裸祭り
2024-02-23 | 写真
私は、1975年、名古屋から稲沢に嫁ぎました。初めての裸祭りは、賑やかで、凄い盛り上がりでした。朝から、お寿司をつけたり、煮物をしたり、来客の接待をしたものでした。
午後一時過ぎには、笹を運ぶ裸男たちに、道端で、酒を振る舞いました。湯呑みに酒をついで、迫力ある
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お疲れさまでした。
裸男の集団に、どうぞと、渡します。熱気ムンムン、寒さを感じない
勢いのある時代でした。
屋台は、狭い路上にまであふれ、
ヒト、ヒト、ヒト。
だんだん、寂れていき、参加者が、減って行きました。
昔は、電車が、増発されたものでしたが、今は?
しばらくコロナで中止。昨年は、制限付きだったので、裸男は1730人の参加。2024年は、制限無しで、
7500人の参加だったそうです。
やはり、例年の行事が帰って来たのは嬉しい。
1200年前、
悪疫退散祈願の厄払いを、国府宮神社で行ったのが始まりだとか。
神男(しんおとこ)は、三日三晩
みそぎをして、当日を迎える。
裸男たちは、この神男に、
さわるほど厄落としになると
言うことで、みんなが、神男に、
降れようと、揉み合う。
裸男の群れの中に神男が、
突入してから、100メートル程を
一時間ほど揉み合い、揉み合い
必死の情景が繰り広げられる。
今年の神男さんは、こどもの頃から20回も、参加してきた、いつか
神男をやりたいと、願ってきたという。
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お疲れさまでした。
みなの厄を引き受けてくれて
ありがとうございます。
稲沢では、裸祭りが終わると
春が来る。
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