『昭和・平成・令和の大学生―大学生調査35年から見る価値観の変化』(2024/9/4・片桐新自著)、細かく分析していますが、まとめ部分です。
以上,各回の調査対象となった学生たちがどのような時代を生き,どのような価値観を形成したかを見てきたが,改めて35年という時間の長さを感じる。今回の調査対象者となった学生たちが生まれたのは,2002年の第4回調査の前後である。本調査はその15年も前から行っているので,今回の調査対象学生の親は,ほぼこの調査のどこかの対象者世代である。親世代と子世代の価値観の違いは,年齢や社会的役割の違いで説明されやすいが,本調査の場合は,同じ学生という立場での比較なので,まさに時代が大学生たちにどのような価値観の違いを生み出したのかを確認することができる。
高度経済成長期に生まれ,高度経済成長の記憶はあまりなくとも低成長ながら右上がりの成長を続けていた時代に育ち,世界からバッシングを受けるほど豊かな日本経済を当たり前に受け止め,学生時代はバブル経済のまっただ中たった1回目の調査対象となった世代と,21世紀の記憶しかなく,物価も経済も生活も上昇しない現状維持,あるいは「じり貧の」社会しか知らず,スマホのない生活を想像できないという今回の調査対象となった大学生とでは,同じ日本の大学生とはいえ,別の社会を生きているくらいの違いがあるのは当然だろう。この35年にわたる調査を踏まえて,これからどのような社会が現出しそうなのか,そしてそれをどう受け止めるべきなのかについて触れて本書を閉じることとしたい。
35年間の大学生調査なので,様々な価値観が徐々に変わってきており,上で見たように毎回の学生たちなりの世代的特徴があるが,大きく捉えると,1980年代から1990年代の学生たち,そして2000年代から2010年代初めの学生たち,最後に20 10年代半ば頃から現在の学生たちという3世代に分けられるように思う。
第1世代にあたる1987年,1992年,1997年の調査世代,特に最初の2回の調査世代だった学生たちは,まだ昭和の大学生に近い価値観の持ち主だった。政治意識はやや革新寄りで,性別役割に関する考え方は変わりつつはあったが,まだ伝統的な考え方を維持している人も多く大学の授業への出席度は高くなく,私たち昭和の大学生と価値観を共有する部分が多かった。大学生は高校生とは違う存在だという意識もまだ強く持っていた世代であったと言えよう。
第2世代にあたるのは,2002年,2007年,2012年の調査対象になった世代である。彼らの価値観を形成する上で大きな影響を与えたのは1990年代前半から2000年代の日本経済の停滞ないしは衰退である。企業の倒産,従業員のリストラ,大学生の就職難,格差社会,勝ち組/負け組,ワーキングプア,フリーター,ニード,そんな言葉ばかりが聞こえてくる中で育ち,人生の落後者にならないようにという意識を強く持だされることになった世代である。様々な場面においてチャレンジするより手堅く生きる生き方を選択する傾向が強い世代である。大学の授業もまじめに出てとりあえず単位を取り就職活動の妨げにならないようにし,新卒採用で潰れない企業に就職しなるべく転職はせず,結婚し,子どもを持ち,無難に生きることを目標とする。政治や社会問題には基本的に興味はなく,現状があまり変わらなければいいという生き方を選択するという平成の人学生たちである。この時代に,大学生の高校生化はさらに進んだ。
第3世代が,2017年,2022年調査世代である。彼らの価値観形成に大きな影響を与えたのは,スマホの存在である。高校生以前にスマホを使い始めて、学びも遊びも人間関係もすべて手元のスマホで済ませられるのが当たり前という環境の中で育った彼らは,手間のかかることは避け,スマホで容易にできることだけで完結する生活で満足するようになっている。対面での人間関係は,親しい友人や家族以外との関係はすべて面倒なものと認識し,異なる世代との付き合いはもちろん,恋愛や結婚すら面倒なものと思う人が増えている。個人として自由な時問を確保することが何より大事だという価値観の持ち主か増えている。生き方の多様化を認めようという論調が,こうした学生たちの個人的生き方を後押ししている。かつて昭和の大学生に求められた健全な批判的精神を身につける人はおらず,批判的思考的に見る学生も多い。下手に批判的な意見を述べることは,誰かを傷つけ,さらにそれは白分に跳ね返ってくるのではないかと不安に思い,難しい社会的テーマについては深く考えないままとりあえず同調するか,なるべく関わらないようにしている。これが今後ますます増えてくるであろう令和の大学生の姿である。
