仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

言葉とは何か

2020年12月31日 | 日記

『言葉とは何か』 (丸山圭三郎著)、著者は、近代言語学の父と言われるソシュール(1857- 1913・スイスの言語学者)の研究者でもあります。

 

以前、「言葉は認識のあとにくるのではなく、言葉は認識自体である」というメルロ=ポンティの言葉を紹介しましたが、同じ様なことが紹介されていました。

 

たとえば、「木」とか「植物」とか「動物」という一般的な、しかも抽象的な性格をもつ単語が一切存在しない貢諳はたくさんあります。そうした言語には、木や植物の個々の名称、たとえば「松」「桜」「杉」といった語はあるのですが、「木」という概念がないために、それらをひとまとめにしてカテゴリー化することができません。…

 

これだけでも、「言葉に依存しない概念も事物もない」というソシュールの考え方を証明するのに十分といえましょう。

 

 たとえば、失語症患者が言葉を失うと、抽象能力も失ってしまうのがふつうです。患者は、「びん」という語を失ったために、大小さまざまな形をした何本かのびんに共通したものがわからなくなります。あるいは、その逆に、共通したものがわからなくなったことが原因で、「びん」という語を失ったのかも知れません。

 ゴルトシュタイン(ドイツの神経生理学者。精神医学者。一八七八-一九六五)によれば、失語症患者の周囲の世界は常人より雑多な色が一面にぬりたくられている状態だそうです。患者はあらゆる微妙な色のニュアンスをカテゴリー化してまとめることができません。知覚に訴える限りのニュアンスの数だけの色が連続体のまま存在することになります。それに対して常人は言葉のおかげで、どんな微細な色のニュアンスをもひとまとめにグループとして認識できるのです。(以上)

 

南無阿弥陀仏という言葉は何かという疑問を持ちながら、こうした本を読んでいます。言葉を超えた覚りの世界が、言葉となったわたしの元の至り届く。これって何かという疑問です。一年間有り難うございました。

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名前の哲学

2020年12月30日 | 日記

『名前の哲学』 (講談社選書メチエ・村岡晋一著)、浄土真宗の核心は、阿弥陀仏の名前を称えることですが、こうした阿弥陀仏を離れた「名前」そのものの研究があっても良さそうですが、西洋では、名前が哲学的に昔から考察されてきていたようです。


ヴィトゲンシュタイン、ローゼンツヴァイク、ベンヤミン―という三人のユダヤ系の学者をとりあげています。ユダヤ人は歴史上、他民族ふうの姓名を取り入れたこともあれば、自分たちの姓名を守る方向に動いり、名前について長く葛藤してきた民族だそうです。

 

ヴィトゲンシュタインは、名前の「意味」が分かるとは「使い方」が分かることだと考えました。たとえば、大工見習いにとって「れんが」とは、「親方に言われたら渡すもの」だと分かっていることが必要です。

 ローゼンツヴァイクは、言語の本質は対話にあると考えました。対話は相手の反応によってさまざまに変化します。対話で使うことばの典型が名前です。「やあ、○○君」と、相手の名前を呼ぶことから対話は始まります。

 ベンヤミン。彼は、語り手によって意味が左右されないことばを「純粋言語」と呼びます。その具体例は、やはり名前。たしかに、名前は翻訳でも元のまま使われます。

 

ベンヤミンは、唯一の書『言語一般および人間の言語について』(1916)を引用して論じています。興味深いので転載します。

 

たとえば、音楽の「言語」もあれば、絵画の「言語」もある。名画を眺めていると、それはたしかに声を発しないし、文字も書かれていないのに、鑑賞者に感銘を与え、〈なにか〉を確実に「語りかけて」くる。こうして、言語はまず声や文字といった特定の言語手段から解放される。

 

 言語は人間の声や文字からだけではなく、「人間」という「語り手」からも解放される。だがそうなると、言語はいったいなにを伝達するのだろうか。

 

たとえばベートーヴエンの交響曲第九番を考えてみよう。それが伝達したいものはなにか。この問いに答えるのは簡単ではない。これまでいろんな演奏家がいろんな解釈を加えてこの曲を演奏してきた。この交響曲が語るものがそれを作曲したときにベートーヴェンの頭のなかにあったものに尽きるのであれば、こうした一連の解釈はすべて無意味であり、むしろ作品を歪曲するものでしかない。だが、ベートーヴエンの交響曲第九番が傑作なのは、このような無限の解釈を許すからである。無限の解釈を許すからこそ、その芸術作品は永遠の生命を保つことができる。無限の解釈のすべてがすでにベートーヴェンの頭のなかにあったと考えるのも不合理である。むしろ、作品は作者であるベートーヴェンを超えている。そうだとすれば、ベートーヴェンという個人を超えたなんらかの「精神的本質」が交響曲においてみずからを語ると考えるほうが自然ではないだろうか。

 この議論は当然、人間の言語にも適用されなければならない。人間の言語も言語の一種にはちがいないからである。人間はみずからが語る言語の話し手ではない。したがって、たとえば日本語について言えば、「われわれ人間が日本語を使ってみずからを伝達する」と言うことはできない。むしろ、「精神的本質が日本語においてみずからを伝達する」のである。

 

 

それゆえ、言語は何を伝達するのか、という問いに対する答えはこうなる-どの言語も自己自身を伝達する。…あるいは、より正確にいえば、どの言語も自己自身において自己を伝達する。(ベンヤミン「同書」、12-13頁)(以上)

