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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

他者②

2017年01月31日 | 浄土真宗とは?
『「他者」の倫理学 -レヴィナス、親鸞、そして宇野弘蔵を読む』(社会評論社2016/9/13青木 孝平著)の続きです。

今までの仏教学と違った視点から仏教や親鸞聖人を見ていくその見方が新鮮でした。タイトルにもある「他者」についての論述を見て見ましょう。これは現象学から仏教学を比較したものらしい。

唯識哲学は、あらゆる[客観世界]を否定して、一切の事象を感覚的認識から「末那識」さらには無意識としての「阿頼耶織」にまで還元し、そこに「見分」と「相分」すなわちノエシスとノエマというべき関連を発見するものであった。また、中観哲学は、あらゆる「実体」を両極の項として杏定し、そのあいだ(縁起)にある関係性の観念を「中観」として認識するものであった。こうして現象学と聖道門仏教はともに。自己の純粋意識の表層において真理(悟り)を探し求めることになる。それらは、自己意識の内部において瞑想を重ね、そのなかに自閉的に籠って「他者」ないし[仏]という幻影を構成しようとするものであり、けっきょく「自己」からその外部へと超出することは、ついにできなかったのである。
 つづく天台および真言の平安二宗は、こうした奈良仏教の「自己」を、意識表層から大衆の自力実践(修行)の主体へと転換したものといえるだろう。けれども天台宗は、しだいに「本覚」思想への傾斜を強めていった。迷いの主体である不覚の「自己」が、仏という「他者」を始覚することで悟りに入っていく。つまり自巳が他者(仏性)に目覚めていく行を「本覚」と表現したのである。また真言宗は、「自己」が大日如来という「他者」を自らの内に引き入れることで、自己(衆生)と他者(仏)が合一化すると説いた。これらの哲学に、メルローポンティにおける自己と他者の交差(キアスム)による可逆反転論、あるいは(イデガーにおける自他を含む共存在論と類似するものを想起しても、あながち間違いではあるまい。そこでは、「自己」と「他者」は同一世界に存在し相互に変換しうるものであり、いまだ「他者」が、「自己」に対して外的な唯一の主体として発見されることはなかったのである。
 これに対して、法然の「専修念仏」は、これまでの仏教パラダイムを根本的に転換したようにみえる。たしかに法然は、「自已」に外的な「他者」である阿弥陀如来をあらかじめ前提とすることに成功した。この「他者」の慈悲によってのみ「自己」は受動的に仏になれると説いたのである。ここにひとまず『他者』を実体とし、そのイニシアティヴによって「自己」の往生成仏を果たす「他力仏教」の原型かつくられたというてよいかもしれない。
 だが法然は、「自己(衆生)」に外的な「他者(仏)」に向かって称える念仏の行において、「自己」から「他者」へ向かうベクトルをいまだ残していたのではなかろうか。レヴィナスの表現を借りれば、法然はフッサールと同様に、他者(阿弥陀仏)を対象化して自己の認識に同化し、最終的にこの「他者」に、自己の往生を請求しているのではないか。いいかえれば、自己の往生は、自己の能動的「念仏」に対する他者からの受動的応答という関係において捉えられていたのではないか。
すなわち法然においては。いまだ「他者(阿弥陀仏)」が、自己によって認識も観想もできない『絶対他者』として位置づけられていたわけではない。この意味で、法然の浄土宗にはわずかに自力の痕跡か残っていた。すなわちそれは「他力のなかの自力」にとどまっているのではなかろうか。
 これに対して、ひとり親鸞のみが、いりさいの自力を払拭し「絶対他力」の信心を確立しえた、すなわち、「自己」の側からのいかなる能動的な行為(所行)をも放棄し、ただ一方的に「他者(阿弥陀仏)」の本願を廻向されることによってのみ自巳の往生は果たされる。レヴィナス流にいえば、親鸞は、阿弥陀仏を「絶対的に他なるもの」として開示することができたといえよう。
 だかそれにしても、長い仏教史において、なぜ、親鸞だけがこうした仏(他者)を一方的に無限の主体とする思想を確立しえたのであろうか。この点にこそ、レヴィナスと親鸞を結びつける一筋の隠れた糸があろう。それは一言でいえば、両者に共通する自我に対する徹底的な嫌悪、自己の悪性意鐡、つまりは自虐の観念だったのではなかろうか。(以上)
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「他者」の倫理学

2017年01月30日 | 仏教とは?
『「他者」の倫理学 -レヴィナス、親鸞、そして宇野弘蔵を読む』(社会評論社2016/9/13青木 孝平著) を借りてきました。