私より10歳程度歳下たった新人類の価値観を調べることから始まったこの調査で,「個同保楽主義]の価値観の持ち主として確認された大学生たちは,決して私にとっては変わった価値観を持った新人類ではなかったが,40歳以上歳の離れた「新一個同保楽主義」の価値観の持ち主である現在の大学生は私にとって,まさに「令和の新人類」と呼びたくなるくらい価値観が異なる気がする。もちろん生きてきた時代,経験してきた時代が異なるので,年齢が離れれば離れるほど理解が難しくなるのは当然だろう。ただ,その新しい異なる価値観の下で明るい未来が想定できるなら,士。の世代は静かに消えていけばいいのだろうが,そう思えなければ,問題提起をするのも上の世代の役割ではないかと思う。前章の最後に述べたように この「新一個同保楽主義」の価値観は大学生という,まだ社会に出る前の存在ゆえに持ちやすい価値観で,卒業後は変わる可能性が高いのではないかと思うが,もしも社会に出てからもこの価値観を保持し続ける人が増えるとどんな社会が現出しそうなのかを予想してみたい。
まず,異性との恋や結婚を当たり前と考えず,それどころか個人の生活を犠牲にするものと思い続けるなら,少子化が一段と加速することになるだろう。次に,働くことにプラスイメージを持てず,コスパ,タイパのよい仕事を選ぶ人ばかりになれば,社会にとって必要な仕事に人手が不足する可能性が高い。対面の人間関係一特に価値観の異なる年代の人との人間関係一一を面倒なものと思い避け続けるなら,知識や物の見方は広がらず,コミュニケーション能力も落ちていくだろう。スマホを通して自分向けにアレンジされた情報収集しかしなければ,世の中でどんなことが起きているのかも知らず,この社会にとって重要な変化が起きようともただ無知のまま追従するしかできないことになってしまうだろう。
しかし,たぶんこんな悲惨な未来にはならないはずだ。何度も述べたように「新・個同保楽主義」の価値観は,今大学生ゆえに持ち得ている価値観で,これから大学を卒業して様々な経験を積む中で,価値観は変わっていく人が多いはずだ。 1人で自由気ままに生きるということはある意味誰からも必要とされない人生で,そんな人生は寂しいものだと多くの人は気づくだろう。いろいろ面倒なことはあっても,仕事を持ち,家族を持ち,人と関わる,誰かから必要とされる方が充実感を持てるということにほとんどの人は気づくはずだ。自分にやらなければならない仕事があり,守らなければならない家族がある人と,そうでない人を比べたら,どちらに充実感があるかは容易に想像ができるだろう。
大学生を育てるのが好きで,実際に彼らが成長していく過程を見てきた私にとって,私か魅力的だと思えない価値観を保持したまま,大学生が卒業しいくのは残念でならない。大学時代に この「新・個同保楽主義」の価値観から抜け出させたいのだが,時代という環境の中で彼らが自然に身につけた価値観を大きく変えることはなかなか容易なことではない。知識を得るのを楽しいと思うこと,社会や政治に関心を持つこと,違ケ世代とのコミュニケーションを楽しむこと,多角的な視野を持ち健令な批判的思考ができるようになること,楽なことばかりに逃げないこと。たくさん気づかせたいことがあるが,簡単ではない。
しかし,まったくできないわけでもないだろう。どんなに便利な道具が出てこようと,新しい価値観が出てこようとも,人加人を求める気持ちや,誰かに必要とされたい気持ちは普遍的なものだろうから,様々な機会を利用してそう思えるきっかけを与えればよい。また,知識を持つことや,社会や政治に関心を持つこと乱 それを面白いと思えるきっかけを与えれば,少しずつやろうと思うようになるはずだ。幸いなことに社会学という学問は学生たちにそう思わせることのできる学問だ。特に この調合のように長期間にわたって時代と大学生の価仙観の関係を調べてきたデータから,人は時代によって作られることを知り,それゆえにこそ無住識に時代に流されるのではなく,時代を把握し,自分はどう生きるべきかを考えてもらえるなら,それぞれの若者たちの明るい未来も見えてくるはずだと私は信じている。(以上)
