『「他者」の倫理学 -レヴィナス、親鸞、そして宇野弘蔵を読む』(社会評論社2016/9/13青木 孝平著)の続きです。
今までの仏教学と違った視点から仏教や親鸞聖人を見ていくその見方が新鮮でした。タイトルにもある「他者」についての論述を見て見ましょう。これは現象学から仏教学を比較したものらしい。
唯識哲学は、あらゆる[客観世界]を否定して、一切の事象を感覚的認識から「末那識」さらには無意識としての「阿頼耶織」にまで還元し、そこに「見分」と「相分」すなわちノエシスとノエマというべき関連を発見するものであった。また、中観哲学は、あらゆる「実体」を両極の項として杏定し、そのあいだ(縁起)にある関係性の観念を「中観」として認識するものであった。こうして現象学と聖道門仏教はともに。自己の純粋意識の表層において真理(悟り)を探し求めることになる。それらは、自己意識の内部において瞑想を重ね、そのなかに自閉的に籠って「他者」ないし[仏]という幻影を構成しようとするものであり、けっきょく「自己」からその外部へと超出することは、ついにできなかったのである。
つづく天台および真言の平安二宗は、こうした奈良仏教の「自己」を、意識表層から大衆の自力実践(修行)の主体へと転換したものといえるだろう。けれども天台宗は、しだいに「本覚」思想への傾斜を強めていった。迷いの主体である不覚の「自己」が、仏という「他者」を始覚することで悟りに入っていく。つまり自巳が他者(仏性)に目覚めていく行を「本覚」と表現したのである。また真言宗は、「自己」が大日如来という「他者」を自らの内に引き入れることで、自己(衆生)と他者(仏)が合一化すると説いた。これらの哲学に、メルローポンティにおける自己と他者の交差(キアスム)による可逆反転論、あるいは(イデガーにおける自他を含む共存在論と類似するものを想起しても、あながち間違いではあるまい。そこでは、「自己」と「他者」は同一世界に存在し相互に変換しうるものであり、いまだ「他者」が、「自己」に対して外的な唯一の主体として発見されることはなかったのである。
これに対して、法然の「専修念仏」は、これまでの仏教パラダイムを根本的に転換したようにみえる。たしかに法然は、「自已」に外的な「他者」である阿弥陀如来をあらかじめ前提とすることに成功した。この「他者」の慈悲によってのみ「自己」は受動的に仏になれると説いたのである。ここにひとまず『他者』を実体とし、そのイニシアティヴによって「自己」の往生成仏を果たす「他力仏教」の原型かつくられたというてよいかもしれない。
だが法然は、「自己(衆生)」に外的な「他者(仏)」に向かって称える念仏の行において、「自己」から「他者」へ向かうベクトルをいまだ残していたのではなかろうか。レヴィナスの表現を借りれば、法然はフッサールと同様に、他者(阿弥陀仏)を対象化して自己の認識に同化し、最終的にこの「他者」に、自己の往生を請求しているのではないか。いいかえれば、自己の往生は、自己の能動的「念仏」に対する他者からの受動的応答という関係において捉えられていたのではないか。
すなわち法然においては。いまだ「他者(阿弥陀仏)」が、自己によって認識も観想もできない『絶対他者』として位置づけられていたわけではない。この意味で、法然の浄土宗にはわずかに自力の痕跡か残っていた。すなわちそれは「他力のなかの自力」にとどまっているのではなかろうか。
これに対して、ひとり親鸞のみが、いりさいの自力を払拭し「絶対他力」の信心を確立しえた、すなわち、「自己」の側からのいかなる能動的な行為(所行)をも放棄し、ただ一方的に「他者(阿弥陀仏)」の本願を廻向されることによってのみ自巳の往生は果たされる。レヴィナス流にいえば、親鸞は、阿弥陀仏を「絶対的に他なるもの」として開示することができたといえよう。
だかそれにしても、長い仏教史において、なぜ、親鸞だけがこうした仏(他者)を一方的に無限の主体とする思想を確立しえたのであろうか。この点にこそ、レヴィナスと親鸞を結びつける一筋の隠れた糸があろう。それは一言でいえば、両者に共通する自我に対する徹底的な嫌悪、自己の悪性意鐡、つまりは自虐の観念だったのではなかろうか。(以上)
