠かすことのできない光沢を放っています。
 お手紙は十通あり、いずれも末娘である覚信尼さまにあてたものです。聖人ご在世のおりにしたためられた財産の譲状二通、聖人ご往生後、聖人の動静に関するものが四通、ご自身の生活に及ぶものが四通です。
恵信尼さまが聖人を「殿」と呼称されていたことや、“信蓮房”“益方”“小黒女房”などのお子の名や、孫たちのこと、小袖を頂いてうれしかったことや老いの現状など、実生活のご様子も認められております。お手紙の全体から、在りし日の聖人が、家族とともに生活を営まれていたご様子を窺い知ることができます。
出家者(僧侶)は、妻をめとらない生き方が当たり前であった時代に、聖人が恵信尼さまと過ごされたという事実は、浄土真宗が在家の救いであるという真実を私たちに知らしめてくださいます。さて、恵信尼さまが見つめていた親鸞聖人とは、いったいどのような方であったのでしゅうか。次号から少しづつ紹介してみたいと思います。
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