以上,各回の調査対象となった学生たちがどのような時代を生き,どのような価値観を形成したかを見てきたが,改めて35年という時間の長さを感じる。今回の調査対象者となった学生たちが生まれたのは,2002年の第4回調査の前後である。本調査はその15年も前から行っているので,今回の調査対象学生の親は,ほぼこの調査のどこかの対象者世代である。親世代と子世代の価値観の違いは,年齢や社会的役割の違いで説明されやすいが,本調査の場合は,同じ学生という立場での比較なので,まさに時代が大学生たちにどのような価値観の違いを生み出したのかを確認することができる。
高度経済成長期に生まれ,高度経済成長の記憶はあまりなくとも低成長ながら右上がりの成長を続けていた時代に育ち,世界からバッシングを受けるほど豊かな日本経済を当たり前に受け止め,学生時代はバブル経済のまっただ中たった1回目の調査対象となった世代と,21世紀の記憶しかなく,物価も経済も生活も上昇しない現状維持,あるいは「じり貧の」社会しか知らず,スマホのない生活を想像できないという今回の調査対象となった大学生とでは,同じ日本の大学生とはいえ,別の社会を生きているくらいの違いがあるのは当然だろう。この35年にわたる調査を踏まえて,これからどのような社会が現出しそうなのか,そしてそれをどう受け止めるべきなのかについて触れて本書を閉じることとしたい。
35年間の大学生調査なので,様々な価値観が徐々に変わってきており,上で見たように毎回の学生たちなりの世代的特徴があるが,大きく捉えると,1980年代から1990年代の学生たち,そして2000年代から2010年代初めの学生たち,最後に20 10年代半ば頃から現在の学生たちという3世代に分けられるように思う。
第1世代にあたる1987年,1992年,1997年の調査世代,特に最初の2回の調査世代だった学生たちは,まだ昭和の大学生に近い価値観の持ち主だった。政治意識はやや革新寄りで,性別役割に関する考え方は変わりつつはあったが,まだ伝統的な考え方を維持している人も多く大学の授業への出席度は高くなく,私たち昭和の大学生と価値観を共有する部分が多かった。大学生は高校生とは違う存在だという意識もまだ強く持っていた世代であったと言えよう。
第2世代にあたるのは,2002年,2007年,2012年の調査対象になった世代である。彼らの価値観を形成する上で大きな影響を与えたのは1990年代前半から2000年代の日本経済の停滞ないしは衰退である。企業の倒産,従業員のリストラ,大学生の就職難,格差社会,勝ち組/負け組,ワーキングプア,フリーター,ニード,そんな言葉ばかりが聞こえてくる中で育ち,人生の落後者にならないようにという意識を強く持だされることになった世代である。様々な場面においてチャレンジするより手堅く生きる生き方を選択する傾向が強い世代である。大学の授業もまじめに出てとりあえず単位を取り就職活動の妨げにならないようにし,新卒採用で潰れない企業に就職しなるべく転職はせず,結婚し,子どもを持ち,無難に生きることを目標とする。政治や社会問題には基本的に興味はなく,現状があまり変わらなければいいという生き方を選択するという平成の人学生たちである。この時代に,大学生の高校生化はさらに進んだ。
第3世代が,2017年,2022年調査世代である。彼らの価値観形成に大きな影響を与えたのは,スマホの存在である。高校生以前にスマホを使い始めて、学びも遊びも人間関係もすべて手元のスマホで済ませられるのが当たり前という環境の中で育った彼らは,手間のかかることは避け,スマホで容易にできることだけで完結する生活で満足するようになっている。対面での人間関係は,親しい友人や家族以外との関係はすべて面倒なものと認識し,異なる世代との付き合いはもちろん,恋愛や結婚すら面倒なものと思う人が増えている。個人として自由な時問を確保することが何より大事だという価値観の持ち主か増えている。生き方の多様化を認めようという論調が,こうした学生たちの個人的生き方を後押ししている。かつて昭和の大学生に求められた健全な批判的精神を身につける人はおらず,批判的思考的に見る学生も多い。下手に批判的な意見を述べることは,誰かを傷つけ,さらにそれは白分に跳ね返ってくるのではないかと不安に思い,難しい社会的テーマについては深く考えないままとりあえず同調するか,なるべく関わらないようにしている。これが今後ますます増えてくるであろう令和の大学生の姿である。
