二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

25年ぶり、じゃないけどもう一度勇気をもって

2016-09-10 21:18:45 | 徒然に想う

カープがどうやら優勝しそうですね。

実は、このブログ、フェイスブック(FB)とリンクさせることが多くなって、簡単なことはFBだけで終わらせることが多くなってます。雲がきれいとか川がきれいといった直感的なことばかりですけど。でも、そうしてたら、少しずつ分かってきたんです。こういったSNS系のところで発言することの意味が、責任の重さが。

ブログはあくまでも、個人の日記、「戯言」と思って、言いたい放題してました。もちろん、これから、それをやめるつもりはありません。だって、そこを読みに行くという自主性がある、から。ですが、FBは意外に、もうちょっとTVにあるような公共性がある気がします。もちろんリンクを止めればいいのですが、それを忘れるとあっという間に拡散するし、個人のコントロールできることから離れます。独り歩きするんですね。無責任な発言が多い、問題を引き起こしていきます。

発言には、公的な機関・組織になればなるほど、思惑が入ります。だから、いい面、素晴らしいところを言います。TVもそうですよね。どんなに政府が地方創生とわめいても、民間のプロパガンダは日々「東京すごい、すごい」の連呼。都政のことより、その地域で大切なことがあるだろうに、いつテレビのスイッチを入れても、です。正直、ここで生活を始め、こんなにも「地方」がないがしろにされ、「地方創生」が如何に絵空事なのか、思い知りました。いかに「地域」の実態と離れた「マス」の身勝手なことか。

同じこと、前にも言いました、すみません。でも、来月、川の一斉清掃をする企画があるんです。どうしてかわかりませんが、主催、共催、協賛、後援のどこを何度見ても、FBなどで盛んに川の美しさを宣伝している団体・グループの名前を見つけられない(参下に入っているとかいうのは、言い訳。自分の名前を出さないという無責任です)。現実、きれいだからおいでおいでといった発言で人が呼ばれ、結局川はゴミだらけ、地域の神聖を汚す行為を多数招いている。でも彼らがそういったことをどう解決するか、どう責任を取ろうとしているのか、全くわからない。個人の団体やグループの御遊びじゃない。それこそ公共性を持っている。にもかかわらず、その責任の取り方が一切見えない。会社や組織の社会的責任など、今さら議論されるべきことじゃない。行動・発言において、いつ何時でも示せる、示せるようでなければならない。あぁ、結局、現実は、それこそ原発の再稼働と同じ。目の前の、目先の利益ばかりに目がむいてる。長いタームで見たとき、その社会的責任は、感情論でと議論されるべきじゃないという前に、認識し提示する必要・義務があると思います。

6‐4でカープ、勝ってます。「いいね」、ポチっ。




今日の一枚:8日のこと、お昼に帰ってみれば、苗たち、挿し木したカボチャがシュンとしてた。水やらなければと、蛇口を見ればお客さん。

 


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