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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

主要教団の信者数の推移

2016年12月31日 | 都市開教
主要教団の信者数の推移が、以前紹介(28.8.25)した『宗教とこころの新時代』に掲載されていました。この表は、本の中の「9.成熟社会における宗教のゆくえー宗教復興か世俗化か」(芳賀学)の章に掲載されていたものです。

この章には、各種世論調査の統計の紹介があり、その数字だけ転載していきます。

読売新聞社による世論調査の結果である(読売新聞世論査部編2002)

自分自身が宗教を信じているかどうかを問われて、「信じている」と答えた人たちの比率。
89年には28.0%であったが、それから五年後94年には26.1%と低下し、一連のオウム真理教事件発覚後の95年には20.3%にまで落ち込んだ。この数値は、98年には20.5%と低いレベルにとどまったものの2000年代に入ると、22.8%(00年)、21.5五%(01年)、22.9%[05年]とやや盛り返し、08年には26.1%と94年と同レベルにまで回復した。このデータを見ると、日本社会において宗教は21世紀に入ってその勢力を再度増しているように思われる。(以上)

「宗教的なもの」に対する意識変化

 「日本人の意識」調査におて、「宗教とか信仰とかに関係すると思われることがら」として七つの中で信じているものを答えてもらった結果(複数回答、単位%)の経年変化を表したものである(NHK放送文化研究所編2015)。この調査は、NHK放送文化研究所が全国の16歳以上の国民を対象に73年から5年ごとに実施しているものであり、もっとも信頼のおける調査このデータの一つである。

NHK放送文化研究所の分析では。世代や年齢などによって項目ごとに意識に違いがあることも明らかにされている。たとえば、「仏」と「神」の肯定率は上の世代ほど高い傾向があり、1900年代生まれの世代では「仏」または「神」のいずれかを肯定する比率が8割に達するのに対して、70年代後半以降生まれの世代では2割から2割強に過ぎない。一方、、「奇跡」「お守り・お札の力」「あの世」の三項目に関しては、若年層・中年層・高年層に分けた場合、若い層ほど肯定率が高く、近年。その傾向が顕著になっている(以上)

「神仏と名何か」という文化そのものが、若い世代には伝わっていないのでしょう。若い世代には、仏とは何かというところから、語る必要があります。

一年間、有難うございました。
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姻族関係終了届

2016年12月30日 | 現代の病理
今日(28.12.30)の『産経新聞』に“「死後離婚」が増えている 亡夫の親族とは縁を切りたい”という記事が掲載されていました。

この記事で「姻族関係終了届」があることを知りました。

記事の要点だけ抜粋転載します。

亡くなった配偶者の親やきょうだいとの関係を解消する「姻族関係終了届」を出して〝死後離婚〟する人が急増している。こじれた嫁しゅうとめ関係の継続や、義理の親の介護を担うことへの不安などを背景に、専門家に相談する女性も増加傾向にある。


 手続きは市区町村の窓口に届けるだけで、相手の了解は不要だ。法務省の戸籍統計によると、平成17年度に1772件だった姻族関係終了届の提出数は、27年度に2783件に増えた。(以上)

ますます共存共栄という世界観が失われていっているようです。自己決定権がどこまで許されるのか。この延長線上には、“親子解消届け”“先祖絶縁届”などが登場することでしょう。

問題は、関係性の崩壊とともに、記事の中に“法的には家庭裁判所が「特別な事情」と認めた場合を除き、義理の親を扶養する義務はない。”とあるのですが、,「義務はない」ということよりも、目に見える契約で明らかにしたいということでしょう。

価値観の多様化が進むと、法律が人々を支配する社会となって行きます。契約を重要視する社会の一つの査証でしょう。。
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あさのあつこ(作家)さんの

2016年12月29日 | 日記
過般の深夜便(2016年12月24日)、あさのあつこ(作家)さんの「書くこと、知ること」というテーマでの対談でした。児童向けに書かれた「バッテリー」がシリーズ6巻で累計1000万部を越えるベストセラーになった人だという。

