仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

清潔という暴力構造

2015年03月30日 | 現代の病理
昨日の続きですが、食糧廃棄率世界一の原因の1つは、「加工食品に3分の1ルールと呼ばれる商習慣」だと言われています。ネットからの引用ですが、下記の通りです。

日本人は毎日、おにぎり1~2個を捨てている!? 実はこの数字、食べられるのに廃棄されている食品、いわゆる「食品ロス」から試算したもので、日本国内で年間約500万~800万トン(平成22年度推計/農林水産省)にも上る。これは、世界全体の食料援助量の2倍にあたり、日本の米収穫量に匹敵するという。「日本では、加工食品に3分の1ルールと呼ばれる商習慣があります。具体的に説明すると、賞味期限が6カ月だとしたら、これを3等分して、メーカーが卸や小売店に納品できるのは製造日から2カ月までの製品。その後、店頭で販売できるのは製造から4カ月までの製品。それを過ぎると、賞味期限まで2カ月残っていても、店頭から撤去、廃棄するという仕組みです」(同)

米国では2分の1、英国では4分の3が一般的といわれており、日本の消費者が鮮度にこだわる表れたという。

 先日もニュースで、3分の1ルールを逆手にとって、「消費期限まじか」「賞味期限切り」などと書いて、値引きして売っているマーケットがありましたが、3分の1ルールが、食糧廃棄の大きな原因の1つであれば、廃棄の量から言って“清潔という暴力構造”と言ってもいいかも知れません。


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リスクによる連帯

2015年03月29日 | 現代の病理
以前、パラドックスの話題で“日本文学の研究者、ドナルド・キーンさんが語ったことがある。「人間にとっていちばん悪い発見は、他の星、たとえば火星に人物がいないことです」(岩波書店『同時代を生きて』)もしも異星人がいたならば、地球上の人間はイデオロギーや宗教を超えて団結できただろう”を紹介しました。

図書館から借りてきた『リスク化する日本社会―ウルリッヒ・ベッグとの対話』(岩波書店)に、次のような記述がありました。

『リスク社会』では、放射能や化学物質による大気・土壌・土壌・食品の汚染の問題が扱われ、知覚できないリスクによって不安が高まり、産業主義社会が拠って立つ基盤が再帰的に掘り崩されてゆくさまが描き出されている。ベックはそこで、リスクが国境を越えグローバル化してゆくことを指摘、国境警備による安全保障が無意味となり、グローバルな政抬か必要とされると主張している。また、有名な「貧困は階級的であるが、スモッグは民主的である」という喩えにあるように、万人に平等によりかかるリスクによって、かつての階級による連帯に代わる「リスクによる連帯」が生まれることに期待している。(以上)

かつて1989年前、東西の冷戦というリスクによって、緊張感の中に連帯が形成されていました。「イデオロギーや宗教を超えて団結」は、平和の中にではなく危機感の中に成立するようです。

これってパラドックスですね。
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世界一の食糧廃棄国

2015年03月29日 | 現代の病理
日本で食糧支給率(カロリーベースで39%、生産額ベースで65%)は、よく言われますが、生苦廃棄率で世界一位であることは、あまり触れれれません。

水道の蛇口を開けっ放しで、「水が足りない、水が足りない」と言っている感じがします。

世界の穀物生産は年間 24億トン、これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍になるそうです。1人当たりの食糧供給量を比較すると、日本では必要なカロリーより 31%も多く、ソマリアでは16%不足していという。
穀物は人間が食べるだけではなく、先進国では穀物の 6割(約4億トン)が、ウシ、ブタ、ニワトリなどの家畜のえさになっていて、結果として、世界の 2割足らずの先進国にすむ私たちが世界の穀物の半分以上消費しています。

日本では、年間 5500万トンの食糧を輸入しながら、1800万トンも捨てているとのこと。日本の食品廃棄の実に半分以上にあたる1000万トンが家庭から捨てられています。
この家庭からでる残飯の総額は、日本全体で年間11兆円(旧科学技術庁「資源調査会第123回報告」より)、これは日本の農水産業の生産額とほぼ同額で、さらにその処理費用で、2兆円が使われています。
食糧の廃棄率では世界一の消費大国アメリカを上回り、廃棄量は世界の食料援助総量470万トン(WFP)をはるかに上回り、3000万人分(途上国の5000万人分)の年間食料に匹敵するそうです。

何を美徳とするか。役所は、その方面には無関心のようです。
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くもの糸

2015年03月28日 | 日記
昨朝(27.3.27)8時代、ラジオNHK第一放送を聴きながら車を走られていると、芥川龍之介の『くもの糸』を、子ども用にアレンジした作品が朗読されていました。

原作の最後の部分は、“そこで 陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。お前たちは一体誰にきいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」とわけきました。
 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に 陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立ててきれました。ですから 陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切ってコマのようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
 後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
 お釈迦さまは極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、 陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。”という、ものです。

ラジオを聴きながら、「お釈迦さまは…あさましくおぼしめされたのでございましょう」という部分が、「浄土真宗とは違うなー」と思ったことです。

阿弥陀如来は、私に対して、私が流す涙の幾万倍もの涙を流し、私を想い続けておられる方です。「あさましく思った」などという非情な存在ではなりません。むしろ、くもの糸となって地獄におり、もしこの糸が切れることがあったら悟りを放棄するという如来です。

それとラジオを聴きながら想われたことは、 陀多が闇の堕ちるままが、その糸を頼っていた多くのいのちが闇に堕ちていったということです。
一人の人の被害は、多くの人の被害に連なっているということです。

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現代の若者の傾向

2015年03月27日 | 日記
「日本生産性本部」のホームページに色々なデーターがありますが、現代の若者の傾向は、次の通りです。

本調査は新入社員の入社半年後の意識変化の調査を目的に、毎年秋に実施する日本生産性本部 経営開発部主催の新入社員教育プログラム等への参加者を対象に行っています。24回目となった2014年度の結果概要は以下のとおりです。

【新設問】女性新入社員「あなたは管理職になりたいですか」という設問に対し、72.8%が「なりたくない」と回答

【新設問】管理職になりたくない理由を問う設問において、男女共に最も多い回答は「自分の自由な時間を持ちたい」

【男性新入社員の7 割】男性新入社員「子供が生まれたときには、育児休暇を取得したい」という設問に対し、「そう思う」とする回答(70.0%)

【直近10 年間で最高】「条件の良い会社があれば、さっさと移るほうが得だ」という設問に対し、「そう思う」とする回答(45.3%)

【7 割超える】「残業が少なく、平日でも自分の時間を持て、趣味などに時間が使える職場」を好むとの回答(70.1%)
(以上)

私の読みは「自由にのんびり過ごしたい」のが現代の若者の特徴でしょうか。
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