佐藤優・評 『「他者」の倫理学』=青木孝平・著(毎日新聞2016年10月16日 東京朝刊)で、“青木孝平氏の強靱(きょうじん)な思考力に圧倒された。素晴らしい作品だ。”と評していますが、仏教の理解は、相当深いものがあります。著者は、経済学者、法学者、社会哲学者で、鈴鹿医療科学大学保健衛生学部放射線技術科学科教授であるという。またこの書が書下ろしであることも、著者の思考力のたまものでしょう。以下少し転載してみます。

親鸞に深く取り憑(つ)いた「悪としての自己」意識は、その能動性・主体性(自力)に対する徹底的な否定に帰着せざるをえない。こうした自己(自我)に対する否定を、ひたすら自己の内部で遂行しようとすれば、それはパラドクシカルにも、不毛で際限のない自我への固執とその止め処(ど)ない肥大化に帰結していく。このことは、現象学であれ仏教であれ、これまでのほとんどすべての独我論哲学が経験したアポリアであった。ここにおいてレヴィナスと同様に親鸞が行き着いた展望は、おそらくは、自己の主体性の否定すなわち受動化を根源にまで徹底するためには、外部の「他者」の絶対的な能動性(他力)を全面的に肯定する以外にすべはないという結論だったのであろう。

これが、レヴィナスのいう存在の無限の彼方(かなた)における「絶対他者」であり、親鸞における浄土に住まう阿弥陀(あみだ)如来の「絶対他力」だったのではなかろうか。もしかするとレヴィナスと同じく親鸞も、こうした「他者」がひとつのフィクションであることに気づいていたのかもしれない。しかしながらこのフィクションは、「自我」の溶解のためにはどうしても避けて通れない不可欠で絶対的な前提であった(以上)続く
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ペットロス

2017年01月29日 | 苦しみは成長のとびら
『ありがとう。また逢えるよね。―ペットロス心の相談室』(2008/4横田 晴正 著) という本があり借りてきました。

現代社会において別れの悲しみは、人間であっても動物であっても同質の悲嘆を持つ人がいます。いやペットの方が、悲嘆がより深い人がいます。それには理由があります。その辺りを本から転載してみます。

ットロスの背景

ペットを取り巻く環境は変化しておりまして、昔は使役動物と言われ役に立つから飼われていたのですが、徐々に使役動物から愛玩動物という位置づけとなり、近年ではコンパニオンアニマル(伴侶動物)と呼ばれるように、ペットたちの地位は向上しております。さらに社会環境も変化しており、大家族から核家族・少子化へと時代は移り変わる中で、ペットは一緒に暮らす者として迎えられ、寝食を共にするようになり、共に生活し、共に楽しみ、共に支え助け合い、心を分かち合うパートナーとなってきました。
 
…溺愛した擬人化ではなく、家族のひとりとして受け容れられるようになりました。また、人は社会構造が複雑化して人間関係も多岐にわたりストレスを抱えるようになり、コミュニケーションが希薄化してゆくという中で、ペットは純粋で心癒してくれる存在としても受け容れられ、言葉が違う故に触れ合うことによってコミュニケーションをすることからも、より密接な関係を培うようになってきております。
 ましてやペットは人の容姿や役職、家柄や年収、年齢や性別などで差別することなく愛してくれる者を素直に受け入れ、純粋な愛情で応えてくれるので、より愛されるようになっており、より強い絆を育むようになってまいります。(以上)

解説する必要もないでしょう。また人間の死別の悲嘆を同様に、人に悲しみを打ち明けられないことも悲嘆を深くさせているようです。

この本の良いところは、悲しみを癒すための言葉が沢山掲載されています。私が気に入った言葉だけ紹介してみます。


この悲しみと苦しみがあるとしても、あなたはあの子を選びますか?
それとも、この悲しみと苦しみから逃れるために、他の子を選びますか?

あなたは理想のあなたを求めて後悔しています。
あの子は理想のあなたではなく、そのままのあなたを愛してくれましたよ。


今まであった幸せは消えません。そのままです。
別れがあっても消えることはありません。あなたが消さない限り。

あなたを見つけてくれたことに感謝しましょう。
あの子を見つけたあなたを褒めてあげなさい。

生きているときには距離があるから、家に帰らないと会えません。
今は距離がないから、いつも一緒です。
その代わりに見えにくいかもしれません。

忘れてはならないことがあります。楽しい日々のこと。
忘れることができないことがあります。悲しい日のこと。
どちらも忘れてはならない、あの子との思い出です。
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人口減少時代の宗教