小説を書く場合、描きたい人物が、心の中ではっきりしてきたとき、その人物の特徴や環境なども明確になっているので、その時点で書くとのことでした。
心の中に主人公のイメージがはっきりした時に書けるという話が、印象的でした。 

興味深かったのは、次のことです。

1954年岡山県美作町生まれ、林野高校卒業、上京してして大学卒業、岡山市内の小学校で臨時教員として社会人を始める。
臨時教員になったのは、夏休み、冬休み等休みが多く取れると思っていたが、そうではなかった。
2年経ったとき、或る女子児童から、「先生はいい加減だから嫌い」と言われて、あーっ見抜かれたと思い、教員を辞める割断をしたという。
辞めた時に男の児童の母親からお礼の手紙をもらう。
その子は他の教科はよいが、算数が苦手だった。一人が引っかかっていると全体の授業が進まないので放課後勉強しようかと問いかけて一緒に勉強した。母親から一緒に勉強をしてくれたこと、また算数が分かり、子供にとって支えになったという感謝の手紙をもらった。
その時、自分はその子の為でなく、授業が遅れるからといった身勝手な思いで放課後の勉強をつきあったことが喜ばれ、嬉しいというよりも、恥ずかしいという思いで涙が止まらなかったという。

ラジオを聴きながら、この作家のその時の涙、涙を流すほど恥ずかしいという思いはどうして起こったのだろうかと思念しました。母親の子どもを思う一途の愛情から湧き出たお礼の言葉によって、自分の小手先の行動が「恥ずかしい」「嬉しい」という涙を流させたものであろうか…。

その部分が一番印象的でした。

話の全容を知りたい方は下記アドレス「明日へのことば」へ。
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2016/12/blog-post_24.html
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忌み言葉の背景

2016年12月28日 | 現代の病理
日本人は、言葉に対して独特な感性もっている。古くは濁点を嫌らったり、今でも、結婚式や葬式で“忌み言葉”を多用します。

図書館で借りてきた『なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか――新・言霊論』(祥伝社新書・12/9/3・井沢 元彦著) は、その辺りを深く掘り下げています。
まずは本の内容紹介です。

国会の原発事故調査委員会は今月6日に出した最終結論で、福島で起きた爆発は「深刻な人災」であるとして、企業や組織のなかに染みついた「日本文化」こそが原因だと結論づけました。ここでいう「日本文化」とは何か? 井沢元彦氏によれば、彼が長年唱え続けてきた「言霊」も、その一つです。 本書では、現代においても言霊の思想がいかに日本人の考え方を決定づけているかを検証していきます。本書を読めば、「口に出したことは実際に起こってしまうので、嫌なこと、あってはならないことは口に出さない、考えない」という言霊の思想が現代でも大手をふるって生き延びていることがよくわかります。
東京電力は、事故を想定すること自体が不吉なことだとして、地震や津波という、充分想定される事態をないこととしてきました。そのことは、さまざまな調査・証言から明らかになっています。 (以上)

本からの転載です。

日本人の深屑心理を支配する宗教-言霊 

ここで改めて、言霊という概念の定義を紹介しておきましょう。
 まず「広辞苑」では次のように定義しています。《言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた》。
 ちなみに、ネット上のフリー百科事典ウィキペディアでも、こうあります。
《声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ。良い言葉を発すると良い事が起こり、不古な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため勵旅を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでのきみ言葉も、言霊の思想に基づくものである。日本は言霊の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸(さき)はふ国」とされた》(以下略)(以上)

言葉が物事を支配するという考えは、名においてもいえると紹介しています。以下転載。

言霊の世界では、人の名前を知る、知られるということは、その人を支配するということになるのです。恋人同士ならば身も心も捧げることになる。なぜなら名(言葉)と、その名によって表現される実体(この場合は恋人)は表裏一体のものだからです。言葉と実体は、言霊の作用によって一つのものになっているのです。
 名と実体が一致するのだから、実体のほうを殺したい場合、名のほうへ呪いをかけても効果があることになります。ですから、うっかり名を人に知られたりしてはならないのです。名は単なる記号ではないわけです。

