仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

日本を意識する?

2012年07月31日 | 日記
毎朝午前4時ごろラジオをつけると、ロンドンオリンピックの、その日のエキスの部分ともいえる競技を、ライブ放送しています。
“日本中が、日本を意識している”はたしてそうだろうかという疑念が浮かびます。

特に、金メダルは堅いと言われていた人の、敗戦の録画放送は、進んで見る気にはなれません。その時、ふと、“自分は日本人を応援し、日本を意識しているのではなく、自分の中にある慢心、すなわち、ひいきにしている自分方が勝つことの中に生まれる優越感の体験を喜んでいる”に過ぎないのではないと思われました。

これは高校野球でのプロ野球での同じで、ひいき筋が勝つことによって生まれる慢心を楽しんでいる。だとするとオリンピック競技も同じで、「日本を意識する」のではなく、「日本人勝って」という自分自身の思いを見ているにすぎない。「日本を意識する」こととは、別な問題であるようです。
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礼節のスポーツ柔道

2012年07月30日 | 日記
オリンピックの柔道の試合を見ていて、“おじぎ”のことを思いました。
合気道でも剣道、空手でも伝統武術では試合の開始前後や道場への入退室時などにお辞儀をします。これは当たり前の風景で、お辞儀をしたという意識も持ちません。

ところが、イタリヤのインテルに所属しているサッカーの長友 佑都さんが、得点をすると、イタリアのチームメンバーは、長友選手が日本人であることから、その功績をたたえ、面白がって長友選手に対してお辞儀をして、その功績をたたえる風景に何度か接しました。

日本においてサッカーの試合中に、得点を入れてその功績をたたえ、お辞儀をするという風景は皆無なので、私は違和感をお覚えていました。

オリンピックの柔道の試合でのお辞儀の風景を見ていて、ヨーロッパの人は、柔道イコール日本、日本イコールお辞儀という感覚でとらえていて、長友選手へのお辞儀となったのだろうと想像しました。

日本において、日常生活の中でお辞儀をすることは普通の風景ですが、武道以外の試合でも、お辞儀をしてその功績をたたえることは、ヨーロッパからの逆輸入であってもいいかなーと思いました。

お辞儀をする精神は、自分を低いところへ置くとうことです。今日北島選手が100メートル5位入賞で、金でなかったコメントの中に、少しお辞儀の精神を感じました。
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日本を意識するということ

2012年07月29日 | 日記
昨28日からロンドンオリンピックが始まり、日本中、いや世界中が、自分の国を意識する時間を持っているようです。「日本を意識する」ことは何か。この期間中、ぼんやりとですが意識して過ごそうと思っています。
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凡夫の自覚

2012年07月28日 | 仏教とは?
ある会合で“凡夫の自覚”が話題となりました。本来凡夫とは、凡夫であるという自覚のない者を言います。

仏とは覚者のことですが、善導大師がその著“玄義分(げんぎぶん)”の中で、「自覚覚他、覚行窮満(じかくかくた、がくぎょうぐうまん)、これを名付けて仏とす」と説かれています。最初の自覚は、自覚のない凡夫に選別した言葉です。ついでい言えば、覚他とは、他の人を覚らせる心のない声聞(しょうもん。独覚をめざす)でないことです。覚行窮満は、未完成の菩薩でないことを示しています。

では最初の自覚とは何か。動物でのわが子を気遣い大事にする習性があります。わが子だけでなく、すべての人を気遣い大事にしたいという仏の領域に出会ったとき、初めて人は、すべての人を気遣い大事にしたいと思えない自分が明らかになります。仏さまの願いに触れたとき、凡夫の自覚が起こってくるのです。だから凡夫の自覚は、仏の願いや光に触れた証しでもあります。

そう考えると、観音菩薩のような理想に生きようと説かれる『般若心経』も、凡夫の自覚をそくすお経として意味があるように思われます。単に、お経と顕説の当面だけに触れるのではなく、『般若心経』においても阿弥陀さまの願いに触れることが出来るようです。
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正義か非正義か

2012年07月27日 | 日記
明日、ロンドン・オリンピック開幕。「ギリシャ・陸上の三段跳び女子、パラスケビ・パパクリストウ選手はTwitterでアフリカの人々を差別するような発言を行い、同国五輪委員会により追放を命じられた。ソーシャルメディアでの発言を利用に処罰を受けたのは、彼女が初めてとなる。」と報道されていました。

パラスケビ・パパクリストウ選手が開幕一週間前の2012年7月22日に、Twitterで発言した内容は次のものです。
 
「ギリシャには大勢のアフリカ人がいる、西ナイルの蚊は自国の飯にありつけるね!」
 
報道によると、これは同国で感染の影響から死者が出ている、「西ナイルウイルス」のことをほのめかしており、アフリカ移民を侮辱するような表現だったとあります。

オリンピックからの追放?なにか五輪委員会の正義のもとに断罪する傲慢さを感じます。アフリカ移民を侮辱したことへの断罪であれば、アフリカ移民を侮辱したことを回復するための、もっと有効な対処があったと思われます。簡単に追放というペナルティーを課すところに単純に世界を、正義と非正義に分けて考えていく危険なにおいがします。
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