2017年01月28日 | 都市開教
『人口減少時代の宗教―高齢宗教者と信者の実体を中心に』鈴鹿短期大学教授 川又俊則氏の論文(2014.10宗務寺報)の続きです。

論者が昭和一けた台という興味ある箇所があります。紹介します。

筆者の調査において,団塊世代の一部で故郷の過疎地域へ戻る人がいた。筆者は,彼らが宗教集団にどのようにかかわるか,あるいは,かかわらないのかに注目している。昭和一ケタ世代及びその次世代の動向が,今後の過疎地域及ぴその地城にある宗教集団の今後の趨勢を決めるかもしれない。
 筆者が昭和一ケタ世代に着目するのは,葬送儀礼や墓地に関する著作の多い森謙二の指摘に示唆を得たからである。森は,昭和一ケタ世代を,「過去の家的伝統を引き継ぎながらも,他方では経済合理的な意識ももち続け」,戦後の近代化の中で,生活の合理化を推進した世代だと見なす。そして,生活合理化運動としての葬式の簡素化運動,高度経済成長の中に葬式無用論が出回った時代を過ごした。この世代について,「個人化の進展とともに伝統的な葬儀や商業化された葬儀に矛盾を感じ」,葬送領域における自己決定を主張し始めた世代であり,彼らは「子供たちに迷惑をかけたくない」から「突然死」を望むとも述べている。つまり,昭和一ケタ世代とは,実は,それ以前の世代と比較すると,「宗教離れ」世代と見なせるかもしれない。更に,戦後に生まれ,高度経済成長期を生き,その後の日本社会の多くを変えていった団塊世代は,完全に「宗教離れ」した世代とも見なせそうである。(以上)

確かに昭和一けた世代から離京が始まりました。そして一生懸命に働き、高度成長と共に幸せを感じた方々です。でも一括で括れないのは、郷里在住の人たちも多くいて、その人たちは従来通りの宗教生活を続けてきました。

興味深いと思われることは、昭和一けた台の子供や孫の時代が現代人の多数派です。昭和ひとけた世代の方々が高度成長という目に見える幸せがありました。給料も上がるし、新しい製品が登場しマイホームを手に入れるといったことです。

ところが現代は、その幸せが見出せず、宗教的環境も形式宗教が色を失い、そうした状況の中で生きがいや生きる依りどころを潜在的に求めている世代だと思われます。いまこそ浄土真宗の出番だと思うのですが…。
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精神的なよりどころ

2017年01月27日 | 日記
『産経新聞』(29.1.27)に“関心集める「墓じまい」「改葬」”という記事が掲載されていました。

 参拝者もなく、関係者とも連絡のつかない無縁墓はここ数年、増加傾向にあり、地方はより深刻な状況にあるようだ。
 熊本県人吉市は平成25年、市内にあるすべての民有墓地約700ヵ所と市有墓地(市が所有する土地にある墓地で、市営墓地とは異なる)14力所で、墓の承継の実態を調べた。
 その結果、民有墓地(1万2342基)の約4割(4561基)、市有墓地(2786基)の約7割(1913基)が事実上、無緑化していることか分かった。
 同市は「こんなにあるのか、という印象」(環境課)と驚きを隠さない、ただ、無縁墓を整理するためのやりを組む予定は今のところないとする。(以上)


農村から都市へ人が動き、次にお墓が動き、次に寺が動くという構図ですが、寺が動くのではなく消滅しているところに、一番の問題点があります。

それでも過疎地域では、兼職はもちろんのこと、数ヶ寺の面倒を見る代務住職などで、ぎりぎり支えている状況です。

丁度、『人口減少時代の宗教―高齢宗教者と信者の実体を中心に』鈴鹿短期大学教授 川又俊則氏の論文(2014.10宗務寺報)を読みました。

熊野市紀和町は,三重県でもっとも高齢化率の高い地域の一つであるが,地域おこし活動を活発に続けている。同町にあり,日本の風景百選・日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」では,地区住民全員による丸山千枚田保存会が結成され,その復元と保全活動が始まった。そして,10年ほど前からは大きな農耕行事として[虫送り]などを復活・実施し,すっかり定着している(写真4)。県外からの観光客も集まり,地元小学生も行事で役割が与えられている。宗教行事においては,同地域内の寺院も関係している。
 社会保障,環境,医療,福祉など多様な分野で多くの著作を発表している広井良典は,その近著で,現代日本の「人口減少社会」の課題として,「分配」[人と人との関係性] 「精神的なよりどころ」の3点を挙げている。(以上)

「精神的なよりどころ」の分野でどう過疎地で役割を発揮できるかが課題です。
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