 

分かったような分からないような「?」ですが、名前がもつ本質を考える上で、参考になります。

 

上記のベンヤミンの言葉を借りていれば「阿弥陀仏は、その言葉によって、自身を伝達する」、何か当たり前のようですが、当たり前の事がシンプルで素晴らしいのかも知れません。

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固定観念という恵み

2020年12月29日 | いい話

「固定観念は良くないという固定観念」の続きです。固定観念というよりは、身体にすり込まれて固定された記憶と言った方が良いかも知れません。

 先の編集後記を書いた次の日の未明、鮮明な夢を見ました。その夢は、40年ぶりに野球の試合に望みました。わたしのところにボールが来たので三塁にボールを投げようとすると、身体がボールの投げ方を忘れているのです。一生懸命に投げると、子どもが初めてホールを投げるときのような手投げになってしまい、直球で相手に投げることが出来ないのです。それが三度あり、わたしはボールの投げ方を忘れてしまっている自分に驚きます。ふと目を覚ますと、その夢を鮮明に覚えていて、ボールを投げる動作をすると、夢であったことを知ります。そして身体の記憶が固定されていない状況を夢で体験して「固定観念」ってありがたいことなんだなーと思ったしだいです。そのときわたしは「固定観念はよくないという固定観念」を持っている事に気づきました。

 

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固定観念の生きづらさ

2020年12月28日 | いい話

こうしてほぼ毎日ブログを書くことは、このブログに助けられることが良くあります。何と言っても、原稿を頼まれたとき、このブログから言葉を拾うので、その日のうちに仕上げることができます。過日、『がん患者・家族の語らいの会』2月号の編集後記を、やはりこのブログから拾って仕上げました。下記の原稿がそれです。

 

編集後記

  • 『あなたの人生をゆたかにしてくれる世界の知恵 毎日が元気になる100の格言』(植西聰著)からの引用です。「クリスマスは年に一度しかやって来ないが、その翌日だって、年に一度しかやって来ない」。特定の日を、特別な日だと思っている私がいるということでしょう。もう一つ。「長いウナギに長い鍋」。次のような解説がついています。『あるとき、農夫が川で大きなウナギを釣りました。農夫が妻にウナギ料理を作るように言ったところ、妻は浮かない顔をしています。農夫がその理由を尋ねると、妻はこう答えました。「おまえさん。このウナギ、ウチでは料理できないよ。だって、ウチには長い鍋なんてないからね」』。「ウナギは長いから、鍋も長くなければダメ」と思った農夫の妻の固定観念を風刺したものです。●私を支えている固定観念は、順調な時にはあまり意識されませんが、この固定観念が、私の生きにくさを作っていることも事実です。●ある親睦会でのことです。五十代の女性との会話で、彼女はがんを患っているというお話でした。わたしが「がんを体験されたことで人生観が変わりましたか」と尋ねますと、「はい、性格が悪くなりました」とのこと。「と、言いますと?」と重ねて尋ねると、「はい、わがままになりました。前は遠慮したり控えめでしたが、いまは、何でも我慢せずに口に出したり、好きなことをしています。お蔭で生きることがすごく楽になりました」と言われました。病気の体験が、自分の生き方を変える好機となったのでしょう。●Aさんからいただいたお手紙です。『四十代後半で傷だらけの人生になってしまいましたが、私ががんになったことで、家族の絆がいままで以上に強くなりました。家族はもとより、私を励まし勇気づけてくれた友人のお蔭で、いまのわたしがあると思います。そして何よりも、毎日すべてのことに感謝して、くよくよせず、あるがままに生きるということを覚ったと言えば大げさですが、こんな気持ちになれたのも病気のお蔭だと思っています』。固定観念が破られると、その時々を大切に生きるというシンプルな「生」が見えてくるようです。(西原)(以上)

 

ところがこの原稿を書いた次の日、わたしは「固定観念は良くないという固定観念」を持っている事を知ることになったのです。(つづく)

 

 

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改暦のエピソード

2020年12月27日 | 日記

本日(2020.12.27)の『産経新聞』「日曜に書く」に山上直子論説委員が旧暦について、触れていた。わたしも報恩講が旧暦に11月28日から新暦に1月16日になった話題で政府の財務事情の話をするので、参考になりました。以下その部分だけ転載します。

 

さて、明治の改暦についてこんなエピソードを見つけた。『旧暦読本 日本の暮らしを愉しむ「こよみ」の知恵』 (岡田芳朗著)から。

 明治政府による改暦はあまりに突然で国民は大混乱したらしい。政府は明治5年の11月9日に詔書を発布。「来る十二月三日を以って、明治六年一月一日とし、太陽暦を実施する」と発表した。1ヵ月の猶予もなく暦を変えたわけだが、実は、その背景に逼迫した財政を救う徂いがあったという。

 旧暦では翌年(明治6年)に閏6月があり、1年は13ヵ月になるはずだった。ところが太陽暦に改暦すれば翌年は12ヵ月となり、一ヵ月分、役人に給料を払わなくてもすむ。さらに12月を2日までで打ち切って、3日からは新年の一月としたため、12月分の給料も棚上げにすることができたというわけだ。

 さらに秘話がもう一つ。寝耳に水の改暦に人々があわてふためくなか、ニュースを聞いた福沢諭吉が直ちに解説書「改暦弁」を書いて発売したところ、飛ぶように売れたという。それで苦しかった慶応義塾の台所が一息ついたとか。(以下省略)

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