[引用]
自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、
定型に縛られずに作られる俳句を言う。
季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を
表現することに重きが置かれる。
文語や「や」「かな」「けり」などの切れ字を用いず、口語で作られることが多い
のも特徴である。
特に短い作品については短律とも言う。定型の意識を保ったまま作られる字あまり・
字足らずや句またがり、破調の句などとは区別される[。
また自由律俳句はあくまで定型から自由になろうとすることによって成立する
俳句であり、したがって単なる一行詩がそのまま自由律俳句となるわけではない。
例
- 弟を裏切る兄それが私である師走(河東碧梧桐)
- 曳かれる牛が辻でずつと見廻した秋空だ(同)
- まっすぐな道でさみしい(種田山頭火)
- 分け入つても分け入つても青い山(同)
- うしろすがたのしぐれてゆくか(同)
- たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く(荻原井泉水)
- 棹さして月のただ中(同)
- 咳をしても一人(尾崎放哉)
- 墓のうらに廻る(同)
- いれものがない両手でうける(同)
- 草も月夜(青木此君楼)
- 光水の上にある(同)
- かほ(同)
- いろ(同)
- 橋をよろこんで渡つてしまふ秋の日(中塚一碧楼)
- 病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え(同)
- シャツ雑草にぶっかけておく(栗林一石路)
- こういう思想をもって黄ばんだ街路樹を仰いでいる(同)
- 陽へ病む(大橋裸木)
- 蛙の声の満月(同)
- 横になって夕立に逃げられちゃった(同)
- うごけば、寒い(橋本夢道)
- 無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ(同)
- 妻よおまえはなぜこんなにかわいんだろうね(同)
- ずぶぬれて犬ころ(住宅顕信)
- 若さとはこんな淋しい春なのか(同)
- 夜が淋しくて誰かが笑いはじめた(同)
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