今までの仏教学と違った視点から仏教や親鸞聖人を見ていくその見方が新鮮でした。タイトルにもある「他者」についての論述を見て見ましょう。これは現象学から仏教学を比較したものらしい。
唯識哲学は、あらゆる[客観世界]を否定して、一切の事象を感覚的認識から「末那識」さらには無意識としての「阿頼耶織」にまで還元し、そこに「見分」と「相分」すなわちノエシスとノエマというべき関連を発見するものであった。また、中観哲学は、あらゆる「実体」を両極の項として杏定し、そのあいだ(縁起)にある関係性の観念を「中観」として認識するものであった。こうして現象学と聖道門仏教はともに。自己の純粋意識の表層において真理(悟り)を探し求めることになる。それらは、自己意識の内部において瞑想を重ね、そのなかに自閉的に籠って「他者」ないし[仏]という幻影を構成しようとするものであり、けっきょく「自己」からその外部へと超出することは、ついにできなかったのである。
つづく天台および真言の平安二宗は、こうした奈良仏教の「自己」を、意識表層から大衆の自力実践(修行)の主体へと転換したものといえるだろう。けれども天台宗は、しだいに「本覚」思想への傾斜を強めていった。迷いの主体である不覚の「自己」が、仏という「他者」を始覚することで悟りに入っていく。つまり自巳が他者(仏性)に目覚めていく行を「本覚」と表現したのである。また真言宗は、「自己」が大日如来という「他者」を自らの内に引き入れることで、自己(衆生)と他者(仏)が合一化すると説いた。これらの哲学に、メルローポンティにおける自己と他者の交差(キアスム)による可逆反転論、あるいは(イデガーにおける自他を含む共存在論と類似するものを想起しても、あながち間違いではあるまい。そこでは、「自己」と「他者」は同一世界に存在し相互に変換しうるものであり、いまだ「他者」が、「自己」に対して外的な唯一の主体として発見されることはなかったのである。
これに対して、法然の「専修念仏」は、これまでの仏教パラダイムを根本的に転換したようにみえる。たしかに法然は、「自已」に外的な「他者」である阿弥陀如来をあらかじめ前提とすることに成功した。この「他者」の慈悲によってのみ「自己」は受動的に仏になれると説いたのである。ここにひとまず『他者』を実体とし、そのイニシアティヴによって「自己」の往生成仏を果たす「他力仏教」の原型かつくられたというてよいかもしれない。
だが法然は、「自己(衆生)」に外的な「他者(仏)」に向かって称える念仏の行において、「自己」から「他者」へ向かうベクトルをいまだ残していたのではなかろうか。レヴィナスの表現を借りれば、法然はフッサールと同様に、他者(阿弥陀仏)を対象化して自己の認識に同化し、最終的にこの「他者」に、自己の往生を請求しているのではないか。いいかえれば、自己の往生は、自己の能動的「念仏」に対する他者からの受動的応答という関係において捉えられていたのではないか。
すなわち法然においては。いまだ「他者(阿弥陀仏)」が、自己によって認識も観想もできない『絶対他者』として位置づけられていたわけではない。この意味で、法然の浄土宗にはわずかに自力の痕跡か残っていた。すなわちそれは「他力のなかの自力」にとどまっているのではなかろうか。
これに対して、ひとり親鸞のみが、いりさいの自力を払拭し「絶対他力」の信心を確立しえた、すなわち、「自己」の側からのいかなる能動的な行為(所行)をも放棄し、ただ一方的に「他者(阿弥陀仏)」の本願を廻向されることによってのみ自巳の往生は果たされる。レヴィナス流にいえば、親鸞は、阿弥陀仏を「絶対的に他なるもの」として開示することができたといえよう。
だかそれにしても、長い仏教史において、なぜ、親鸞だけがこうした仏(他者)を一方的に無限の主体とする思想を確立しえたのであろうか。この点にこそ、レヴィナスと親鸞を結びつける一筋の隠れた糸があろう。それは一言でいえば、両者に共通する自我に対する徹底的な嫌悪、自己の悪性意鐡、つまりは自虐の観念だったのではなかろうか。(以上)