たとえば、子供が生まれるとわざと汚い名前をつける。あまりよい名だと鬼神か目をつけ、その子の命が危うくなるからです。無事成長すれば。よい名に変えることは言うまでもありません。
 日本でも、歴史上有名な例があります。豊臣秀吉は淀君との間にようやく生まれた男子に、はじめ棄丸と名付け、後に鶴松と付けましたが、この子はわずか三歳で死んでしまいました。そこで次に生まれた子には拾丸とつけました。しかも絶対に呼び捨てにせよ、[お]の字をつけて[おひろい]と呼んではならぬ、と厳命しているのです。
 ここで呼び捨てにするのは、言霊的にはひどいあつかいをすることによって、災いを避けようとする意識が働いているからです。逆に成人して本当の名を名乗れば、その名は絶対に呼び捨てにしてはならない。いや、そもそも囗にすること自体許されない。

では日本ではどうでしょうか。日本でも名前(実名)を呼ばないという習慣は守られました。そのことは実名のことを「諱」(いみな以下イミナと表記する)ということでもわかります。忌み名、なのでしょう。忌む、とは避ける・遠慮する・憚ることです。明治以降、日本に本当の意味でのイミナはなくなったので、イミナというものがどういうものか、わからなくなったようです。
 簡単に説明するために。江戸時代の名奉行・遠山の金さんにご登場願いましょう。
金さん、姓は遠山、通称は金四郎、イミナは景元です。役職は江戸町奉行。官位は左衛門尉。つまり、遠山金四郎景元というのか彼の正式な名です。
 しかし彼が生きていた時代、人からこのように呼ばれたことはまずなかったはずです。まず彼と親しい人間、竹馬の友や册蒙は、彼を「金四郎」あるいは「遠山」と呼ぶ。役所に出勤すれば、「お奉行」、あるいは[遠山様]でしょう。江戸城に登城すれば「遠山左衛門尉様」、同僚からは「左衛門尉殿」、上司からは「左衛門尉」あるいは「遠山」と呼ばれます。この場合、たとえ老中でも「景元」とは言いません。
 相手が老中でも、そう呼ばれたら金さんは怒るでしょう。また怒ってもいいのです。少なくとも抗議はできます。なぜなら金さんと老中は。身分の差はあっても、同じ将軍の家臣だからです。「景元」と呼べるのは、主人である将軍か両親ぐらいで、あとは罪を犯して罪人になったときに呼び捨てにされることかあるかな、というぐらいのものなのです。
 では、イミナはどんなときに使うのか。それは公文書や系図に名を書くときです。
また、自分で自分のことを言うときで、つまり、他人が「景元」と呼ぶことは許されませんが、自ら「遠山景元つつしんで申し上げます」などと言うのは、一向にかまいません。それから死んだときです。彼がこの匪の人でなくなれば、われわれは彼を遠山景元と呼んでもいいし、むしろそう呼ぶべきなのです。(以上)

諱について勉強になりました。また名が体を表すという考え方は、浄土真宗の名号でもいえることで、名号との関連は不明ですが、中国人、日本人の情念の中で関係しているのかもしれません。
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かおりさんの日常NO6

2016年12月27日 | 日記
仏教婦人会連盟(浄土真宗本願寺派)が発行している「めぐみ」連載まんが「かおりさんの日常」NO6がアップされました。原作は私、画は、ますいあけみさんです。最初のころは、一頁の一コマ目、二コマ目と、話のストリーを書いていましたが、ここ2.3編前から、一頁単位で話を書くようにしています。また書いたものが、どんな画になってくるか楽しみでもあります。ブックマーク「まんがかおりさんの日常」から入って下さい。

ますいあけみさんには、会ったことがないのですが、まんがをホームページに掲載することは、了解を取っています。浄土真宗の表現方法として“まんが”を模索中です。
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