毎朝午前4時ごろラジオをつけると、ロンドンオリンピックの、その日のエキスの部分ともいえる競技を、ライブ放送しています。
“日本中が、日本を意識している”はたしてそうだろうかという疑念が浮かびます。
特に、金メダルは堅いと言われていた人の、敗戦の録画放送は、進んで見る気にはなれません。その時、ふと、“自分は日本人を応援し、日本を意識しているのではなく、自分の中にある慢心、すなわち、ひいきにしている自分方が勝つことの中に生まれる優越感の体験を喜んでいる”に過ぎないのではないと思われました。
これは高校野球でのプロ野球での同じで、ひいき筋が勝つことによって生まれる慢心を楽しんでいる。だとするとオリンピック競技も同じで、「日本を意識する」のではなく、「日本人勝って」という自分自身の思いを見ているにすぎない。「日本を意識する」こととは、別な問題であるようです。
“日本中が、日本を意識している”はたしてそうだろうかという疑念が浮かびます。
特に、金メダルは堅いと言われていた人の、敗戦の録画放送は、進んで見る気にはなれません。その時、ふと、“自分は日本人を応援し、日本を意識しているのではなく、自分の中にある慢心、すなわち、ひいきにしている自分方が勝つことの中に生まれる優越感の体験を喜んでいる”に過ぎないのではないと思われました。
これは高校野球でのプロ野球での同じで、ひいき筋が勝つことによって生まれる慢心を楽しんでいる。だとするとオリンピック競技も同じで、「日本を意識する」のではなく、「日本人勝って」という自分自身の思いを見ているにすぎない。「日本を意識する」こととは、別な問題であるようです。