私より10歳程度歳下たった新人類の価値観を調べることから始まったこの調査で,「個同保楽主義]の価値観の持ち主として確認された大学生たちは,決して私にとっては変わった価値観を持った新人類ではなかったが,40歳以上歳の離れた「新一個同保楽主義」の価値観の持ち主である現在の大学生は私にとって,まさに「令和の新人類」と呼びたくなるくらい価値観が異なる気がする。もちろん生きてきた時代,経験してきた時代が異なるので,年齢が離れれば離れるほど理解が難しくなるのは当然だろう。ただ,その新しい異なる価値観の下で明るい未来が想定できるなら,士。の世代は静かに消えていけばいいのだろうが,そう思えなければ,問題提起をするのも上の世代の役割ではないかと思う。前章の最後に述べたように この「新一個同保楽主義」の価値観は大学生という,まだ社会に出る前の存在ゆえに持ちやすい価値観で,卒業後は変わる可能性が高いのではないかと思うが,もしも社会に出てからもこの価値観を保持し続ける人が増えるとどんな社会が現出しそうなのかを予想してみたい。
まず,異性との恋や結婚を当たり前と考えず,それどころか個人の生活を犠牲にするものと思い続けるなら,少子化が一段と加速することになるだろう。次に,働くことにプラスイメージを持てず,コスパ,タイパのよい仕事を選ぶ人ばかりになれば,社会にとって必要な仕事に人手が不足する可能性が高い。対面の人間関係一特に価値観の異なる年代の人との人間関係一一を面倒なものと思い避け続けるなら,知識や物の見方は広がらず,コミュニケーション能力も落ちていくだろう。スマホを通して自分向けにアレンジされた情報収集しかしなければ,世の中でどんなことが起きているのかも知らず,この社会にとって重要な変化が起きようともただ無知のまま追従するしかできないことになってしまうだろう。
しかし,たぶんこんな悲惨な未来にはならないはずだ。何度も述べたように「新・個同保楽主義」の価値観は,今大学生ゆえに持ち得ている価値観で,これから大学を卒業して様々な経験を積む中で,価値観は変わっていく人が多いはずだ。 1人で自由気ままに生きるということはある意味誰からも必要とされない人生で,そんな人生は寂しいものだと多くの人は気づくだろう。いろいろ面倒なことはあっても,仕事を持ち,家族を持ち,人と関わる,誰かから必要とされる方が充実感を持てるということにほとんどの人は気づくはずだ。自分にやらなければならない仕事があり,守らなければならない家族がある人と,そうでない人を比べたら,どちらに充実感があるかは容易に想像ができるだろう。
大学生を育てるのが好きで,実際に彼らが成長していく過程を見てきた私にとって,私か魅力的だと思えない価値観を保持したまま,大学生が卒業しいくのは残念でならない。大学時代に この「新・個同保楽主義」の価値観から抜け出させたいのだが,時代という環境の中で彼らが自然に身につけた価値観を大きく変えることはなかなか容易なことではない。知識を得るのを楽しいと思うこと,社会や政治に関心を持つこと,違ケ世代とのコミュニケーションを楽しむこと,多角的な視野を持ち健令な批判的思考ができるようになること,楽なことばかりに逃げないこと。たくさん気づかせたいことがあるが,簡単ではない。
しかし,まったくできないわけでもないだろう。どんなに便利な道具が出てこようと,新しい価値観が出てこようとも,人加人を求める気持ちや,誰かに必要とされたい気持ちは普遍的なものだろうから,様々な機会を利用してそう思えるきっかけを与えればよい。また,知識を持つことや,社会や政治に関心を持つこと乱 それを面白いと思えるきっかけを与えれば,少しずつやろうと思うようになるはずだ。幸いなことに社会学という学問は学生たちにそう思わせることのできる学問だ。特に この調合のように長期間にわたって時代と大学生の価仙観の関係を調べてきたデータから,人は時代によって作られることを知り,それゆえにこそ無住識に時代に流されるのではなく,時代を把握し,自分はどう生きるべきかを考えてもらえるなら,それぞれの若者たちの明るい未来も見えてくるはずだと私は信じている。(以上)