遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

ナマケモノに意義がある

2013-04-28 | Weblog
ナマケモノに意義がある

角川書店  刊
池田 清彦 


今朝 ラジオの「著者に聴きたい本のつぼ」を聴いて
思わず 吹き出してしまいました。
池田さんの語り口に引き込まれ なあんだ そうだったのか・・・と。

人間は15万年の歴史があるが 狩猟生活だったから
おなかがすいた時だけ狩りをして あとはごろごろしていた。
一日に3時間も働けば良かった。

人間が農耕に手をだし労働が必須になった。
たかだか7000年か10000年前だ。
それから 戦争や 奴隷制 争いが始まった。

人間は「個体」だから 死ぬに決まっている。
バクテリアは死なない。


・・・・・・・
【以下は この本の書評から引用しました】
興味津々。



「人は怠けるようにセットされている」

 ・労働をはじめたばかりに人間は不幸になったのではないかと私は思う。
  世間は働くことに生きがいを見出せ、喜びを見出せと煽るが、あまり真に受けないほうがよい。

  働くことに生きがいも喜びも発見できない人は努力が足りないか、能力が足りない欠陥人間だという言説は
  単なるフィクションなのだ。ひどい話である。
  「仕事を通して自己実現する」はすべての人に当てはまる命題ではない。


「あなたには無限の才能がある!」というウソ

 ・努力をしてそれまでできなかったものができるようになった。
  そんな努力のプロセスを感動的に取り上げる新聞やテレビや雑誌がある。
  「人には無限の可能性がある」とか「能力って無限なんだ」
  という物語は人をいい気持にさせてくれる。
 
  だが、身も蓋もない話だが、そもそも人に無限の可能性や無限の能力などない。
  100mの短距離走を専門家の指導を受けていまより1秒早く走れる可能性なら、
  多くの人が持っているだろう。でも、ウサイン・ボルトのように早く走ることは
  どんなに頑張ってもできない。
  9秒台で走るなんてことは通常人の能力の限界をはるかに超えているのだ。


「人生に生きる意味などない」

 ・生物学的に見れば人生に生きる意味などはない。(中略)
  成長して子どもを産み、老いて死ぬ。生物というのはすべてただそれだけの存在であり、
  人間も例外ではないのだが、脳が大きくなった人間は、
  どうしても人生に意味を見出したくなってしまうものらしい。(中略)

  怖いとか、命が惜しいとか、生きる意味といったものは何もなく、ただ生きているだけ。
  非情という言葉すら入る余地がない。
  虫のそんなところは本当に偉大だなと思う。


  カブトムシ、クワガタムシを飼育しておられる皆さん、
  彼らのある種の潔さみたいなものは、学ぶに値するかも知れません。
 


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