仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

民主主義の欠陥

2012年03月19日 | 仏教とは?
産経新聞(24.3.18)論壇に、評論家稲垣真澄氏が“民主主義支える「自業自得」”という題で書いていました。

稲垣真澄氏は、産経新聞の論説委員をされていた方で、以前私が、同新聞にコラムを連載していた時にお世話になりました。大派の寺院出身であったかと記憶しています。

私の興味を引いた部分は、次の所です。(以下転載)

民主主義の前提の一つは自己決定の有効性だといわれる。間違った自己決定は不利益となって自己にはね返るという「自業自得」が民主主義の合理性を保証する。バカなことをしたら結局ソンをするのは自分だという自戒。その自業自得が成り立つのは「同時性(己が見通しうる世代)」の枠組みにおいてであり、同時性を超える事柄に関しては民主主義は有効な自己決定をなしえない。

つまり、無毒化するまでに10万年あるいは100万年もかかるとされる核廃棄物は、自己決定する者の責任の範疇をこえているので、民衆主義の基本にある自己決定の考えには、欠陥があるというのです。

“自己決定権の尊重”が現代の価値観の主流です。仏教のその価値観を否定するものではありませんが、全面的に肯定するものでもありません。

1つには、末通らない、未来を貫くほど確かではないということ。それと他の依って自己があるという縁起に立って、自己決定の主張には謙虚であれと教えています。

謙虚と言えば、夜中のことでした。

夜中に目が覚めラジオをつけると、スポーツニュースでした。ラグビーの第49回日本選手権決勝でサントリーがパナソニックに21―9で勝ち、2年連続5度目の優勝で、東芝以来5シーズンぶりとなるトップリーグとの2冠を達成した。と報道していました。

そして竹本隼太郎・サントリー主将の言葉を紹介していました。いわく「目標の2冠を実現できてうれしい。多少のミスはあったが、崩れなかった。強い相手と戦うことでレベルアップできた」。“強い相手と戦うことでレベルアップできた”と相手を讃えた言葉です。勝っておごらず、見事なコメントだと思いました。

自己決定の考え方の欠陥を補うものは、科学技術をはじめとするさまざまな知性への驕りを持たず、未来と他者に対して謙虚であることでしょう。新聞記事を見て思ったことです。
コメント
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